「沼」「指物師」「お金」|三題噺

霧縛りの職工

沼地の細工師

(前編)細工師は依頼を引き受けた

「ご依頼先をお間違えではねぇですか?」


「いえ、依頼主は間違いなく貴方様の化粧箱をお求めです」


 男は顎髭をなでつけ首を傾げながら問いかけたが、商人は至って真面目な顔で答えた。


「装飾のための化粧細工をお求めというわけでもなく?」


「はい、依頼主は貴方様のお造りになられた化粧箱をお求めで御座います」


 念押しに商人は応えるが、男にはやはり何かの間違いに思えてならなかった。なぜなら男は職人と言えど箱物を売ったことなどない。もっぱら作っているのは弓や矢、なめし革といった狩りの道具、そして趣味の延長の骨細工だ。男は一介の細工師だった。


 依頼主は遠方の富豪らしいのだが、なんと蓄財を納めるための箱が所望の品だった。その集めた金銀財宝でお抱えの職人に発注すれば相応のモノが手に入るだろうに、この物好きな商人が細工師から仕入れて売った骨細工をえらく気に入ってしまったのだそうだ。


 素材の調達にかかる費用含め富豪が負担するがその分出来得る限りの傑作をと要求されている。


 傑作をと言われても事実細工師の商売相手はもっぱら昔なじみの狩人達なのだ。


 細工師は沼地の畔に移り住む以前、山地をかき分け狩猟に勤しむ狩人をしていた。その頃には拾い集めた木々や石材、仕留めた獲物の骨や皮の売れ残りで小道具を作るのは実用を兼ねたただの趣味だった。


「しかも指物ときたら、いくらなんでも畑違いですぜ」


 指物というのは書いて字の如く、"指で正確に測った" 平板に切れ込みを入れ組み上げる棚や箱類の事だ。材料は大抵木材を用いる。材料として扱ったことがあるとはいえ、"その精度で加工したことがある" というのとはまったく別の話である。


「依頼主にお売りした品は指物とまではいかなくとも獅子山羊の骨を割って繋げたなかなか上等な小箱でしたよ。目利きの確かなお方でしてね。必ずやその真価を見抜いていただけると信じておりましたとも」


 商人はほくほく顔で語り始める。


「貴方様のお作りになられる小道具はこだわりがよく現れておいでセンスもある。芸術的ではないかもしれんですが、実用性を意識した機能美と身の回りの自然から得た着想を潜ませる遊び心がございますな」

「依頼主がご所望されているのはあくまで貴方様が自身の力で組み上げた指物です。私としては是非お受けになられるのをオススメ致します」

「これだけの前金があれば足りない材料も、お申し付け下されば私の方で調達できるでしょう」


 言って机の上の硬貨袋を指す。


 細工師はいくばくかの逡巡のあと、富豪の手紙と証書、そして前金の額を確認して依頼を引き受けた。期日は富豪がこの世を去るまで。生前の内に遺産を納められること。


 動物の骨で組み上げた箱に入れて自分の遺産を後に継ごうなどと、細工師に理解できることではなかったが、どう使うかは感知することではない。何に惹かれたのかというと細工師にとっても一概に言えないところだが、要は興が乗ったのだ。




 細工師が道具作りへ傾倒するようになったのは、使う矢尻や革袋の出来栄えに気付いた仲間が猟の道具製作を依頼したのが1つの転機だった。


 もののついでと素材や貨幣と交換で引き受けていた取引だったが、いつしか猟に出るよりも製作からの収入が上回っていた。猟に出る時間が減って家にいる時間が増えると、思い至った細工師は少し大きな骨細工に手間暇をかけるようになる。細工師の作品が嗜好品として旅人や商人の間で評価を集め買い手がつくようになるのはそれからしばらく経ってのことだった。


 狩り場にしていたのは大陸中央に向かってそびえる高々とした山脈の裾だったが、沼地はその急峻な谷間の底にずっと存在していた。沼地には広大な水系から雨水が流れ込み、黄金樫の流木や鋼爪熊や鋸角鹿といった骨や革が便利な素材になる生き物の遺骸もたどり着く。山嶺で育まれた土壌が流れ込み、沼地自体にも危険な生き物や草木が分布して、知る人ぞ知る素材の集積地になっていた。


 狩りに出るのがより良い品作りのための素材集めのためになり、目的と手段が入れ替わり始めた頃だった。細工師はこの深い谷間の底、広がる沼地に素材の山が広がっていることに気がついた。


 嶺に囲まれまともに陽光が差し込むのは、1日のうち谷間へ日が向くおよそ数時間ほどのその鬱蒼とした暗がりの中、淀みの底に細工師は新たな居場所を見つける。細工師が沼地の畔に拠点を構えたのは何年も前のことだ。


 村にも住居は残していて、戻っては作った品を売り食品類に換えて暮らしを立てる一方、時には沼地の方にまで商人や沼地に入ろうとする元同業者が訪れる様になった。


 だから納品依頼が舞い込むことは然程珍しくもなくなっていたのだが、それにしても富豪の依頼は例外的で、その分破格の報酬が約束されていた。




 依頼を引き受けたからには細工師としても手は抜けないのが性分だ。構想と試作に数ヶ月をかけたが相応の品にはなりそうになかった。


 比較的安全な沼地の外縁で手に入る遺骨からではどうしても強度や大きさにばらつきが出て、一個の箱細工として成立しなかった。覚悟を決めた細工師は、もっぱら売り払っていた装備の類を自分用に仕立て直し、谷間の奥地へと向かうことに決めた。


 常日頃徘徊している畔のさらに奥地だ。


 ーー商人は足りない材料を買い足してやると言っていたが、俺はこの山の素材で仕事をしてきた。それで舞い込んだ依頼なのだ。だったらこの山の素材で答えてやるのが筋じゃないか。


 目利きの富豪が自分の技を見込んで出した依頼に、細工師は自分にないと思い込んでいた仕事への誇りが沸き立つのを感じていた。


 豊かな自然の中にはそれを享受して育った厄介な猛獣が生息している。中でも沼地の主とも言われ遺骸さえ滅多に手に入らない「熊喰らい」とも渾名される竜顎鰐、水場においては山地に生息するどのケダモノでさえ噛み砕き食い散らせるその巨大な鰐の骨格こそが細工師の狙いだった。


 細工師は死と隣り合わせの危険域に踏み入った。

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