『感動の再会』
ホワイトエンドミル社本社ビル外殻A28。太平洋を埋め尽くす瓦礫の遥か上。無数の防衛施設に守られた一室に上級個体はいた。
「やはりトイレの個室が一番安心するナ」
便所である。2512年のプライバシー闘争にて、労働者たちは思考制御の禁止までは勝ち取れなかった。しかし短時間のトイレ滞在中における不干渉権の獲得に成功する。トイレ内部は既に古くなっており、既に使えないボタンが数多付いた便器の上に上級個体は座っていた。個室の仕切りも壊れており隙間風が吹いている。だがこの中は思考制御も及ばぬ、自分が自分でいられる聖地であった。
もっとも名無しのチンパンジーを捕獲したこの上級個体は現在、最高位執行者に任命されている。それ故に「ホワイトエンドミル社を害しない」という条項以外の思考制御は取り外されていた。だがやはり自分が自分に戻れるこのトイレという空間が好きな上級個体であった。
『エマージェンシー、エマージェンシー! 転移者の襲来を確認、転換砲により第2防衛線崩壊!』
『内部がハッキングされています! 転換砲発射不能! 制御奪還を開始します!』
『浄化街から肥兵を出撃させろ!』
『禁忌兵装モドキをやつら装備しています!』
遂に転移者が攻めてきたらしく、けたたましい警告音と破砕音が響く。それだけの事が起きてなお、トイレにいる間は干渉されない。それがルールだからだ。遂に終わりが来たか、と上級個体は天井を仰ぐ。この戦い、勝っても負けてもホワイトエンドミル社の野望は断たれる。施設に被害が出て、修復材に限りがある以上今までの状況を維持できない。西暦以降を破壊する前に本社が機能停止するほうが先だろう。
つまりこれは終始、転移者たちが己の時代に帰還できるか、というだけの勝負なのだ。生まれてから終ぞ希望が無いまま終わりを迎えるのか、上級個体がそう思っていた時だった。隣の個室からゴン、と音がする。トイレの扉を開けた音はなく、まるでそこに急に現れたかのような感じであった。
恐らく自分と同じくこの状況から一瞬でも逃れようとしている者なのだろう。上級個体は少し共感しながら再び自分の世界に戻ろうとする。彼がこの個室にいることが出来るのもあと10分が限界だ。最後のゆったりとした時間を過ごそうとする上級個体の鼻に何かが襲い来る。
焼けた肉の匂いだ。
隣からはうっすらと煙が流れてきて、ジュー、と何かが焼ける音がする。26歳の時に食べて以来数百年口にしていない肉の匂いに、思わず上級個体の口から言葉が零れ落ちる。
「私にも分けてもらえないカ?」
相手が誰かもわからない。この時代に肉なんて食べられる時点でまともな人間ではない。それでもわずかな可能性にかけたその呟きに、隣の人物は気軽に答えを返した。
「いいですよ。お皿とかありますか?」
若い男の声だった。上級個体の手元にあった、比較的綺麗な金属板を壁の穴に差し込む。何かが置かれた重みを感じて引くとそこには3枚の焼かれた合成肉があった。金属板の上全てを占拠するその合成肉に上級個体はたまらず叫ぶ。
「3枚!?」
「お腹が減ると思って」
隣の男の声も耳に入らない。恐る恐る肉を一枚指でつまみ、口に運ぶ。鼻にあの匂いが浮かぶ。戦争中であったがたまに1枚だけ合成肉が食べられて、戦果を挙げれば有給休暇が使えたあの日々の匂いが。口に運ぶと合成肉の油が口の中に広がり、久しく眠っていた味覚をたたき起こす。塩すらない素材そのままの味ではあったが、化学薬品の風味がしない食事に涙が零れ落ちる。続けざまに肉を口に入れてしまい、そして後悔する。もう無いのだ。人生で食べられる機会は無くなったのだ。
「結構うまいなぁ。あ、お代わりいりますか?野菜もありますよ」
「お代わり!?」
もう疑問をかなぐり捨てた上級個体は、空っぽになった金属板を壁の穴に差し込む。すると直ぐに重みが増える。そこにあったのは数枚のレタスと先ほどより分厚く切られた合成肉だった。上級個体はもう何も考えずそれらを口に運ぶ。貴重な時間が一瞬で過ぎ去り、しかし上級個体の心は深く満たされていた。個室に籠ることが出来るのもあと2分ほど。最後に感謝を述べるべく上級個体は隣に話しかけた。
「感謝すル。数百年ぶりの肉、心が満たされタ」
だがその感謝に対する返答は奇妙なものであった。
「これくらいでですか? 焼肉食べ放題とか行ったことは……」
「待てなんだそれハ」
「120分の間肉が無限に運ばれてくるんです。あ、勿論天然ものですよ。それをお腹いっぱいになるまで食べるんです」
「なんと羨ましイ」
その羨望は上級個体の心の奥底から出てきたものであった。もしそのような状況に至れるのであればもう死んでも良いと思える。戦争と業務に明け暮れた彼の人生において、そのような贅沢は正に夢であった。
「戦闘ばかりに身を置いていてナ。戦士としては大成したのだろうガ、そのような一般的な幸せを得ることなく過ごしてしまっタ」
ああ、だから自分はここまでこれたのかもしれない、と上級個体は思う。同期が戦闘部隊から離脱し、普通に働いて普通に美味しい物を食べて普通に結婚して普通に遊んで。第4次企業群戦争が終わり自身以外の同期は生き残っていなかったがどうしても彼らへの劣等感がぬぐえなかった。それを戦いにぶつけた結果が今の上級個体だ。
だが最後の最後で少しそれを取り返せた気がした。合成肉はいくら金を積んでも1日3枚までと統制されていた。今の自分はどうだ、たった数分でその倍を楽しんでいる。
「心残りはなイ。さらばd「そんなに食べたかったら一緒に行きませんか?」……何?」
隣の個室から聞こえる言葉で扉にかかった手が止まる。時間はあとわずか、もうトイレから出なければならない。それでもその誘いはあまりにも魅力的だった。
「なんか涙すすってるし、そんな食べたいのならどうですか?」
がちゃりと隣の扉が開かれる音がする。たまらず上級個体は飛び出した。間もなく再度の思考制御が始まり自身は死を迎える事となる。それでもその誘いを無下にすることはできない。言葉の主が何者か、本当にそんなことが出来るのか。それを確認するために上級個体は声の方に顔を向ける。
そしてトイレの通路で二人は再会した。
「……え、上級個体?」
「『†最後の英雄†』……?」
沈黙が場を支配する。目の前の男は以前と同じく禁忌兵装を付けている。それで全てを察した。どうして本社の転換砲がハッキングされたのか。それはこの男が反応塔で転移し内部から通信を中継していたからだ。そして焼肉食べ放題の意味も理解できてしまった。
確かに彼らに紛れて転移すればそれもまた可能なのだろう。しかしそれには数多のハードルがある。苦虫をかみつぶしたかのような表情で上級個体は銃剣を仕舞ったまま彼に背を向けた。未だトイレ内、戦闘をする義務はない。
「検討しておク……! 焼肉食べ放題!」
呆然とする田中太郎を他所に彼は一旦外に出る。そしてトイレから出た瞬間。思考制御が彼の脳を支配し、銃剣の切っ先がトイレ内部の田中太郎に向けられた。
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