第8話
竜神官の主な修練は、身体一つで御山のような難所に挑んだり、魔物を倒してその血肉を喰らう事だ。
僕が知るゲームのように敵を倒してレベルアップ、なんて単純な話ではないけれど、それでも厳しい戦いは自分を鋭く磨き上げてくれるし、倒した敵の血肉は喰らえば己の身体の一部になる。
但しそれは、最低でも第二階梯の試練を乗り越えた竜神官の話で、まだ鉤爪も宿らぬならば、魔物のとの戦いを修練とする訳にはいかない。
故に顎の谷の集落には、あぁ、恐らく竜を崇める部族の集落なら他もそうだろうが、近くに竜神官の為の修練所が整備されていた。
尤も修練所といっても、何らかの建物がある訳ではなく、平らに均された土の地面があるだけだ。
僕の知識で言うならば、運動場が一番近いだろう。
見習いの、と言うとアメナは嫌がるだろうけれど、まだ魔物と戦えず、仕事を割り振られる事のない竜神官は、ここで戦いの修練を積む。
他にも崖登りの修練場もあるのだけれど、まぁ今日はここでいい。
これまで散々修練に使った場所だけれど、僕の記憶を得た今は、ここを見る目が少し変わってる。
だって僕は、前世では碌に運動ができなかったから、こういった場所には本当に無縁だったから。
少しだけれど、物思いに耽ってしまう。
だがそれを好機と取ったか、或いは自分の存在を気に掛けられずに腹を立てたか、
「ヤァーッ!!」
突如としてアメナが声と共に打ち掛かって来た。
彼女が繰り出す拳は、速く鋭い。
あぁ、それだけを見れば、第二階梯の試練に挑めるだけの実力を身に付けたと、そう思えてしまうのだけれど……。
「軽い」
オレはそう言葉を吐き、アメナの拳を手で打ち払って、強く一歩を踏み込む。
そしてその勢いのまま、自らの肩を彼女の胸にぶつけ、弾き飛ばす。
そう、アメナの拳には、いや、彼女自身に、重さが足りない。
それは純粋に、アメナの体重が軽いってだけの意味じゃない。
あぁ、もちろんそれもあるのだけれど、彼女は速さと鋭さを重視するあまり、己の少ない体重をも攻撃に乗せ切れていなかった。
武器を使って戦うのなら、別にそれでも良かっただろう。
鋭い刃を手に持てば、その速さで敵を断ち切れる。
そうなれば一撃で敵を殺し切れずとも、出血を強いて弱らせ、それから仕留めるといった戦い方を選べる。
その手に鉤爪を宿しても、それは同じ事だった。
しかし手に武器を持たず、鉤爪を宿さずに魔物を殺すには、何よりも必要なのは攻撃の重さ。
命に届かぬ攻撃を速く鋭く繰り出したところで、魔物を殺し切る事はできやしない。
そのうち疲れに動きが鈍れば、魔物の反撃はアメナを殺す。
また仮に運良く、首尾よく第二階梯の試練を乗り越えれたとしても、今の戦い方のままでは第五階梯の試練は絶望的だ。
ワイバーンを空に逃がさず戦う為には、その動きを潰せるだけの攻撃の重さが、どうしたって必要になるから。
動きの速さと鋭さは、彼女の武器だ。
特に身の軽さからくる速さ、例えば跳んだ中空での動きや反応は、オレだって及ばないだろう。
だから武器は今のまま、或いはより磨きを掛けつつ、攻撃に重さを備える事がアメナの課題だった。
軽さと重さを両方とも兼ね備えろなんて、我ながら矛盾した言葉だとは思うけれども。
……あぁ、だがもう一つ、負けん気の強さも、彼女の大事な武器かもしれない。
弾き飛ばされ、地を転がりつつも倒れ込まず、そのまま跳ね起きてこちらを睨みつけるアメナに、オレはそんな事を思う。
そのまま、日が空を朱に染めるまでオレはアメナと訓練を続けた。
夏の季節は昼間は熱いが、日が御山の向こうへと沈み始めれば、谷を吹き抜ける風が心地良い。
完全に暗くなってしまう前に、水でも浴びて帰ろうか。
オレは精も根も尽き果てたようすで、地に転がってる彼女を見ながら、そんな事を考える。
だって今のアメナは、汗と土塗れで見るも無残な状態だから。
流石にこのまま住処へと帰すのは些か酷だろう。
まぁ自力で起きるのを待ってたら、本当に辺りが真っ暗になりそうだったので、オレは彼女の身体を持ち上げて、そのままえいやと肩に担ぐ。
そして集落への帰路、
「ねぇ、ザイド。ワイバーンって、強かった?」
ふとアメナは、オレにそんな事を問うて来た。
また随分とおかしな質問だ。
ワイバーンが強い事なんて、当たり前の話だろうに。
「あぁ、ワイバーンは、……ヴィシャップと名付けたが、ヤツには少し苦戦した。一つか二つ間違いがあったら、もしかしたら死んでたな」
オレはそう答えるが、それはあまり正確な答えじゃなかった。
より正しく言うならば、何らかの間違いで前世の記憶を取り戻したからこそ、オレはヴィシャップに勝てたのだろう。
僕を思い出さなければ、どうなっていたかはわからない。
そんなの、説明のしようもないけれど。
「うん、でもワイバーンに勝てるなんて凄いよ。集落で評判になってた。ザイドは部族の誇りだって。結婚の申し出も、増えたでしょ?」
あぁ……、うぅん、増えたのかっていうと、それはそうでもないけれど、これから先は増えるんだろうなぁとは思ってる。
実に煩わしい話だが。
「だけどアタシにも、結婚の話は来てるんだ。竜神官の子供なら、竜神官になり易いんじゃないかって、一人でも多く子供を産む為に、早く自分と結婚しろって言う奴が居てさ」
また何とも、呆れた話だ。
うちに部族にもそんな馬鹿な事をいう男が、……いやまぁ、割といるか。
確かに竜神官の子は、第一階梯の試練を乗り越えれる可能性は、少しばかり高いかもしれない。
竜人が、竜と人の間に生まれし者の末裔であるとされるように、親の特性を子が受け継ぐ事もあろう。
でもそれが何だというのだろうか。
別に子が竜神官になったからとて、親が竜になれる訳ではないのに。
自分が竜神官になれなかった悔しさを、子に託したところで意味はないのだ。
オレには、僕には、竜神官との間に子を望む気持ちが、さっぱり理解できない。
我が子の生存率を少しでも上げたいのだというのであれば、……僕にも少しだけわかるけれど。
「どうでもいい話だろ。アメナが竜への道を諦めてるなら、そうすればいい。だけどそうでないのなら、そのまま竜を目指せばいい。子供なんて関係ない。それに子供は、竜になってからでも産めるだろ」
実際に産むのは赤子じゃなくて卵になるけれど、自らの子である事が重要ならば、そこに大きな差はない筈だ。
そしてアメナが諦めずに竜への道を歩むのならば、今日一日の修練が、ほんの少しでもその力添えになればいいと、オレは思う。
彼女は一つ頷いて、それからはもう何も言わず、オレも黙って集落への道を歩き続けた。
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