第10話


 今回、家畜を襲った狼に関しては、幾つかの可能性が思い当たる。

 修練の一環として魔物と戦う事が多い竜神官は、当然ながら一般の部族の民よりも魔物に関する知識は豊富だ。

 そう、今回の件は、単なる賢く大きな狼が相手なんかじゃなくて、魔物の仕業だろう。

 でなければ、部族の狩人が対処できない筈がなかった。


 魔物とは、尋常ならざる力を持った魔性の獣だ。

 並の獣よりも体躯が飛び抜けて大きかったり、サイズに見合わぬ膂力を持っていたり、見た目に反して知能が高かったり、姿を消す等の特殊な力を秘めていたりする。


 自らの存在を隠せる能力を持つ魔物が相手ならば、部族の狩人が出し抜かれるのも無理はない。

 多くの魔物は自分より弱い人間を餌として認識してるから、部族の狩人に被害が出ず、家畜のみが犠牲となっている今回の件はかなり特徴的だ。

 そういったコソコソと潜んでは特に弱い獲物だけを狙う性質を持ち、尚且つ狼の姿をしてるとなれば、対象は大きく絞り込める。


 恐らく今回の件は、自らの影に溶け込み姿を隠す事ができる魔物、影狼の仕業だと思われた。

 他にも並の狼が、オレの知らない寄生型の魔物に身体を乗っ取られた可能性も皆無じゃないが、確率としては頭の片隅にでも置いておけば十分な程度だ。


 影狼は東の、黒地竜の御山に群れて棲む魔物の一種だが、何らかの理由で下に降りてきてしまったのだろう。

 一頭、或いは少数のみで群れを離れたとなると、群れのボス争いに敗れた個体かもしれない。

 そしてそのまま家畜が飼われている場を見付け、容易い獲物だと味を占めたといったところか。

 実に不幸な話だった。

 襲われた家畜や、その世話をしていた羊飼い達はもちろん、影狼自身にとっても。

 せめて平野の方に移動すれば、オレに狙われる羽目になんてならなかったのに。

 あぁ、尤もその時は、別の部族の竜神官と戦う事になってた可能性も、決して低くはないのだけれど。


 まぁいずれにしても、御山から下りてきてしまった魔物は見逃せない相手だ。

 羊や山羊だけならともかく、牛に手出しをされてはマリクの立場が危うくなるし、影狼が図に乗れば、集落の女子供までもを狙いかねない。

 生きるべき場を見誤った愚かな魔物は、速やかに排除する必要があった。


 それに影狼の毛皮は鞣せばサラリとしていて肌触りがいいから、冬の寒さを耐えるには物足りないが、冷え始める秋風を遮るには丁度いい。

 まだ秋には少しばかり早いけれど、先に用意しておくのも悪くはない。

 隠れる場所に事欠かない東の御山で影狼を狩るのは非常に手間だが、わざわざ自ら下りて来てくれたというのなら、それを逃がす手はないだろう。



 オレはマリクに案内されて、狼が家畜を襲ったとされる現場を見て回る。

 影狼には幾つか特有の習性があるから、今回の件が本当に影狼の仕業であるかを確かめて、可能ならば居所も突き止める為だった。


 マリクは自分も襲われるんじゃないかとビクつきながら、家畜の飼育場を案内してくれたけれど、そんなに簡単に影狼が姿を現してくれるなら、オレとしては願ったりかなったりだ。

