第1話 早朝の訪問者

自分の体がぐるりと回るような違和感いわかん

かれ、セレスティアーノ・ブランパーダは目を開いた。


明るい。


余りにも明るい光が目の前にらめいている。


だが、不思議とまぶしさはない。


らめく光は、やがて人型に

女性のような姿に形を変えていった。


「(彼女かのじょは悲しんでいる…。)」


まるで、その光によって心が通じ合っているようだった。


かがやく女性はセレスティアーノをきしめようとするかのように、

両腕りょううでを広げながらゆっくりと近づいてくる。


「(ぼくも泣いている…?)」


自身のほほを伝わる何かがなみだであると気づいたとき、

不意に彼女かのじょは消え失せ、

コンコン…とドアをノックする音と


「セレスティアーノ様?」


というメイドの声で、セレスティアーノは目を覚ました。







~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~







「朝食でございます。」


身支度を整えたセレスティアーノがテーブルに着くのを見計らって、

メイドが料理の皿を置く。


ディクシフ侯爵こうしゃく領。


すなわちブランパーダ家が治める、国王からあたえられた領地。


中心にほど近い、のどかな風景の中にブランパーダ家の屋敷やしきはあった。


「ああ、ありがとう。」


答えながら、セレスティアーノは食事に手を付けるでもなく、

いつもの読書の代わりに、

分厚い本、トレトス教の聖典に目を落とす。


表紙には、

六つの三角形に丸くかたどられた六芒星ろくぼうせいの中心に

太い十字の入ったトレトス教のシンボルが記されている。


「『はじめに光とやみの二人の女神が生まれた。』

 か…。」


セレスティアーノは創世記の一節をつぶやくように読み上げる。


ツヤのある黒髪くろかみはミディアムの長さ、

同世代よりも長身でがっしりとした体格、

家族以外の前ではあまり笑わないせいか強張ったようなりの深い顔立ち、

年齢ねんれいよりも老けて見られることが多いのがなやみの種だ。


「おはよう、セレスにい。…見て見て。にじが出てるわ。」


トタトタとダイニングに入ってきながら、

その少女、フランシスカ・ブランパーダが声をかけた。


同じくツヤのある黒髪くろかみだが、

こちらは少しクセのあるロングヘアを後ろで軽く束ねている。


はにかむような笑い方とほほにできるえくぼ、

兄とは逆に同世代よりも低い背、

同じく同世代よりも短い胸囲が幼く見られる原因だとは、

本人は気づいていない。


「おはようのチュ~。」


せまる妹の体を、セレスが左手で受け流しながら窓の外を見やると、

朝日の周りをっかのようににじが囲んでいるのが目に入った。


「おはよう、フラン。

 めずらしいにじだね。」


「フンフフーン。

 良いことでもあるかしら?」


鼻歌混じりにテーブルに着きながらフランは、


「そう言えばセレス兄、聞いてよ。

 今日はとっても不思議な感じの夢を見たの。」


と続ける。


「またフランの夢の話が始まるのかい?」


ティーカップを持ち上げながらセレスが答える。


夢。


「(自分が見た夢も何だか不思議な感じだったな…。)」


セレスの考えをさえぎるようにフランは、


「女の人が泣いている夢よ。」


と言った。


お茶を一口含んだままセレスは固まった。


「なぜかは分からないけどずっと泣いているのよ。その女の人。

 それを見ていたら私もいつの間にか泣いちゃってさ。」


フランは、なみだをぬぐうような仕草をした。


セレスは、ようやくお茶を飲みこんで、


『自分も同じ夢を見た。』


と言おうとして、

…やめた。


「(いやな予感がする。)」




ドンドン…。


階下の玄関げんかんをノックする音がひびいた。


次いでとびらを開く音。




そして、




階段をけ上がり、ダイニングに向かってくる足音。


ガチャリ!と執事長しつじちょうのヴェイカ―が、

ダイニングに入ってくるなりさけぶように言った。


賢者けんじゃ様が…、マロジョテス様がお見えです!」


見れば分かることだが、


「急ぎの用件かい?」


