第89話テロリズム
そして、仕事に出向く。情報局は忙しく動いていた。帝国1周年を祝う記念祝典の警備のためだ。ここにテロリストが紛れ込めば大変なことになる。
歴史においても、皇帝や君主を狙った暗殺事件は多発している。多くの場合は、それは政治的な少数派によるテロリズムの場合が多い。
例えば、ロシア帝国のアレクサンドル2世暗殺事件だ。
ロシア帝国の改革者として、農奴解放や司法改革、国立銀行の設立をおこなった名君はテロリズムに倒れたのだ。そして、ロシア帝国は彼の孫のニコライ2世の時代に革命が発生し崩壊することになる。
テロで歴史は動かない。ただし、時代の流れを加速することはある。
それが俺の考えだ。
実際、アメリカは911の同時多発テロで中東への介入を強めていった。そして、それが遠因となって世界唯一の超大国の地位が揺らぐ状況にまでなってしまったのだ。
他にも、サラエボ事件はイギリスとドイツの冷戦を熱戦に変えてしまいヨーロッパ全土を地獄に変えてしまった、
ヴォルフスブルクでテロが発生し、ウイリーを含む要人が巻き込まれた場合……
大陸は最悪の状況になる。
現在の状況は、複雑に絡み合った第一次世界大戦前のヨーロッパに酷似している。些細な火種ですら爆発する危険がある。
「局長、やはり旧ザルツ公国側にグレアから資金が提供されているようです。いろんな場所を経由して資金提供されているようです……なので、金額の多寡はわかりませんが」
やはりか。俺はムーナがまとめてくれた報告書を一気に読んだ。
「かなり危険な火遊びだな。この報告書をすぐに中央に回してくれ」
「わかりました」
「あと、グレア帝国大使と接触を図りたい。なにか、方法はないかな?」
「公式にですか? それとも非公式に?」
ウイリーとアルフレッドからは、この件については自由に動いていいと言われている。
だが、公式的に会見するのは外務省を飛び越えての行動だ。あまりにもスタンドプレイがすぎるな。それもこの内容を公式にしてしまえば間違いなく火種が大きくなる。
「非公式にだ」
「であれば、大使は夜な夜なバーに入り浸っているという情報があります。そこに偶然居合わせることで接触なさってはいかがですか?」
「どのルートから入った情報だ?」
「課員の酒好きの若い子たちです。高級なバーで何度も目撃されているようです」
ムーナは、間違いなくこの半年で成長している。こういう些細な情報もしっかりと抑えてくれるのはありがたい。
「わかった。ならば、ウィスキーでも飲みながら語り明かすとするか」
※
俺は大使がよく使っているバーに来訪した。事前情報通り、大使はカウンターで酒を飲んでいる。グレア帝国のウィスキーだ。
「お隣、よろしいでしょうか?」
俺はあたかも偶然を装い大使の隣の席に腰かけた。
「どうぞ」
大使は、少しだけ驚きながらも、俺をにこやかに出迎えてくれた。
「お飲み物はいかがいたしますか?」と聞く店主に「お隣の紳士と同じものを」と注文した。
「おやおや、よろしいのですかな? 私が飲んでいるのは、海のウィスキー。癖が強く潮の味がする」
なるほど、俺の世界で言うところのアイラ・ウィスキーか。
ならば、大好物だ。
「海洋大国のグレアにふさわしい特徴ではありませんか、閣下」
「閣下はやめてくれ。ここにはひとりの老人として来ている」
「では、私も軍人ではなくひとりの若者です」
「ふむ、おもしろいな。今日は、どうしてここに?」
「博識な紳士がいるという噂を聞きつけまして」
「ローザンブルク皇帝を酒の席で篭絡したうわさは聞いているよ」
「それはどうも。実は、博識な紳士にご教授いただきたいことがありまして」
「ほう。だが、授業料は払ってもらわないとな」
「ええ、もちろん。マスター? こちらの紳士に、ウィスキーのお代わりとオイルサーディンを」
オイルサーディンとは、イワシのオイル漬けである。
