第87話 炎の魔女と氷の皇帝

 そこが戦場でも、気丈に凜とした姿勢で立つビアンカだが、顔色は白く、体調が悪そうにミーシャには見えた。

 瞳には今までにない覚悟が滲んでいる。リアムの前まで進むと、上品で美しいカーテシーをした。


「ご挨拶申し上げます。偉大なる氷の英雄に栄光を。皇帝陛下、遅ればせながら馳せ参じました」


「義姉。呼びかけに応えて下さったんですね」

「陛下のご命令ですもの。当然でございますわ」

 ビアンカは手に持っていた扇子を開くと、顔を隠した。


「私がカルディア兵を引き留めます」


 ミーシャは目を見開いた。どういうことかわからず、隣に立つリアムの横顔を見た。

「先に手を打っていると言っただろ。その一つだ。皇妃には故郷の進軍を止めていただく」

「仰せのままに」

 ビアンカは一度お辞儀をすると、皇妃の顔から母親の顔に変わった。

「陛下。今、私の後宮に、がいらっしゃっています。……ノアと一緒です。ここは私に任せて、陛下は急ぎ氷の宮殿へお戻りくださいませ」

「わかった。ここでの用事が済んだらすぐに戻る」

 ビアンカはお願いいたします。と言って、深く頭を下げた。


「私は、最初から最後まで榧の外。あの方の瞳に映ることはできなかった。ですが、陛下は違います。あの方をどうぞ、お止め下さいませ」

 ビアンカは憂いの眼差しを残し、背を向けた。


「ビアンカ皇妃」

 リアムが呼び止めると、ビアンカは立ち止まり、ゆっくりと振り返った。

「ノアを置いて、カルディアへ帰りますか?」

 その問いにビアンカは、一瞬顔を歪めたがすぐに、「いいえ」と答えた。


「宮殿を発つとき、ノアと約束をしました。帰ったら一緒に雪遊びをしようって。美味しいご飯とお菓子を食べて、温かいお風呂に入り、一緒のベッドで寝ようと。……私は、酷い母親だったというのに」


 ビアンカは眉尻を下げると、言葉を続けた。

「……あの子が、教えてくれました。私にとって何が一番大切なのか。……やっと、過去を断ち切りノアと未来へ、前へ進めそうです」


 リアムは、ジーンとイライジャをそばに呼び、「皇妃を頼む」と命令した。

「御意のままに」

「陛下、お気をつけて」

 二人はリアムに敬意の礼をすると、皇妃と共に去って行った。



「俺たちも行こう」

「待って、リアム。カルディア兵は今、どこにいるんですか?」

 ミーシャは当たりを見回した。リアムが操作しているのか、天候が回復しつつある。視界が開けてきたが、自分たち以外誰もいない。

「……君には俺がいるのに、不安?」

 リアムが少し戸惑いながら、ミーシャの顔を覗き込む。

「そうじゃなくて、ちゃんと私も把握しておきたいんです。ビアンカ皇妃のように」

 皇妃として、後宮に隠れ守られていることもできた。それなのに彼女は、リアムの命に従い、危険な最前線に赴いた。国を思う立派な人だと思ったが、


「正直、ビアンカが俺の招集に答えるとは思っていなかった。だから、虚を突いて俺の命を狙っているのかもな」

 リアムからまさかの答えが返ってきた。ミーシャと違う捉え方をしていて驚いた。


「カルディア兵の本隊は皇妃たちが向かった先だ。そこは崖で、下が広大な盆地になっている。流氷の結界を避けて帝都へ上がろうとすると、そこへ迷い込む。袋小路だがな。崖は絶壁で、下から登ってくるのはほぼ無理。集まったところを一斉に搦め捕るからめとる作戦だ」


「ではさっき、イライジャ様が倒したカルディア兵は?」

「斥候と、別働隊だろう。戦争になれていない様子だった。もしまた鉢合わせしても、ミーシャのことは俺が守るよ」

 ミーシャはもう一つ質問した。


「流氷の結界が気になると、リアムはさっき言っていましたよね」

 リアムは頷いた。

「流氷の結界内に侵入者が入ると、触れた部分が強く発光して相手を凍らせる。ここから数キロ先の下流付近が明け方からずっと、発光したままだ」

「つまり、ずっと誰かが凍り続けている? 結界に入った者は、氷漬けのままなの?」

「凍った者をすぐに結界の川から引きずり出せば、氷は溶けて死にはしない。しかしそのまま凍った仲間を置いて進行、または踏み台にして前に進むと、凍る現象は伝播していく」