 狡猾な影狼が人間を、それも大人の男を襲うのは、家畜の数が減って狙い難くなった後だろう。

 人間の男は体重はともかく、背丈は他の生き物の体高に比べて高くなるから、獣から見れば実物以上に大きく見える。

 故に堂々としていれば、影狼もそう簡単には襲ってこない。

 しかしこれが子供が相手となれば話は全く変わってくるので、影狼が集落に近付く前に仕留める必要はあった。


 影狼は自らの影に姿を隠せるし、その際に息絶えた獲物も引きずり込めるが、その状態ではジリジリとしか移動ができない。

 だが近くに物影があれば、その影を伝う事で四足で走るよりも素早く移動ができた。

 鉱物が豊富な東の御山はゴツゴツとした岩陰が多く、影狼が隠れ潜み、移動できる影が非常に多い。

 なので影狼の発見は非常に困難となるけれど、顎の谷は夏の真昼となれば強い陽光が差し込む為、隠れ潜める場所は限られる。


 現場には獲物である羊や山羊を襲い、噛み殺した痕跡は残っていたが、その場で食い散らかした残骸も、引き摺り持ち去った跡も残っていない。

 やはり家畜を襲ったのは影狼で、獲物は殺した後に影に引き込んで持ち去ったのだろう。

 そうなると移動は物影伝いになるから、逃げる方向は限られる。

 幾ら姑息で知能が高くとも、自らの能力に根差した習性、生き方は簡単には変えられないから。


 現場に残された足跡のサイズは一種類のみ。

 つまり数は一頭だ。

 これならまぁ、解決に時間は然してかからぬだろう。



 物影を追って、オレは影狼が巣としているであろう場所を探す。

 幾ら相手が隠れ潜む能力を持っていようが、顎の谷はオレ達の部族が生活する場だ。

 地の利は完全にこちらにあった。


 そして日が傾く前に見つけ出したのは、いかにも影狼が好みそうな、岩棚の裂け目が造る小さな洞窟。

 奇襲を警戒しながら中を覗けば……、あぁ、思った通りに獲物を喰った残骸が残っており、独特の匂いが立ち込めている。


 洞窟の地面を確かめると、影狼の物と思わしき足跡も見つかった。

 ただ予想外な事に、家畜の飼育場で見かけたもの以外にも、小さな足跡が一つ、二つ、三つ。

 ……どうやら影狼は、子連れだったらしい。

 東の御山で群れを出て、いや子連れで移動するくらいだから群れが何らかの理由で壊滅し、このまま己だけでは御山で子供を守れぬからと、下に降りて来てしまったのか。


 ならば恐らく、姿はどこにも見えないが、この巣穴と化した洞窟に親子の影狼は今でも潜んでる。

 接近するオレに気付いたが、子連れでは逃げる暇なく、親も子も自らの影に隠れ潜んで、なんとかやり過ごそうとしているのだろう。

 注意深く辺りを探れば、隠れ潜む獣の気配を確かに感じた。


 彼らの境遇を想像すると何ともやり難いけれども、それでもオレが守るのは部族の生活で、影狼達の未来じゃない。

 オレは意を決し、大きく息を吸い込んだ。

 竜の息による光と熱で、彼らを隠れ場所からあぶり出す為に。

 隠れる場所さえ奪ってしまえば、影狼を仕留める事は、オレにとって容易いから。


 けれどもその時だった。

 スゥっと巨体の狼、成体の影狼が影から這い出て姿を現し、オレの前に立つ。

 それが父狼なのか、母狼なのかはわからないけれど、恐らくは己の子を守る為に。

 隠れ潜み、奇襲を加える事こそが戦い方である筈の影狼が、自ら姿を現したのだ。

 オレの注意を自分だけに向ける為に。


 ……それは高潔な覚悟に、オレには見える。

 子を守る親の愛に、僕には見える。


 あぁ、その覚悟を、愛を踏み躙った後に子供達を探し出し、禍根を断つ為に殺して回るなんて、オレにはできなくもないけれど、僕は酷く嫌だった。

 生存競争は仕方ない。

 でも他に道があるなら、折り合える点が見付かるのなら、そちらを選びたいとも思うから。


 だから、わかった。

 その覚悟に、応じよう。

 流石に成体の影狼が集落の近くで暮らす事は、見逃せない。

 親狼は必ずここで仕留めなければならない。


 だが子らは、逃がせば他の獣に狩られるだろうから、……集落で頭を下げて回れば、犬を飼う狩人が、興味を持って引き取ってくれる可能性はある。

 或いは竜神官の誰かなら、その威で影狼を従える事もできるだろう。

 きちんと幼体の頃から己の立場を躾ければ、共存の可能性は決して低くはなかった。

 流石にオレは、親狼を殺しておいて、子狼を飼おうだなんて図々しい事は思えないけれど。

 貰い手が誰もいなかったならば……。


 いずれにしても、その覚悟と愛に免じて、いや、負けて、子の命はなんとかして助けよう。

 そう誓って真っすぐに親狼を見据えれば、その意図が伝わったのか、それともそんな事は甘い幻想か、真っ直ぐにこちらに飛び掛かってきて、オレの鉤爪がその喉に突き刺さる。

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