と念のためにセレスはたずねた。


「はい…。お二人に王宮までご同行を願うとのことでございます。」


「私も?」


いつの間にか朝食を平らげたフランが、口元をナプキンできながら言った。







~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~







「朝早くにすまないね…。」


その女性、ミリア・マロジョテスはそう言ったきり口をつぐんでいる。


神話の女神のように編みまれた赤毛のロングヘアー。


気の強そうな目とまゆ特徴とくちょう的な長身の美人である。


胸元が開いたローブのような暖色系を基調としたドレスと、

かたい木製の使いこんだつえ彼女かのじょのトレードマークだ。


世間では、

『火の賢者けんじゃ

だの

紅蓮ぐれん女帝じょてい

だのとおそれられる存在だが、

セレスとフランの両親である、

ルザリーノとエストレアとは古くからの友人で、

セレスとフランとも親戚しんせきのように接してきた。




ガタガタとれる鳥車に乗っているのは、

セレス、フラン、ミリアと、護衛を務める兵士の四名だ。


ミリアは、話すことが無いというよりは、何から話すべきか迷っている感じだった。


ヒザの上で手を組んだり開いたりしながら、視線はずっとゆかに固定されている。




「ミリアさん…。目、どうかしたんですか…?」


無言にえかねたのか、フランがたずねた。


ミリアの目は彼女の赤毛と同じくらい真っ赤に充血している。


目元の化粧けしょうも整っていないし、


『私が賢者けんじゃだぞ。』


とばかりにいつもふんぞり返っている背中も、今は丸まっている。




屋敷やしき周りののどかな風景は過ぎ去り、

王宮にほど近い町、イルシダの町並みが鳥車の窓から見え始めている。




セレスのいやな予感は、すでに確信へと変わっていた。


「父上と母上のことですね?」


セレスの言葉にミリアはハッとしたように顔を上げると、


「…ああ。

 ルザとレア、

 君達の父君と母君が、

 …亡くなった。」


と観念したように声をしぼり出した。




「…うそよ。」


フランのこんなにトーンの低い声は初めて聞いた。


視線はまるでミリアをにらみつけているかのようだ。




「…つい一ヶ月ちょっと前、

 ナルグーシスで軍事クーデターがあったことは知っているね?」


ミリアが鳥車のカーテンを閉めながら言った。


「…はい。」


セレスはうなずく。


「その軍事クーデターを止めることが、かれらの今回の任務だった…。」


ミリアが続けた。


軍事クーデターのニュースが報告されたその日、

あわただしく出かける両親を見送ったのを、セレスは思い出していた。


「(あれが最後の別れだって?)」




「…父上と母上は魔界まかいで、

 その…ナルグーシスで魔族まぞくに殺されたんですか?」


セレスは声をうわずらせながらたずねた。




魔界まかい』と表現したのは、

ナルグーシスが魔族まぞくが治める三つの国の内の一つだからだ。


はるか東方に位置する魔界まかいは、

最も東のナルグーシス、

西のルヴィア、

ナルグーシスとルヴィアの南に位置するトルネオ

の三国に分かれている。




そして、『魔族まぞく』。




するどい角ときばを持ち、

夜目が利き、

その腕力わんりょくは人族より強く、

そのはだは青色やむらさき色で、

そのかみも青色やむらさき色で、

その血も青色やむらさき色の、

太陽の下では倦怠感けんたいかんと頭痛にみまわれるという、

あの一族。




「いいや。人族の国だ。」


ミリアは言った。


「場所はオルトエスト国の東寄りに位置するビウィス侯爵こうしゃく領。

 犯人まではまだ分かっていない。」


ミリアが付け加える。


『殺された』という部分は否定しなかった。




「…うそよ。」


もう一度フランがつぶやくようにり返すと、

鳥車の中は重い空気に包まれ、ガタガタとれる音だけがひびいた。







~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~







「着いたぞ。」


言いながらミリアは、先に鳥車を降りた兵士に続いて降りていく。


