第89話 地下宮殿・音のない白い世界⑵

「いいだろう。教えてやる。だがその前におまえに質問だ。リアムは不思議に思わないか? なぜ我々は命を削ってまで民を守らないといけないんだ?」


 オリバーは口角を上げつつも、真剣な目だった。リアムも彼をまっすぐ見据えた。


「クロフォード王家には、人にはない力がある。自分のためではなく、人のために使う力だ」


――力は、自分のためではなく、人のために。そしたらきっと、


「グレシャー帝国の王は、人々を導く『希望』だ」


――きっとあなたは、人々を導く希望になる。

人を愛し、愛される人になって、幸せな人生を送ってください。


擦り込みと言えばそれまでだ。だが幼少期にクレアに言われた言葉はずっと、リアムの指針で胸にあり続けている。



「人々の、希望?」

「そうだ。弱い者を守る。助ける。それが力ある者の務めだ。人がより豊かに発展するために、誰もが笑って日々を過ごせるように、王族は存在する」


「弱い者を助け、人々の希望になって何になる。王家の足をひっぱるだけだ」

 オリバーは手を広げた。

「力がある我々は、特別な存在だ。民は、王のためにあり、人は管理されるべきだ」

 

――リアム。物事を一辺倒に見ては、本質を見抜くことはできない。

――色んな一面があって、見えている面だけがすべてではない。


 幼いころ、そう教えてくれたのは今、目の前にいるオリバーだ。これが本質なのか、見えている面がすべてなのか、見極めなければ。

「指導者は必要だ。だが、民は王家のために存在していると考えるおまえのような者は、上に立ってはならない!」


 オリバーはふむと言って、目を細めた。

「私を否定するか、リアム」

「あたりまえだ」

 オリバーは大げさなため息を吐くと首を横に振った。

「私は特別なおまえを助けたかった。クロムも死なせたくなかった。兄ルイスも民のために死ぬ必要などなかったはずだ」

「助ける? 俺を殺そうとし、師匠を死に追いやったのはおまえだ!」

 湧き上がる怒りをリアムは感じ、剣の柄を強く握った。


 オリバーは淡々とした口調で言った。

「あれはおまえが魔女に傾倒し、周りが見えなくなったのが悪い」


 リアムはオリバーを睨んだ。

「悪い魔女も良い魔女もいる。自分で見て知って、判断しろと言ったのはあんただ」

「その判断が間違っていたと言っている。誇り高き我がクロフォード家の者が、魔女の犬になり下がった。だからおまえの処分を決めただけだ」

 

 頭の中で何かが切れる音がした。

 次の瞬間、リアムは魔力を最大に解放していた。先が鋭い氷柱が無数、オリバーに襲いかかる。

 オリバーはノアを素早く抱きかかえると、後方に飛び退き、氷柱をすべて避けきった。


「おい。ノアに当たったらどうする。それにおまえも凍化が進む」

「うるさい。本当は心配などしていないんだろ。やさしいふりはもういい、止めろ。反吐が出る!」

眼の前の男を八つ裂きにしたい。だが、ノアにそんなものは見せられない。

「王家が短命なのは、民のせいではない。力に自惚れ、他国を無下にし、脅かし、侵略し続けたからだ。政略結婚を繰り返し、支配した。その揺り返しならば、やむお得ないものとして受け入れる!」

 

