第2話 本文
惑星モナムール。
地球によく似た環境を持つが、「愛」が住民および惑星そのもののエネルギー源となっている、小さな星である。
愛情深いこの惑星の住民たちは、こぢんまりとした住居で家族揃って暮らすことを好む。白い壁にとんがり屋根のかわいらしい家が並ぶ町並みを、あたたかな夕焼けが照らしている。
その夕暮れ空が、裂けた。古い布を引き千切ったように、横一文字に黒い空間が覗く裂け目が現れる。
一人の男が裂け目の向こうから姿を現す。銀髪を後ろに撫でつけた、整った顔立ちの男だった。細身の身体を品の良い黒衣に包み、紅の瞳が妖しく光る。だが、彼についてもっとも特筆すべき特徴は、その麗しい見目ではない。
彼の背には、地面に引き摺りそうなほど長いマントを突き破り、大きな漆黒の翼が広がっていた。頭にはねじれた角が生え、口元には鋭い牙が覗く。異形の男は、空中に浮かんだまま、眼下に広がる街を見下ろした。
二つの小さな人影が現れ、男の数歩後ろにふわりと着地すると――宙に浮いているので着「地」ではないのだが、見えない床を踏んでいるかのように立っているので、便宜上こう表現することにした――、役目は終わったとばかりに裂け目は閉じた。腹部の露出したぴったりしたノースリーブ、革のような素材の短いズボンからはすらりとした脚が伸びる。全く同じ服装の二人は、少年とも少女ともとれない体つきと顔立ちをしていた。その背には、マントの男より小ぶりな、黒い翼が生えている。
「――ここが、惑星モナムール。成程、美しいところだ」
男は薄い唇を吊り上げて笑った。
「ここを我が物とする」
小柄な二人は片膝をつき、目を閉じた。合図もなしに、声を揃えて呟く。
「シュバルツ様の仰せのままに」
シュバルツと呼ばれた男は腕を伸ばし、す、と眼下の街を指差す。一拍開けて、指の先に雷が落ちた。この辺りでは比較的背の高い建物だった。
しばらくすると、建物から人々が逃げてくる。退路を断つように人々の眼前に再び雷を落とし、シュバルツはゆっくりと地上に降りていった。
「この星の支配者は誰だ?」
落雷で剥がれた石畳に足を取られて転んだ女性を見下ろし、シュバルツが尋ねる。
「あ、あなた……何者ですか……どうして、こんなことを……」
「フン、吾輩に名を訊くか」
シュバルツは腕を組み、せせら笑った。
「我が名は、シュバルツ・フュルヒテゴット・ジークヴァルド。偉大なる魔王の子――いずれ魔界を統べる者だ」
「魔王の……息子……!?」
空から現れた異様な人影と落雷騒ぎに、集まってきた観衆がざわざわとどよめく。
「冥途の土産に教えてやろう。魔王を継ぐ条件のひとつとして、六百六十六の領地を持つことが我が父より課せられてな。ちまちまと侵略するのもつまらんので、この星丸ごと吾輩の手に収めてしまおうというわけだ」
「そんな……そんな理由で」
地面に突っ伏していた女性が拳を握りしめる。シュバルツは吐息だけで笑った。
「恐ろしいか? ならば、この星の軍でも連れてきて吾輩を止めるがいい。言っておくが、吾輩はまだ呼吸に等しいほどの力しか使ってはおらんぞ」
「くっ……」
「やめときなよ、シュバルツ様に勝てるわけないんだ」
「そうそう、大人しく従っといた方がケガしなくて済むよ」
シュバルツの後ろに控えていた小柄な二人――二体の小悪魔がくすくすと笑う。観衆たちは不安に揺れる目で彼らを見つめ、絶望の呟きを零す。……その中に、シュバルツは引っ掛かる名前を聞き取った。
「ああ……早くラブレンジャーが来てくれないか……」
「そうだよ、ラブレンジャーさえ来てくれれば、こんな奴ら……!」
そうささやき合うのは、遠巻きに騒ぎを見つめる老夫婦だった。何だそいつらは、と、老夫婦に向き直って問い詰めようとした時だった。
「待てーい!!」