「フラン。」


立ち上がったセレスが手を差しべると、ようやくフランもこしを上げる。


その顔にはまだ


『信じられない。』


という色がありありとかんでいる。




ソリアード国の王宮、その正門から入ったところにある鳥車止めに、

四人は降りたっていた。


ここからは歩きだ。


兵士に先導されながら王宮の建物に入り、長い長い階段上りが始まる。




謁見えっけんの間のとびらの前に着くころには、四人ともハアハア言っていた。


「(いつ来てもこの階段がキツい。)」




謁見えっけんの間にセレス、フラン、ミリアの三人が入り、イスに座って息を整えていると、

二人の人物が入ってきた。


一人は大臣であるブルーノ・トルエバだ。


黒髪くろかみのハゲ上がったおでこから頭頂部にかけて、しきりにあせいている。


小太りで清潔感が無いというだけで世の女性からは冷ややかな目で見られていて、

少々融通ゆうづうが効かないところもあるが、政治手腕しゅわんは確かな人物だ。




もう一人は国王であるラズリー・サビラトリアだ。


としの割にビシっとした姿勢のまま、きびきびと細い長身を動かして歩み寄ってくる。


立派な口ひげとアゴひげがあり、何というか、オーラがある人物だ。


白髪しらが混じりのブロンドヘアの上には大きな王冠おうかんが乗っている。




セレス、フラン、ミリアが立ち上がって姿勢を正し、


「ご機嫌きげんよう陛下。」


と口をそろえる。




「セレスティアーノきょう、フランシスカじょう、二人とも久しいな。

 マロジョテス殿どの、ご苦労だった。」


ラズリー国王らしからぬ短いあいさつだった。


「呼び出した用件については、マロジョテス殿どのから説明があったと思うが…。」


ラズリーが言うと、


「はい。承知しております。」


セレスが応じた。


「では…。

 地下まで案内をたのむ!」


国王が叫ぶととびらが開け放たれる。


とびらの向こうに立っていた兵士がとびらを開けたのだ。


セレスとフランが開いたとびらのほうに向き直り、歩き出そうとすると、

唐突とうとつにミリアが口を開いた。


「フラン。

 君には別の仕事があるんだ。」




「…何ですって?」


とびらへ一歩み出したところで、フランは首だけをミリアのほうに向ける。


セレスもり返り、

ミリアの泳ぐ目をしばらく見やって、

…ピンときた。


「フランにしかできない大事な仕事だよ。」


とっさにミリアと口裏を合わせる。


フランは、わけが分からないといった様子で、

セレスとミリアの顔を交互こうごに見ていたが、

やがてミリアにうながされるままとびらから出ていった。







~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~







セレスは、王宮の地下には初めて立ち入る。


ひんやりとした雰囲気ふんいきただよう石造りのかべゆか


案内してくれた兵士にうながされるまま地下の一室に入ると、

ベッドが二つ。


それぞれに布をかけられた何かが横たわっている。


かたわらには、書類の乗ったテーブルが一つと男が一人。


医療いりょう関係者のような格好をしている。


セレスがベッドに近づくと、男は静かに口を開き、


「心の準備はよろしいですね?」


とだけ言った。


セレスは、ゴクリとツバを飲みんだ。







こめかみの辺りに伝わるほど心臓の鼓動こどうが早くなり、

建物全体がれているかのような感覚でフラつきそうなうえ、

耳鳴りと頭痛までしてきていたが、

セレスは


「…はい。」


と、か細い声で答えた。




男がバサリと片方の布をまくった。


白と黒に色分けされたかたまりがそこにあった。


そのかたまりを見覚えのある父親の顔だと認識できるまで、

セレスには時間が必要だった。


白いのは、そっくりだと周りから何度も言われた顔立ち。


黒いのは、ツヤのある短く切りそろえられた黒髪くろかみ




父親のルザリーノの顔に間違まちがいなかった。




その首にはややななめに傷が入り、胴体どうたいからザックリと切りはなされていた。


傷口には黒ずんだ血がびっしりとこびり付いている。




