第2話
ガントウは墓守の家系だった。閉鎖的な村では、彼の父親もそのまた父親も墓守だ。幼いガントウは父親の夜警に同行しながら、村に伝わる沢山の御伽噺を聞いていた。
「“影喰らい”に気をつけろ。あいつらは、生者を
「でも、マンドレイクが欲しいなら会いに行かないといけないんじゃないの?」
「ハハッ、よく覚えてるな。だから、マンドレイクなんて求めない方がいいんだ。死肉を糧に育つ草……なんて気味が悪いだろ?」
村の住民にとって、影喰らいやマンドレイクは寝物語の中だけの存在だった。子供を躾ける時に名前の出る怪物の存在を、大人になってまで信じ続ける者が少ないのと同じだ。
ガントウの父親は違った。夜景に繰り出すたびに焚き火の煙や拾った石の形で吉兆を占うような人間が、伝説の存在を信じないわけがない。
「……土が煤けて、真っ黒だ。ガントウ、じきに悪いことが起きるかもな」
「俺に?」
「いや、この村そのものにだ。気を付けろよ」
ガントウには無二の友が居た。隣の家に住む親友は生まれた時から身体が弱く、外に出ることは滅多にない。故に、ガントウは父親から聞き齧った御伽噺や外の世界の話を聞かせることで交流を行なっていた。
「それで、影喰らいは人間の魂を……」
「ガントウ、いつもありがとう。でも、今日はこの辺りにしない? もう夜も深いし、明日の楽しみがなくなるよ」
親友は長い髪を垂らし、やつれた顔を隠していた。髪の隙間から覗く青白い肌は数日前より生気を感じさせず、時折繰り返す咳は段々と強くなっている。ニコニコと笑う親友の唇は、悔しげに震えていた。
「なぁ。この前に話したマンドレイクの伝説、まだ覚えてるか?」
「忘れるわけないよ。そんな薬があったら外に遊びに行けるね、って話してたじゃないか」
「……それ、取ってきてやるよ。食えば、お前も外で遊べるようになるだろうから!」
「いや、危ないよ!? 危険がある、って言ったのはガントウだろ!?」
親友の制止も聞かず、ガントウは真夜中に旅に出た。父親の部屋から拝借したマスケットを片手に、無謀な勇気だけを背負って。
荒野から山道に出れば、枯れた草木が荒々しい岩肌へ変わっていく。登る朝日を背に、彼は山脈の頂へ登り続けた。頭上を飛ぶ鳥のどれが“影喰らい”なのか想像しながら、ガントウは中腹へ辿り着く。
中腹に居たのは、漆黒の体を持つ巨大な鳥の群れだ。1匹1匹が幼少期のガントウの数倍大きい体躯に気圧されながら、彼はマスケットの引き金を引く。
「……さっさと寄越せよッ!」
無謀だった。銃は無惨に空を撃ち、ガントウは衝撃で山道を転げ落ちる。一発も食らわせることができなかったのだ。歴然とした力の差に愕然としながら、彼の身体は夢の薬から遠ざかっていく。
転がり落ちた先にあった洞窟で身体を休めながら、ガントウはマンドレイクを手に入れる方法を考え続ける。不意打ちか、懐柔か、それとも……。そんな堂々巡りの考えを打ち破ったのは、洞窟内にいたもう一体の生物だ。
群れを追われた、影喰らいの雛がそこにいた。翼は傷だらけで、小さな赤い瞳が闇の中でキョロキョロと泳いでいる。
ガントウは少しばかり怯えながら、小さな命をしっかりと観察する。雛とはいえ、幼少期のガントウと背丈はそう変わらない。それでも、今の彼が対峙するには十分だ。銃を構え、息を潜める。撃て、撃て、撃て。撃たなければ、親友は死んでしまう。
その瞬間、まるで遊び相手を見つけて微かに笑うかのように雛が小さく
「……お前ッ!?」
見る見るうちに傷を癒した影喰らいは、ガントウを挑発するかのように翼を広げ、飛び立つ。彼が慌てて銃を構えたのを見計らい、追ってみろと言わんばかりにゆっくりと進んでいく。
「おい……おいッ! 待てよッ!」
追跡は三日三晩続いた。影喰らいが木の上で休めば、ガントウは木を登ってそれを追う。岩陰でガントウが休めば、その上を挑発するかのように旋回するのだ。
村を出て5日が経ち、6日目の朝が来た。追いつかれて大の字に倒れたガントウを憐れむように、雛は群れの巣からくすねたマンドレイク塊を投げ渡す。
「ふざけんな、情けをかけたつもりかよ……。俺が求めてるのはお前の胃の中の種だ。なのに——」
ガントウの視線を無視し、影喰らいは空を見上げる。太陽が、登っていないのだ。
異変に気付いた彼がふと荒野を見下ろせば、そこに広がっていたのは“死”だ。突如として広がった瘴気が、地上を地獄に変えている。
頭より先に、身体が動いていた。投げ渡された塊を手に、ガントウは全ての気力を帰還に費やす。
少年の凱旋を出迎える声はなかった。村を襲った瘴気は老人を殺し、女を殺し、男を殺す。地面を転がる無数の死体を跨ぎ、ガントウは真っ直ぐに親友の家へ向かう。マンドレイクさえあれば、迫り来る死から身を守れる!
家の前にかかった黒い幕を無視し、親友の待つベッドに向かう。階段を上り、ドアを開け——旅の目的は、眠るように死んでいた。
あの日、躊躇せずに雛を撃ち殺していれば。村に帰るのが少しでも早かったなら。この村が滅ぶことはなかったのかもしれない。ガントウは家族の墓を、村人の墓を、親友の墓を建てながら、そんな事を考える。
生き残ってしまった。死ぬのが怖かったのだ。親友に渡すはずだったマンドレイクを泣きながら嚥下し、埋葬を続ける。墓守が死ねば、誰が人々の死を覚えていられる?
埋葬の日々に変化が訪れたのは、村が滅びてから数日が経った夜だ。親友が眠る墓の上を飛び回る影喰らいを発見し、ガントウは銃を持って忍び寄る。『影喰らいは魂を奪う』という御伽噺が、彼の脳裏を延々と支配し続けていた。
そこには、親友の姿があった。長い髪を風で靡かせ、健康的な肌を暗い闇に映えさせる。そして——その瞳は赤く輝いていた。
その瞳を知っている。その表情を知っている。ガントウの心を、どす黒い感情が支配した。
「……殺してやるよ、全部」
マンドレイクは、死を覆さない。
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