第86話学者再び
なにが発端だったんだろう。きっと、ムーナ大佐を慰めたことだろう。
だから、こんなくだらない夢なんて見るんだ。
忘れたくても忘れられない嫌な昔の夢。
「おい、どうなっているんだ。この大馬鹿野郎っ!!」
新卒で入った会社は、まさにブラック企業だった。サービス残業なんて当たり前。古い制度の会社でハラスメント防止なんて口だけだった。
社員は皆、死んだ目をしていた。俺もそうだった。でも、守りたい者もあったんだ。
俺によく懐いてくれた後輩の女の子。
でも、そんな彼女を俺は守り切れなかった……
そして、俺はニートになったんだ。
※
「センパイ? 大丈夫ですか?」
妖精の声で目が覚めた。ここは会社じゃなくて、官舎の自分の部屋だ。妖精と一緒に食事を済ませて、疲れたから早めに寝たはずだ。
「ああ、大丈夫だよ」
「うなされていましたよ。ずっと……嫌な夢でも見たんですか?」
「そうかもしれない。今、何時かわかるか?」
「えっと、朝の2時くらいですね」
「丑三つ時か。縁起が悪いな」
「無理しないでくださいね。ここ最近、新しいお仕事もあって疲れていたみたいですから」
「うん、ありがとう」
「本当に大丈夫ですか?」
「ああ」
「じゃあ、何で泣いているんですか?」
彼女に言われてから、自分が泣いていることに気づいた。理由もなく、涙は流れ続けていく。止めることはできない。
「なんで?」
「無理しているからですよ。大丈夫ですよ。私はどこにも行きません。ずっと先輩と一緒です。だから、つらい時は甘えてくださいね?」
そう言うと、彼女は小柄な体で、俺を包んでくれる。美しい髪からはこの世のものとは思えないほど甘い香りがした。
「ごめん……」
「大丈夫ですよ。私たちはもう共犯者です。どんなときだって一緒ですからね」
彼女の体温はとても温かい。その温かい体が俺の凍りついた心を溶かしてくれていた。
「ありがとう、ターニャ」
「落ち着いたらホットミルクを作ってあげますよ。安眠効果もあるらしいですからね」
「まるでお母さんみたいなことを言う」
「こんな大きな男の子を生んだつもりはありませんよ」
そう言って彼女は腕をほどき、自由になった俺の顔を見つめた。
彼女の顔は、とても美しかった。月光によって照らされる彼女を、時を止めて見つめ続けたかった。
そして、俺たちはキスをする。何度目かわからないそのキスは、これから飲むはずのホットミルクよりも俺たちを温めてくれた。
※
俺が情報局長になって半年が経った。
仕事は順調に進んでいる。これなら両課長に後を任せて、前線に戻れるだろう。
俺は少し遅くなって食堂で昼食を取っていた。
「こちら、よろしいですかな?」
男の声が聞こえた。
「どうぞ」
俺は緊張しながら答えた。なぜ緊張したかと言えば、声の主が因縁の男だったからだ。
「これはこれは、クニカズ局長。お久しぶりですな」
「ポール局長こそ、お久しぶりです。ご無沙汰しております」
一応、恩師のようなものだ。学生時代に戦術シミュレーションで、戦略の大家だった彼をボコボコにしてしまいそれ以降は音信不通になっていた。
「そんなにかしこまらないでいいよ。もう、僕は終わった人間だ。キミとは違ってね。藍は藍より出でて藍より青し。よく言ったもんだ。もう、僕のことを戦略の大家だという人はいない。キミというホンモノをみんなが知ってしまったからね。まさか、教え子に階級まで並ばれてしまった。僕はもう情けない男なんだよ」
「そんなことをおっしゃらないでください。軍務省ナンバー3の軍務局長が言うべきセリフだとは思えません」
そう、彼は一応出世していたのだ。大佐から少将へ。もともと騎兵運用の専門家であり、軍のトップエリートだ。
「ふん。お飾りの軍務局長に何の権限がある? アルフレッド次官や女王陛下は、俺の考えた作戦など間違いなく採用しない。上が求めているのは、キミが作戦課長時代に作り上げた戦略教義をより具現化することだ。キミの考えた通りに運用できるように……こちらからの提案などほとんど採用されない。これが元・作戦の神様である僕の今なんだよ」
卑屈になっているのに、さらに攻撃的だ。めんどくさい。
「過分に評価していただいてありがとうございます」
社畜時代に鍛えたスルースキルを活かす場面だ。
男の嫉妬に狂っている奴なんて相手にするだけ無駄だ。すでに、アルフレッドも彼のことを問題視していて、次の人事で予備役入りさせて、軍務から離れさせることになっている。
まぁ、そんな状況になっているんだから嫌味の一つでも言いたいんだろう。ここは大人しく聞いてやろう。
「くそが……」
嫌味を華麗にスルーされて、ポール局長はイライラしていた。
「それでは失礼します。お互いに国家のために頑張りましょう」
去り際に少しだけ毒を添えた。私欲に狂っている彼には痛烈な批判になるだろう。
すべてを相手にしないのは、「お前とは同じ土俵に立つつもりない。ライバルなどには成り得ない」というメッセージだ。
俺が食堂から出ると、背中から食器をひっくり返して激高する彼の声が聞こえた。
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