セレスが視線を傷口からかたわらの男のほうに移すと、

男はもう片方の布をまくった。




母親のエストレアの顔がそこにあった。




美しい顔はまるで彫刻ちょうこくのようだが、

兄妹に遺伝しなかったブロンドの長いかみは乱れていた。




ねむっているような表情の白い二人の顔をしばらく交互こうごに見つめ、

セレスは、


「両親に間違まちがいありません。」


と男に告げた。




男はテーブルに乗った数枚の書類に何かを走り書きすると、


「こちらでもこれから検案、…つまり解剖かいぼうをいたしますが、」


と前置きし、


「男性のほうは首の鋭利えいり刃物はものによるり傷が、

 女性のほうは胸から背中にかけての鋭利えいり刃物はものによるし傷が、

 それぞれ死因だというのが、オルトエストからの報告です。

 それ以外に目立った外傷はありません。」


と事務的に言い、


「こちらにご署名をお願いします。」


と、セレスに向かって書類を差し出した。







~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~







地下での手続きを終えたセレスは、

謁見えっけんの間のとびらの前に兵士と連れ立ってもどってきていた。


自分でも意外だったが、両親の遺体と対面する前よりも頭は冷静だ。


「(この上り下りだけで明日は筋肉痛だな。)」


などと考えているほどだった。




しかし、この後のことを考えると気が重い。




謁見えっけんの間のとびらの前には別の兵士が一人立っており、


「ディクシフきょう、こちらです。」


と先に立って歩き出した。




案内された部屋に入ると、

そこには父と母の遺品がテーブルにずらりと並べられており、

フラン、ミリア、ラズリー、ブルーノが寄りうように立っていた。


こちらに気づいたフランがパッとり返り、すがるようにこちらを見つめてくる。




「…父さんと母さんに間違まちがいなかったよ。」


ふるえる声で何とかセレスが告げると、

フランはヒザからくずれ落ち、わんわん泣き出した。


胸には遺品を、白を基調とした法衣のような母の旅装束をきしめている。


母の旅装束の胸のあたりにはパックリと穴が空き、

その周りにはおびただしい量の黒く変色した血がこびり付いていた。




セレスはテーブルに並べられた遺品に視線をめぐらせた。


最初に目に入ったのは父のよろいかぶとだった。


母と同じく白を基調としたよろいかぶと


魔力マナの加護でおおわれる前提で作られているため、

それほどゴツいよろいではなく身軽なものだ。


その首元から下には、

こちらもおびただしい量の黒く変色した血がこびり付いている。


そのとなりにはさやに収まったけん

革製のかばん

下着類、

金貨の入った財布、

小型のピッケルのような道具、

それに…酒かポーションだろうか?

むらさき色の液体が入った小ビンが二本、

身分証、

母との結婚けっこん指輪、

…そして、


「これは…。」


去年の誕生日にセレスが父にプレゼントした、

火の魔石マナストーンのペンダントだ。


手に取ってみると、

ペンダントトップの魔石マナストーンとペンダントのチェーンがキラキラときらめき、

首をられたときに付いたのであろう乾燥かんそうした血が、

ポロポロとがれ落ちてセレスの手のひらにくっついた。




プレゼントを受け取ってニカっと笑いながら頭をなでてくれた父の顔、

それを見てニコニコと笑いながらパチパチ…と拍手はくしゅをしていた母の顔、

先ほど対面したばかりの白い父の顔と母の顔がフラッシュバックする。




不意にセレスの目から大粒おおつぶなみだがこぼれた。




へたりんで泣き続ける妹を強くきしめて、セレスは泣いた。




赤いカーペットの上で、二人のいくつものなみだが水玉となり、

やがて小さな染みとなっていく。




アミュラスの勇者』ルザリーノ・トレトス・ブランパーダと、

奇跡サザーニアの聖女』エストレア・ニーヴェ・ブランパーダは、

もうこの世にいないのだ。

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