よく通る大きな声が響く。反射的にそちらを向くと、何人かの人影がこちらに向かって走ってきていた。順番に立ち止まり、横並びになってポーズを取る。
「レッド!」
「ピンク!」
「ブルー」
「イエロー!」
「グリーン……」
五人は制服のように揃いのデザインの衣装を纏っていた。ぴったりと体のラインに沿った、光沢のあるシルバーのボディスーツだ。ただ、所々に各々名乗った色の意匠が施されており、首にも同じ色のスカーフが巻かれている。
中央に立つレッドと名乗った男が、先程のよく通る声で謳い上げた。
「我ら! 愛の力で悪を討つ、ラブレンジャー!」
「愛……だと?」
シュバルツが怪訝な顔をするが、レッドは意にも介さず、ふん、と胸を逸らした。
「ブルーとグリーンはケガ人の手当てを頼む!」
「ああ」
「はい!」
名を呼ばれた二人が駆け出す。地面に倒れていた女性に青いスカーフの男が手を貸し、ゆっくりと立ち上がった。
「ラブレンジャーが来てくれたぞ!」
「お願い、助けて!」
観衆たちが口々に叫ぶ。よほど頼りにされている集団のようだ。見たところ全員年端もいかぬ子供のようだが、と頭の片隅で考えつつ、シュバルツは一歩後ずさった。警戒しておくに越したことはない。
「行こう、ピンク! 俺たちの力を見せてやるんだ!」
「準備オーケーよ、レッド!」
レッドとピンクは向かい合ってお互いの手を取る。そのまま情熱的に見つめ合い――唇を重ねた。
「ヴワァァァーーーッ!!!!!」
バリトンボイスの悲鳴が、響き渡った。
「そう、あたしたちは『愛』によってパワーアップするの! 見なさい、あたしとレッドの……」
「……待て、ピンク」
ピンクをレッドが手で制す。
「どうしたの、ダーリン? 今からあたしたちのとっておきの技を見せてあげるのに……」
「そう、俺たちはまだ何もしていない。なのにあいつ、何か……様子がおかしくないか?」
促され、二人して視線を向けた先にいるシュバルツは両目を手で覆っている。手の下にわずかに見える肌は、真っ赤に染まっていた。
「な、何をしている貴様らぁ!! 人前でそのような、は、破廉恥な!!」
「……」
「……」
何も言わないまま、レッドはピンクの唇にリップ音を立てて口付けた。「ヴアッ!!」という断末魔を上げ、仰向けにひっくり返ったシュバルツは白目を剥いており、気を失っているようだった。
「あー、おまえら、キスなんてしたな!」
「したなー!」
二体の小悪魔がレッドとピンクの前にふわふわと現れ、未だ手を繋いでいる二人を指差した。
「ノアたちのところでは『性別』があるのはごく一部の上位存在だけに限られてる。レンアイするのもケッコンしてコドモ作るのも、上位存在だけだ。そう、シュバルツ様みたいな」
「シュバルツ様は、レンアイに関することや、自分に『性別』があることをすごく恥ずかしがるんだ。みんなの前でハダカでいるような気分になるって前に言ってた。だから、おまえらがキスしてるのなんて見せられたら、恥ずかしいにきまってんだろ!」
そーだそーだ、と唇を尖らせる小悪魔たちを、レッドとピンクは無言で見つめていた。
こいつら実はバカなんじゃないか。二人の頭の中には同じ言葉が浮かんでいた。
「なんだかわからないけど、我々にとってはチャンスなんじゃなくて?」
先程イエローと名乗った女が口を開いた。耳元にかかる自分の結った髪をぱさりと跳ね退ける仕草をしてから、腕を組む。
「ちびすけ二人。シュバルツ様だかなんだか知らないけど、親玉を連れ帰ってくれないかしら? もう使い物にならないでしょ」
「むむむ~……」
二人の小悪魔は唸っていたが、しばらくすると白目を剥いて倒れているシュバルツの両腕をそれぞれ掴んだ。懸命に羽を動かし、空に昇っていく。
「今日のところは、このへんにしといてやるー!」
