第94話 悪魔女は、もう終わり

「大丈夫、安心して。オリバーは止める。ミーシャも、必ず救うから」


 ミーシャを抱きしめていたリアムは、その手をゆっくりと離した。

 いつもの落ち着いた声に戻っていると、ほっとしたのは一瞬だった。

 白く滑らかな彼の頬に、雫の跡を見つけた。


……リアム、ごめんね。


「ナイフは、手当が充分にできるところに移動してから抜く」

 

 悲しませてばかりでごめん。


「……ミーシャの肌に、霜が降りている」

 リアムは、ミーシャの両頬を手で包んだ。

 いつもと逆だ。彼の手があたたかい。


「冷たすぎる。この症状、凍化だ。どうしてミーシャが?」

 彼は冷たいと言うが、もう、寒さの感覚がなかった。


 凍化病がこんなにも辛く、怖く、寂しいのかと驚いた。同時に長くこの病に苦しんできたリアムや王族のことを思って、胸が痛んだ。

 喉がひりひりと痛い。吐く息は白く、きらきらと凍っていく。まるで、氷の魔女になった気分だと、こんなときなのにミーシャは小さく笑った。

 リアムはミーシャの背中を見た。


「サファイア魔鉱石が原因? 待ってろ、すぐに止める」

 ミーシャを抱きしめるようにして、彼は背中のナイフに触れた。


「イライジャが手紙を寄こした。俺はサファイア魔鉱石を操れるらしい。ミーシャが凍るのを止められないか試してみたかったが、魔鉱石の部分が体内に埋没している……」

 つまり、触れないということだろうか?

 ミーシャには氷への耐性がない。魔鉱石は奪われ、魔力も尽きた。凍化を今すぐに止められなければもう……。


 ミーシャは重たい瞼を閉じた。すると、銀色の世界が浮かんだ。まるで、リアムの髪の色のようだ。

 美しい雪の上に舞い降りた、炎の鳥の朱い灯火がゆっくりと、小さくなっていく。


「リアム、聞いて……」


 再び、一人残していく駄目な師匠でごめん。許して何て言わない。

 その代わりに、ちゃんと彼に伝えたい。


「あなたが、オリバーが憎いのはね……、彼を、愛しているからよ」

 リアムが身体を強張らせたのがわかった。

「憎いに決まっている。ミーシャを傷つけた。何度も、裏切られた」

が、私を、傷つけたから……でしょ?」

「違う!」

 手を伸ばし、彼の髪に触れたい。大丈夫だよって頭を撫でてあげたい。そう願うけれど、身体のすべてがすごく重くて、指一つ動かせない。

「仲直り、して欲しくて、ここまで来たの」

「仲直りって……無理だろ」

 ミーシャは「無理じゃない」と彼に微笑みかけた。 


 早く、オリバーを追ってもらいたい。

 そう思う気持ちの反面、あと少し、一秒でも長く彼と、一緒にいたかった。


「やっぱり私は、あなたの迷惑になることしか、できなかった」

「そんなことない。心配はかけさせられるが、迷惑だと思ったことはないよ」


 リアムのやさしさはきっと特別製だ。

 一方の私は、勝手に飛び出して、勝手に傷ついて、大事な人を悲しませている。何て最低なんだろう。

 ……悪い魔女だから、しかたないか。


「悪魔女は、もう終わり。次に目を覚ましたら、あなたのためだけに生きる」

 リアムは目を見張ったあと、切なそうに笑みを浮かべた。


「ミーシャ、もういい。しゃべるな。休め」

 ミーシャは首を横に振った。

「……リアム。顔を、もっと近く」


 蒼い魔鉱石から放たれ激しく降る雪に、命の炎が掻き消されていく。

 何も見えなくなる最後の瞬間まで、あなたの碧い瞳を見ていたい。


「リアム、大好き。愛してる」


 リアムの瞳から、きれいな雫が産まれ、体温を失ったミーシャの頬を温める。


「俺はミーシャしか愛せない」


 重ねた唇も温かい。氷の皇帝が与える物はすべてが暖かいと思うと、ミーシャの目尻からも涙がこぼれ落ちた。



 ……生きたい。死にたくない。幸せになる約束を破りたくない。この人を置いていけない。悲しませたくない。私は死んだら駄目!

 

 吹雪に負けそうな小さな火を必死に守る。抗う気持ちとは裏腹に、胸の奥で命を刻む音が止んだ。


「……炎の魔女の私は、死なない」


 雪降る真夜中に突然現れたオリバーは、出会った当初からミーシャを殺そうとしていた。それをわかっていて、飛び込んだ。


 ……これは自分が招いた結果。悪いのは全部私。だから、リアム。私が死んでも、自分を責めないで。信じて待ってて。


 また必ずあなたの元へ、舞い戻るから。

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