番外篇② すれ違う想いー⑸


「……リアム」

 数日ぶりに会えて嬉しい。が、この状態が非常によくないのは明らかだった。

 イライジャから離れる。彼もミーシャと距離を取り、リアムに向かって片膝をつき頭を下げた。


 張り詰めた空気が辺りを支配する。周りにいる侍女たちもミーシャと同じ意見のようで、一様に顔を青ざめ、頭を下げて臣下の礼を尽くしている。


 すぐそこが外だからか、それとも彼の魔力が暴走しているのか、寒くて全身の肌が粟立つ。ミーシャは雪山に放り出された気分だった。

 震えて力が入らない。立ち上がる前にリアムが、ミーシャの前に座った。 


 ふわりとなびかせた外套を、ミーシャの肩にかけてくれる。

「体調は?」

 リアムはミーシャの顎を持ち上げ、じっと見つめた。

「良く、なりました」

「そうか」

 抑揚のない声だった。碧い瞳は静かで、感情をすっかり隠している。ふいっとミーシャから視線を逸らし立ち上がると、イライジャに向き直った。


「イライジャ。宮殿の警護に不備がある。少しの間ミーシャの護衛の任を解くから来い」

 下を向き、跪いたままの彼は「御意」と答えた。


「白狼」

 呼ぶとすぐに雪の中から白狼が現れた。

「ミーシャを頼む」

 大きな白狼はミーシャにすり寄ってきた。美しいさらさらの銀色の毛並みをやさしく撫でると、今にも泣きそうな気持ちが少しだけ和んだ。


 リアムはミーシャに声をかけず、そのままイライジャを連れて立ち去ろうとした。震える手で彼に掛けてもらった外套をぎゅっと握ると、立ち上がった。


「陛下。お待ちください」

 リアムは少しだけ振り返り、「今は立て込んでいる」と、冷たい声をミーシャに投げかけた。


「立て込んでいるなら、何か手伝います!」

 食い下がったが、「病み上がりの者が手伝える案件はない」と、にべもなく拒否されてしまった。ミーシャに背を向け氷の宮殿へ向かうために庭に出てしまった。


 二人の間を裂くように、白い雪がリアムの姿を隠していく。


 お願い。行かないで。 


 叫びそうになったが、これ以上拒否されたらと思うと怖くて、声にすることはできなかった。

 その場から動けない。白狼に抱きつき、ときどき舞い込む雪をただ、眺める。


「……ミーシャ様。部屋に戻りましょう」

 リアムの姿が見えなくなると、ライリーが後ろからミーシャの肩を抱き、やさしく声をかけてきた。「そうね」と答え、ゆっくりと立ち上がる。


「せっかく着飾ってくれたのに、あなたたちの仕事を無駄にしてごめんなさい」


 ミーシャが謝ると、侍女はもっと暗い顔になってしまった。


「申し訳ございません。ヒールではない安全な靴、外出用の服をご用意するべきでした」

 ミーシャが派手にこけたのは自分のミスで恥ずかしかったが、彼女たちは転ぶような衣装を提案したと責任を感じているようだった。


……次は、雪を見ても駆け出さない。ライリーの言うとおりもっと、淑やかを心がけよう。


 ミーシャは下を向き肩をふるわせて今にも泣きそうな顔のサシャの手を取り、微笑みかけた。


「私、おしゃれが苦手なの。だからまた、素敵に着飾って」

 ミーシャはユナ、そして新しい侍女にも目を向けた。


「あなたたちの手で魔女の私に、きれいになる魔法をかけて」


 氷の宮殿に背を向ける。「寒いのに待たせてごめんなさい。戻りましょう」と侍女たちに声をかけ、来た道を引き返す。

 白狼がミーシャの足元で吠える。ふと立ち止まり、雪の向こうに見える氷の宮殿を見た。


 凍化は止まったはずなのに、一瞬見たリアムの顔色は数日前よりも悪かった。

 不安が、身体の芯の部分でミーシャを搔き乱していくのを感じた。


『彼の心が離れていく』よりも、恐ろしいことに気がついた。

 リアムの身に、万が一のことがあったら私は……生きていけない。


「リアムもきっと、こんな気持ちだったのね」


 大事な人が苦しんでいるのに、何もできない。痛みや辛さを変わってあげられないというもどかしさ、その苦しみをようやく理解した。


 フルラに戻ると決めたのは、皇帝の彼に選んでもらえる自分になろうと思ったから。必要としてもらえるように、教養を身につけ、心身共に鍛え直そうと考えた。だが、それでは遅すぎる。

 今すぐリアムの横に並びたい。支えたいし、頼られたい。


……病は治り、温めてあげる必要はなくなった。私の役目はもうないとしても、それでも、彼を守りたい。……リアムに、求められたい。


「ライリー。私やっぱり、リアムのそばを離れたくない」


 ミーシャはそばに控える彼女を見つめた。


「あなたと故郷に帰る約束をしていたけれど、守れないかもしれない。それでも、許してくれる?」


『俺は、君に我慢してまでそばにいてもらいたいとは思わない』


 思い出す度に胸は痛むが、きっと、そばにいるからこそ、できることがあはず。


「許すも何も、私はミーシャ様についていくだけです」


 ライリーは実の姉のような、あたたかでやさしい眼差しをミーシャに向けた。彼女の気持ちに応えるためにミーシャは笑みを浮かべ頷きを返した。


「休養は終わり。ここからは淑やかに、全速力よ!」


 ミーシャは背を伸ばし、胸を張った。

 誰にも認められず反対されても、がんばると決めた。それがリアムであっても諦めない。

 離れた心をつなぎ止める。オリバー大公に負けてなんていられない。全力で、彼を振り向かせる……!



 再びがんばろうと決めた翌日。ミーシャの元に現れたのはイライジャでもリアムでもなく、ジーン宰相だった。


「ジーン宰相。お呼び立てして申し訳ございません」

 ミーシャは部屋に彼を招き入れると、深々と頭を下げた。


「ミーシャ様、頭を上げてください」

 ゆっくりと顔を上げると、心配そうにミーシャの顔を覗くジーンと目が合った。


「もう、ご体調はよろしいのですか? こちらこそ、お見舞いが遅くなって申し訳ございません。……陛下がー、仕事押しつけるのが原因ですけどー」

 ミーシャは思わず、くすっと笑った。


「陛下の様子はどうですか?」

「……率直に申し上げてもよろしいですか?」

 彼の苦々しい顔と沈んだ声で色々と察した。


「陛下の様子は最悪なのですね。ごめんなさい。ジーンさまにはご負担をおかけします」

 ジーンはやさしく微笑むと首を横に振った。彼はライリーだけを残して、人払いをする。三人になってからから、口を開いた。


「ミーシャ様。いえ、様。あなたが生まれ変わったことは陛下から聞いております」

 真剣な顔だった。ミーシャは彼から目を逸らさずに、微笑んだ。


「今まで、黙っていてごめんなさい」

 ジーンは目を細めると、ゆっくりと首を横に振った。

「ご安心ください。ミーシャ様の正体は、一部の者しか知りません」

「ありがとうございます」


 誰も彼もが魔女を受け入れたわけではない。悪い魔女の復活など、怖いことは知らない方がいい。


「ご存じと思いますが、陛下はクレア様を慕っておられました。陛下は当初から生まれ変わりについて薄々感づいてはおられましたが、ミーシャ様自身を見つめ、心から伴侶としてお求めになられたのでございます」


「は、伴侶……」

 なぜか急激に恥ずかしくなった。熱くなった頬を両手で隠す。

「ぞ、存じております……」

 照れくさくて、顔を逸らしてから答えた。


「本当に? あの人、口下手でしょう? しかもご自分の感情に超鈍感。恋愛面では面倒な人です。色々順序ってものを吹っ飛ばしていそうです。ちゃんとミーシャ様に陛下の気持ち伝わってます?」


「気持ちは、その……以前にもらってます。私にこ、……恋に落ちたと、お言葉を頂きました」

 らぶらぶじゃん。と宰相はぼそりと呟いた。

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