「だが覚えとけよ! シュバルツ様はつよーいお方だ! いつかお前たちなんかこてんぱんにして、この星を手に入れてやるんだからなー!」
「それから、クロムたちはちびすけじゃないぞ! クロムとノアって名前があるんだ!」
二人はその後も何事か話し続けていたが、もはや空高く昇っていて聞こえない。突然の来訪者たちは、そのまま夕焼け空の彼方に消えていった。
「……」
「……」
「……」
「……とりあえず帰るか」
「そうだね……」
レッドがビシッとポーズを取り「ラブレンジャー! 今日も平和を守ったぜ!」と叫ぶ。ピンクがレッドに腕を絡めて「みんな、応援ありがと♡」とウインクを飛ばすと、観衆からやんややんやと喝采が上がる。
「……魔王の、息子……シュバルツ」
緑色のスカーフを巻いた少女だけが、不安そうな声で小さく呟いた。
惑星モナムールで一番大きな学校、愛立シャリエッツ学園。七歳から十八歳までの子供が通うこの学び舎で、一際注目を浴びる生徒がいた。
「みんな、おはよう!」
大股で校門をくぐる、ひとりの男子生徒。短く切られてつんつんと跳ねる髪と、燃えるように赤い瞳に強い意志を宿した彼が大きな声で挨拶をすると、周囲が振り返り、挨拶を返す。
「おっす、ヒカル」
「赤月くん、おはよー!」
「おはよう! 今日も平和な朝だな!」
彼こそがラブレンジャー・レッドこと赤月ヒカル、愛立シャリエッツ学園に通う十五歳だった。
「あ、ヒカルくん。おはよう」
「おお、おはよう、グリーン!」
花壇に水を撒いていた女子生徒が声を掛けると、ヒカルは彼女に駆け寄った。夜の森のように深い色の髪を肩の少し上で切り揃えた、大人しそうな生徒だった。眉尻が気弱そうに下を向いている。
「今日はキャロちゃんと一緒じゃないの?」
「ピンクの家に行ったら、寝坊してしまったので先に登校しておけと言われた!」
「ふふ、そっか」
「グリーンは花の水やりか、偉いな!」
ヒカルが大きく口を開けて笑うと、グリーンと呼ばれた女子生徒――緑谷カスミは一瞬目を丸くしてから「ありがとう」と微笑んだ。
「あら赤月くん、ごきげんよう」
「……おはよう。朝から元気だな」
通りがかった二人に声を掛けられ、「おお、イエロー、ブルー!」とヒカルの表情がさらに明るくなる。
イエロー……黄金崎レイナはくるくると巻いた金髪を頭の両脇で結い上げ、白いレースの手袋をはめた手を口元に当てて優雅に微笑む。ブルー……青鹿ユウは長く伸びた濃紺の髪が右目を隠しているが、見えている左目は涼やかな切れ長で、全体的にも整った顔立ちをしていた。
「イエローとブルーも一緒に登校か? 仲がいいんだな!」
ヒカルがにっこりと笑うと、「はっ、はああ!?」とイエローが声を荒げた。
「かっ、勘違いしないでくださいまし! わたくしは登校途中にたまたま、たまたま! 青鹿くんと出逢いまして、彼がどうしても、どうしても! わたくしの鞄を持ちたいと言うから仕方なく連れ立って歩いているだけですわ!」
「……別に、どうしても荷物持ちがしたいなんて言ってない」
「そうか、たまたま会っただけか! でもそう言ってお前たち、三日に一回はたまたま会ってるような――」
「うううう煩いですわよ!」
「あ~、ほら、ヒカルくんもレイナちゃんもユウくんも、早く教室行かないと。遅刻しちゃうよ?」
「おお、そうだな! じゃあみんな、またなー!」
ぶんぶんと手を振りながらヒカルが走り去る。赤くなった頬をぱたぱたと扇いで「ほら青鹿くん、行きますわよ!」と促すレイナに背を叩かれ、「……じゃ。カスミも遅刻しないようにな」と会釈してからユウも歩き出す。カスミも軽く手を振りながら見送って、全員が校舎に入っていくのを見届けると手を下ろした。
大きなじょうろを物置に仕舞い、踵を返すカスミを、建物の影から見つめる男がいた。
「……クク」
シャリエッツ学園の制服に身を包んだ男は口角を吊り上げて笑うと、登校してくる生徒たちの流れに逆らって校門を出た。そのまま足早に道を歩き、人目を避けるように路地裏に身を隠す。
どこからともなく現れた黒い霧が男を包む。霧が晴れる頃――男の着ていたシャリエッツ学園の制服は、黒ずくめの衣装になっていた。
「シュバルツ様ー」
「この星の情報、得られましたかー?」
上空から二人の小悪魔がふわりと降りてくる。男――シュバルツは腕を組み、背後の建物に寄り掛かった。
「大収穫だぞ。奴らの通っている学校を突き止めた」
「おお!」
「奴らが学生と踏んで学校に潜入したのが功を奏したな。全員同じ学校に通っていることが分かったぞ」
「さすがシュバルツ様です」
「クロム、ノア。今度はお前たちもあの学校の奴らに聞き込みをしてくるのだ。レッドの奴、なかなかの有名人のようだったから、奴らのことを知っている者は多いだろう」
「わかりました」
「ああ待て待て、まだ行くな。今奴らは授業というものを受けていて、しばらく学校から出てこない。また夕方くらいに行くのがよかろう」
「はーい」
クロムとノアが手を上げて返事をする。
「フフフ、それまでは我ら三人で、じっくりと作戦を練ろうではないか」
◆◇◆
「貴様、レッドに……あの……そのー……なんだ。レッドのことがすすす好きなのだろう?」
「……!」
カスミが目を見開く。
「クク、言い逃れしようとしても無駄だぞ。貴様がレッドを見つめるその視線、頬の紅潮……勉強と言って見せられた地球のドラマとやらの「コイスルオトメ」のそれに酷似していた……!」
「……はい。でも、この思いは隠しておくつもりです」
「む? 何故だ」
「ヒカルくんはキャロちゃん……ピンクとお付き合いしてるから。二人は幼馴染みで、本当にラブラブで……私はヒカルくんにとって、ただの『グリーン』でしかないから」
「良い事を思いついたぞ!」
シュバルツはマントを翻して後ろを向き、控えていたクロムとノアに小声で囁く。
「シュバルツ様、どうしたんですかぁ?」
「我々はこやつを唆し、レッドに告白させるのだ!」
「ええ!? どうしてですか?」
「こやつが想いを伝えればレッドとピンクの関係にひびが入り、我らの付け入るスキが生まれるやもしれんぞ……! あ、いや、スキは好きじゃなくてスキマの方のスキで……」
「えっ、グリーンがレッドに告白するとレッドとピンクが仲悪くなるんですかぁ? レッドを好きな仲間が増えてハッピーじゃないですか?」
「ええい貴様らに話したのが間違いだった」
小さく地面を踏みつけると、シュバルツはカスミに向き直る。
「グリーンよ。貴様の恋を応援するぞ」
(えっと……全部聞こえてたんですけど……)
カスミが曖昧に微笑む。シュバルツは不敵に笑い、カスミに顔を近付ける。
「本当に、想いを伝えなくていいのか?」
どくん、とカスミの心臓が跳ねた。
「この星を守る役目を負いながら、なぜのこのこと吾輩について来た? 辛いのだろう? 自分の想いを押し殺し、好いた者をただ見守る、この現状が」
「……私」
「わずかでも自分の恋が実る可能性があればと、藁にも縋る思いで吾輩の話を聞いたのだろう?」
「私は……」
「吾輩の力で、貴様の想いを叶えてやることもできるかもしれんぞ?」
耳元で甘言を囁かれ続け、カスミの脳がぐらぐらと揺れる。
一生押し隠して生きていくのだと思っていた、自分の恋。もし、もしほんの少しでも、希望の光があるのなら。
「……私、ヒカルくんに、告白したい」
シュバルツが薄い唇を吊り上げて笑った。
①魔王の息子とラブレンジャー 笹川 誉 @wakuwakufestival
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