潮の味がするアイラウィスキーには、海産物との相性が抜群に良い。
「なるほど、よくわかっているようだな」
とりあえず、話は聞いてもらえるようだ。
俺は、提供されたウィスキーを一口なめた。塩の風味、スモーキーさを追求した味わい、そして、チョコレートを思わせる甘みを堪能する。
これはうまいな。
「それで何を聞きたい?」
「首脳部は、戦いを望んでいるのですか?」
もちろん、グレア首脳部のことだ。
「キミはどう思う?」
「あの英邁な宰相閣下ならそうは思わないでしょう。ですが、首脳部はなかなか一枚岩にはいきません。自分の出世や功名心を抑えることができる者は少ないでしょうから」
「うむ」
「しかし、火遊びが過ぎるのではありませんか? 下手をすれば軍事的な挑発以上のメッセージです、あなたがたがやっていることは……」
「では、私に何をさせたいのだ?」
「大人しく旧ザルツ公国領から手を引いてください。これ以上の火遊びは大陸全土を焦土にする可能性すらあります」
「だろうな」
煮え切らない態度を続ける大使に少しだけイラつく。
「お話を繋いではいただけませんか?」
「ならば、こちらからも質問だ。この冷たい戦争が終わった後のことをどう考えている?」
大使は試すようにこちらを見つめた。
※
「冷戦の終結後ですか……」
「そうだ。あくまでも仮の話だが、このまま水面下の対立だけで本格的な戦争が起こらなかった場合の話だ」
「おそらく、どちらかの大国が経済的に耐えきれなくなって、経済的に崩壊しているでしょう。そして、残った方が覇権国家となる」
「そうだな。そして、覇権国家は大陸唯一の超大国となるのだ。その覇権国家の法や通貨が世界の基本となり、超大国が一番有利な国際秩序が誕生する」
「しかし、ひとつの超大国が長くその座にとどまれることはほとんどありません。常に、どこかの国や組織がその超大国と対立します。そして、その小競り合い中に、対抗馬となる新しい大国が生まれるのが歴史の常です」
実際に、俺の世界でもローマ帝国、モンゴル帝国、アメリカ合衆国が唯一の超大国に該当するだろう。
ローマは、ゲルマン人の大移動に悩まされて国力を衰退させていった。
モンゴル帝国は圧倒的な支配地を誇ったが、周辺諸国との対立や親族間の後継者争いによって分裂し、帝国の中核であった中国は反乱軍のリーダーであった明朝の建国者・朱元璋に奪われることになる。
アメリカ合衆国も、イスラム教原理主義者との宗教戦争に巻き込まれ、泥沼の中東の地に引きずり込まれてしまい、中国の台頭を許すことになった。
これらの事例からもわかるように超大国の寿命は意外と短いことが多い。
おそらく、こちらの世界でもそういう考えを持っているということだろう。
大使の経歴を考えれば、彼は宰相派閥の人間だ。つまり、グレア帝国主流派の考えだろう。
彼は、ウィスキーを飲みながら「そうだな。超大国は意外と利益が少ないのじゃよ」と笑っていた。
この言動から考えれば、グレア首脳部はこちらとの決戦を望んでいないのだろう。共倒れになる可能性も高いし、仮にグレアが勝利しても国力以上の責任とリスクを背負うことになることを望んでいない。大使はそう暗にほのめかしているのだ。
できることなら、このまま冷戦関係を続けた方がメリットが大きい。
そういうことだろう。
そして、その主流派の考えとは真逆のことが起きている。つまり、反主流派が旧・ザルツ公国幹部たちを支援しているということだろう。
「よくわかったような顔をしているな、キミは?」
「ありがとうございます。大切なヒントをいただきました」
「ほう、それはよかった」
大使はあえて情報を流したのだ。
「非主流派が陰謀の糸を引いている。こちらとしても、その活動は不本意なのだ」と。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます