第93話 選択

 流氷の川を中心にミーシャは、しばらく雪原の大地を炎の鳥に乗って飛び回った。

 氷の狼は流氷に近づくと襲ってくるが、離れてまでは追ってこない。

「まるで、結界を守っているみたい」


 地上に降りて、狼の額のサファイア魔鉱石に触れてみたい気もしたが、先に宮殿に向かったリアムの方が心配だった。そのまま北上し、氷の宮殿を目指した。


 氷の宮殿に着いたミーシャはまっすぐにビアンカの後宮に向かった。

「泉の上に降り積もっていた雪と、氷がなくなってる」

 広い庭にはぽっかりと大きな穴が空いている。ミーシャは炎の鳥を急降下させて、穴に突っ込んだ。

 炎の鳥から飛び降り、泉の底にふわりと降り立ったミーシャは、真っ暗な横穴を眺めた。奥から微かにリアムの声と、物が激しくぶつかり合っている音が聞こえた。戦っている。ミーシャは迷うことなく横穴の中へ飛び込んだ。


 狭い通路を進むとすぐに、広い空間に出た。手に持っている魔鉱石を灯り代わりにして中を覗く。暗いが、ランタンや炎の小鳥がいるおかげで何とか見える。

 

 そこでミーシャが目にしたのものは、氷の壁にオリバーを追い込み、叔父の首を両手で締め上げているリアムの姿だった。少し離れたところにはノアが大きな氷の中に閉じ込められている。


「リアム!」

 寒い空間を全力で走ったため、息が上がり喉が痛い。走りながら彼の名前を呼んだが、ミーシャの声はかすれ、リアムの耳に届いていない。


 持ち上げられたオリバーの右手に、蒼く光るサファイア魔鉱石が見えた。魔鉱石を中心に氷がナイフをかたどる。一瞬オリバーと目が合って、ミーシャは息を呑んだ。


 危ない!


 間に合うとか、間に合わないとか、炎の鳥を放つとか、頭に浮かばなかった。

 考えるより先に、身体が動いていた。

 

 自分を閉じ込めていた氷を解かして駆けよろうとするノアを追い抜く。オリバーが振り下ろすナイフがリアムに届くよりも先にミーシャは、リアムに抱きついた。

 二人の間に割って入った刹那、背中に激痛が走った。


 射された場所が焼けるように痛い。たまらず叫び声を上げてしまった。

 刺さっているのは左肩に近い場所。臓器にはおそらく届いていない。それでも出血が酷いのがわかった。手足が急速に冷えて感覚を失っていく。力が入らない。


 リアムはオリバーから手を離すと、立っていられずに膝から崩れ落ちていくミーシャを抱き止めた。


「ミーシャ。なんで……!」

 

 あなたのそばに、舞い戻る約束だったから。


 青空を閉じ込めたような碧い瞳が揺れている。彼がこれほどまで動揺している姿はだ。

 彼の叫喚を聞いて、鎮めなければと思ったミーシャは無理やり、笑顔を顔に貼り付けた。


「私は、大丈夫」

 リアムはナイフに触れて確かめるように握って力を入れたが、すぐに手を離し抜くのを止めた。深く刺さっているらしい。抜いたら今以上に血を失う。


 オリバーはしばらく前屈みになって咽せていたが、おもむろに地面に手を伸ばすのを、視界の端で捉えた。ミーシャはその理由がわかっていた。先ほどリアムを庇ったときに、手に持っていた魔鉱石を手放してしまったからだ。


 魔鉱石が、また、奪われる。

 今度は、未完成の魔鉱石ではない。クレアの魔鉱石だ。


「おねえさん! 大丈夫、うわあ!」

 オリバーは駆け寄ってきたノアを抱き止めるようにかかえた。そのまま片手で氷の壁に魔鉱石を押しつける。

「リアム。大事な甥っ子が可愛ければ、動くなよ」

 リアムが奥歯を噛みしめるのがわかった。ミーシャは力を振り絞って、顔をオリバーに向けた。


「私が、リアムを庇うとわかって……煽った、でしょう?」

「そのくらいハンデは許してくれ。炎の魔女と氷の皇帝リアム。最強の二人同時に相手する身にもなってくれ」

 触れているリアムの身体に力が入るのがわかり、ミーシャは感覚がない手で、自分を支えてくれている彼の左腕に触れた。


「オリバー大公。あなたの目的は、この地下の、氷をすべて解かすこと」

「イライジャに、聞いたか」


「この下に……大事な、があるのね?」


 オリバーは、哀しみを滲ませながらやさしく笑った。だけどすぐに険しい表情に戻るとリアムをまっすぐ見た。


「リアム。選べ。……大事なのは民か、それとも愛する者か」


 リアムに触れているミーシャは彼の殺気を直に感じた。下から覗くリアムの碧い瞳が怒りに染まっていく。

 

「炎の鳥よ、氷の壁を溶かせ」

  大きな炎の鳥が現れた。一気にそばの空気が暖められていく。

「オリバー、貴様!」

 リアムが魔力を暴走させ氷を放った。オリバーは攻撃からノアを庇うと氷の壁を溶かし、その奥へと進み消えた。

 ミーシャの視界は狭く、霞はじめていた。よく見えないが、氷の壁の向こうに地下へと続く道があるようだ。


「ミーシャ」

 リアムは二人を追いかけずにミーシャをぎゅっと抱きしめた。


 ――選べ。大事なのは民か、それとも愛する者か


「リア……、私はいい。魔鉱石が、うばわれたから……」

 追いかけて。

 ……私が作った魔鉱石で、再びたくさんの人に被害が出る。それだけは絶対に嫌だ。


 ミーシャは声を振り絞った。


「洪水を、止めて……!」


 ……お願いリアム。私より、民を選んで!

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