 オリバーは、哀れむ声で言った。

「先代たちのように早死にを受け入れるか、リアムよ」


『お願いルイス様! どうか目を開けて。私は、あなたのいない世界など、生きていけない……!』

 冷たくなった父の亡骸にすがりつき、泣き叫ぶ母の声を、今でもはっきりと覚えている。


 自分はどうなってもよかった。幸せなど訪れないと諦めていた。この力が、己の命が、人のためになるならば、それでよかった。だが今は……


「受け入れた上で俺は生きる。大切な人のためにも、死なない。最後まで足掻く!」


 自分がいなくなれば悲しむ人たちがいる。残される者の辛さや哀しみはよく知っているのに、それを大切な人たちにさせるところだった。

 ミーシャと共に生きる道を、幸せになる未来を探すと約束を交わした。少しでも長く、彼女と共に生きていきたい。


「そうか。おまえは、生きたいんだな。……よかった」

 オリバーは眉尻を下げ、嬉しそうに笑った。

「よかった? 散々、俺を殺そうとしておいて」

 オリバーは「そうだな」と笑いながら言ったあと、リアムを鋭い目で見た。


「リアム。魔女は殺せ」

 彼の碧い瞳に、仄暗い怒りが灯っているのを見て取れた。


「断る。俺があんたの指示に従うわけがないだろう」

「魔女に、惚れているからか」

「それがどうした」

「我々は氷の王族だ。相反する炎の魔女となんか、うまくいくわけがないだろう」

「おまえには関係ない」

「関係あるさ。炎の魔女はいずれ、この国を滅ぼす。そういう宿命だ。悪いことは言わない。この国を守りたければ、あの女は諦めろ」


オリバーは自分の手を見て、呟いた。

「私は、守れなかった。だからこそリアムは氷の精霊獣のように、これまで通り気高く、孤高の王となれ」

「守れなかったって、何を?」

「……殺せないなら、王位を俺に譲れ。私がやる」

 ミーシャが国を滅ぼす? ミーシャを諦め、王位を譲れ……?


「……あんたは、クレアだけじゃなく、ミーシャも殺すと言うのか?」

 再び、大切な人を奪うというのか……


「…………ふ、ざけるな」

 煽られている。ミーシャが国を滅ぼす意図がない。根拠のない戯れ言だと頭ではわかっている。それでも内側から怒りの碧い焔が飛び火していき、大火にとなってリアムを突き動かす。

「リアムよ、流氷の結界も解け。そして俺の右手となって……」

 もうがまんならなかった。

 リアムは一足飛びにオリバーと距離を縮めると、体重を乗せて氷の剣を振り抜いた。

 オリバーは顔に余裕を残し、リアムの剣をぎりぎりで交わしながらどんどん後ろへ下がって行く。

「ふ。怒りで動きが鈍いぞ。洗練さが欠けている」

「……だまれ。……黙れ、黙れ!」

「陛下。待って!」

「ノアはそこから動くな!」

 リアムはノアに向かって手をかざすと大きな氷の箱を作り、彼を中に閉じ込めた。

「陛下!」

 オリバーを氷の壁に追いやると、リアムは突き殺そうとした。だが、これもオリバーに交わされてしまった。氷の剣がオリバーの外套を貫き、氷の壁に深く突き刺さる。


「リアム、剣技がどんどん乱れていっているぞ」

「うるさい。いい加減に黙れ」

 追い込まれながらもまだ余裕を見せるオリバーが気に入らない。


「リアムは冷静で冷酷な氷の皇帝と聞いていたが、やれやれだな」

「…………………殺す」

 オリバーの首を前から鷲づかみした。ぐっと力を入れて叔父を睨むが、返ってきたのは静かに自分を見つめる瞳だった。


「俺が、憎いか、リアム」

「ああ。この世で誰よりも憎い」

 リアムは答えながら首に回した指先に力を込めていく。なのにオリバーは抵抗をしない。

「……それで、いい。憎いなら殺せ。早く!」

 オリバーは微笑むと右手を上げた。手にはサファイアでできた魔鉱石が握られていた。

 そのまま氷を生成している。作られた物がナイフだと気づきリアムが警戒するのと、ナイフが振り下ろされるのは、ほぼ同時だった。


「陛下――ッ!」


 氷の箱を溶かし、抜け出してきたノアが駆け寄ってくる。

 こっちに来るなと、リアムは思ったが声が出ない。すべてがゆっくりと、動いているように見えた。



 雪が舞う。自分一人だけの、音のない白い世界が好きだった。

 そこへ突然、幻の美しい鳥がふわりと舞い降りる。


――ミーシャ。


美しい炎の鳥でもなく、幻覚でもなく、愛しい人だとわかった次の瞬間、白い世界は深紅の色に染まった。


リアムは、オリバーのナイフによって傷つき倒れるミーシャを、抱き止めた。


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