 リアムの説明を聞いて、ミーシャは考え込んだ。


「そうすると、緩やかながらも流れていた氷の川は……?」

「カルディア兵は万を超える。凍ってしまった侵入者で、川を堰き止めるだろうね」

「水が、溢れる……」

 

 流氷の結界のそばには町がいくつもある。カルディア兵を誘い込んでいる盆地も土地が低い。侵入者を拒み、カルディア兵が次々に凍っていくと川の水が溢れ、たくさんの犠牲者がでる。

 その様子を想像したミーシャは、全身の肌が粟立った。


「氷を、溶かさなくちゃ」

 炎の鳥で。

 ミーシャは魔鉱石を手に持って見つめた。この中に宿る炎の鳥を呼び出せれば、結界で凍ってしまった人たちも、きっと助けられる。

「リア……、」

 顔を上げて彼に話しかけようとした時だった。ミーシャの手は掴まれてしまった。

「今、炎の鳥で、凍った人を助けようと考えただろ」

「はい。私が役に立……、」

「その必要はない。川の水が溢れないように、対策はしている」

 ミーシャを見つめるリアムの瞳は真剣で必死だった。


「それでも、何が起こるかはわからないでしょ? 私が行けば力になれる」

 リアムは辛そうに顔を歪めた。

「そばにいれば、守ってやれる。だから、俺から離れるな」


――悪魔女を倒せ!

 さっき聞いたカルディア人たちの声が、頭の中で響く。

 戦いの最前線に向かうのは正直怖い。しかし、ミーシャが行くことで助けられる命がある。ミーシャは覚悟を決めると姿勢を正した。


「カルディア兵を助け、グレシャー帝国兵やそこに住む人々を助けることで、私の前世の罪がすべて償えるとは思わない。それでも私は、行かなければなりません」


――他に選択肢はなかった。

 

「だめだ。行くな。もう俺は、君を失いたくない。…………!」

 前世の記憶が蘇り、悲痛な叫び声に胸が痛い。ミーシャはリアムを抱きしめた。


「私もです。リアム」

 顔を上げて、手を伸ばす。

「あなたのいない世界など、想像したくない。絶対に嫌です」

 輝く銀色の髪と、陶器のように白く滑らかな肌を持つ彼は昔、『氷の妖精』のようだった。

 リアムの頬に触れ、青空を閉じ込めたような碧い瞳を見つめながら伝えた。


「私は『炎の魔女』です。必ず『氷の皇帝』の元へ、舞い戻ります」

 

 リアムはしばらく、ミーシャを見つめ続けた。

「約束しろ。絶対に戻ると」

 ミーシャは微笑み、彼の頬に約束のキスをした。

「誓います。必ず戻ってくる。だから、行かせて」


 リアムはミーシャの首から下げている碧色の魔鉱石を握ると、声を張った。


「炎の鳥よ。来い」

 リアムの手の中の魔鉱石は一瞬強く発光した。次の瞬間には頭上に、大きな碧い炎の鳥が現われた。

「ミーシャ」

 リアムはミーシャの腰を引き寄せると、少し強引に唇を重ねた。

「……死ぬな。無理や無茶はしないように。俺は先に、氷の宮殿へ向かっている」

「リアムこそ。無理してはだめ。オリバー様を止めて」

「わかった」

「流氷の結界は私に任せて、絶対にみんなは私が守るから」

 本当はそばにいてあげたい。

 リアムが彼と対面したとき、再び怒りに支配されないか、心配だった。

 想定より多く凍っているかもしれない流氷だが、炎の鳥なら一瞬で溶かせるはずだ。そして、すぐに引き返して氷の宮殿に向かう。


 リアムは炎の鳥に手を伸ばした。

「炎の鳥よ。ミーシャを、守ってくれ」

 自分たちより大きな炎の鳥が、両翼を広げる。

 ミーシャがその背に飛び乗ると、炎の鳥は力強く羽ばたき、空へと舞い上がった。


 炎の鳥は、あっという間に雲の上に到達した。

 目の前には、美しい銀色の世界が広がっていた。まるで、リアムの髪の色のようだ。きらきらと輝いている。上を見れば、南中に差し掛かった太陽。そして、彼の瞳のような碧い空がどこまでも続いている。


 リアム、大好き。

 ミーシャは心の中で、愛しい人を想った。

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