第80話 ブルーガーネット


「ミーシャ?」


 今まさに剣を振り下ろそうとしていたリアムは、突然空から降って現われたクレアの姿をしたミーシャに驚き、動きを鈍らせた。

 その隙をオリバーは見落とさなかった。

 リアムの足に体当たりをして彼のバランスを崩すと、そのまま雪と氷をありったけ生成してぶつけたのだ。リアムは雪を退かし剣を振ってオリバーに切りつけたが、そのまま流氷の中へ墜ちてしまった。


 氷の割れる音と一緒に、白い水しぶきが上がる。

 ミーシャはリアムの名前を叫びながら、流氷の結界に駆け寄った。


「リアム! どこ? 返事して!」

 流氷の中を覗く。川は底が見えないほどに深い。周りを探すが、水面は静かで、リアムが上がってくる気配がない。

 

「……クレアにそっくりな魔女さん。会えて嬉しかったと、リアムに伝えておいてくれ」

 オリバーはリアムに切られた胸を大きな布で止血しながら言った。

「待って! リアムを助けて」

「これは、あいつが作った結界だ。死にはしない。……たぶんな」

 オリバーは流氷に背を向けると、来た道を本当に引き返していく。


 ミーシャはオリバーを諦め、自力で彼を助けようともう一度、流氷に目を向けた。その時だった。水面に大きな影が映りこんだ。白狼だ。


 氷と雪の精霊獣『白狼』は、そのまま流氷の中へ消えた。


 しばらくして、白狼の背に乗ったリアムが水面から顔を出した。ミーシャは流氷の中に飛び込んだ。

 水底に足は着いたが、川の水温は冷たいというより刺すように痛い。それでも漂う氷をかき分け前に進み、リアムに手を伸ばした。


「リアム!」

 リアムはミーシャの手を掴むと抱きしめるように引き寄せた。そして、じっと見つめてきた。


「ミーシャ、なんだよな?」

 どくんと心臓が嫌な音を鳴らした。ミーシャは頷くと「はい」と答えた。

 彼の碧い瞳が揺れる。


「白狼に、捕まって。ここから抜け出そう」

 二人は白狼に助けられながら流氷によじ登り、何とか抜け出した。

 ミーシャはすぐに、炎の鳥を呼び寄せた。力を貰い、水を飲んでしまったらしく咽せる彼の背にも手を当てる。


「その髪色……」

 リアムは、濡れたままのミーシャの髪に触れた。

 今さら隠す必要もない。ミーシャはリアムに微笑みかけると彼に、告白した。


「私、実は、クレアの生まれ変わりなの」


 リアムは、黙ったままミーシャを見つめた。


「前世の記憶があるってことをね、打ち明けようと思ってた」


 ミーシャは震える手で、首にさげていた魔鉱石をリアムに見せた。


「だけど全然魔力はなくて。リアムがオリバー大公を追いかけて行ったあと、白狼くんが現われて、私にくれたの。魔鉱石に触れたら、髪色も、魔力もすべて元に戻った」


 なぜかはわからないけれど、と説明を続けようとしたら、リアムはミーシャの肩を掴んだ。さっきよりもじっと見つめるリアムの碧い瞳は、少し揺れていた。


「本当に、師匠なのか?」


 ミーシャは答える代わりに、炎の鳥を使って、彼と自分の髪や服を瞬時に乾かした。そのあと、彼に向かって頭を下げた。


「今まで黙っていて、ごめんなさい」

「なぜ、もっと早く打ち明けてくれなかった?」

 辛そうに歪めるリアムの顔を見て、ミーシャの胸は張り裂けそうなほど痛んだ。


「クレアの存在は、あなたの足枷になると思っていたから」

「足枷?」

「私は悪い魔女だか……、」

「師匠は悪い魔女じゃない!」

 リアムの力が暴走し、二人の周りに氷塊が発生した。

「俺が! どれだけ師匠に会いたくて、失ったことが悔しくて悲しかったか……!」

 

 リアムの言葉が胸に刺さる。ミーシャはもう一度、深く頭を下げるしかできなかった。


「魔力がない師匠では、あなたに何もしてあげられない。それどころか、悪い魔女の私を庇ってリアムは立場を悪くすると思ったの。前世クレアを恥じていたし、罪の意識に捕らわれ、償うことしか考えていなかった。負担をかけたくない。そればっかりで、あなたの気持ちをくみ取る余裕が、なかった」


 ごめんなさい。と伝えると涙がこみ上げてきたが、自分に泣く資格はないとミーシャは歯を食いしばった。


 ミーシャは立ち上がると、周りの氷を溶かし、リアムから離れた。首に下げていた魔鉱石を手に取り、炎の鳥を呼び寄せる。自分より大きな炎の鳥にミーシャは頬をすり寄せると、目を見て伝えた。


「炎の鳥。お願い。この石に宿り、私の愛しい人を温め続けて」


 炎の鳥は朱く燃える翼を一度大きく広げ羽ばたくと、そのまま姿形を歪め、魔鉱石の中に吸い込まれるように溶けていった。

 ミーシャは魔鉱石にキスをすると、リアムに向き直った。

 真っ赤に燃えるような輝きを放つ宝石を、ミーシャは差し出した。


「リアム。氷を操る要領よ。炎の鳥を呼び出してみて」


 彼の手に魔鉱石を握らせながら、昔リアムに言った言葉をそのまま伝えた。

 リアムの顔が切なく歪む。魔鉱石をぎゅっと握ったあと、彼はミーシャを抱きしめた。


「本当に、師匠なんだ」

「うん。私の可愛いリアム」

 

 彼の耳にそう囁くと、自分の背に回されているリアムの手が微かに震えた。

 抱きしめたままリアムは息を吐くと、言葉を紡いでくれた。


「ずっと、師匠を守れなかったことを後悔していた。何度も何度も夢で謝った。だけど足りなくて、苦しくて、寂しくて悲しかった。師匠……ごめん。そして、あの時助けてくれて、ありがとう」


 リアムの気持ちが痛いほど伝わってきて、ミーシャはリアムの背に手を回し、抱きしめ返した。

 涙で歪む、彼の肩越しに見上げた空はもう、白みはじめていた。

 長い夜だった。そう思いながらミーシャは、彼に師匠として最後の言葉を伝えた。


「私はリアムを傷つけたかったんじゃない。あなたを生かすことに必死だったの。守り抜けられたらそれでいいって。自分のことはどうでも良かった。一人残されるリアムがどれだけ悲しみを抱えるのか、想像できなかった。一人、辛い思いをさせて本当に、ごめんなさい……それなのに、私の願いを叶えてくれた。今まで生きてくれてた。……本当にありがとう」


 魔鉱石を手放し、髪色がいつもの朱鷺色に戻ったミーシャは、リアムに微笑みかけた。


「もう、魔力はないし、師匠でもない。炎の鳥を魔鉱石に宿せたし、凍化の進行もとりあえず防げる。これで私の役目は終わり。だけど……」

 視界が、涙で滲んだ。そこで一度言葉を切った。

「ミーシャ。だけど、の続きは?」

「ちょっと、待って……」

 息が苦しい。何度も深呼吸を繰り返す。すると、リアムがミーシャの手を握った。


「俺が代わりに言う。ミーシャ、帰らないで。……ずっと、俺のそばにいて」


 リアムの言葉は温かくて、ミーシャの凍っていた心を溶かすようだった。

「……そばに、いたい」

 気持ちが溢れる。次々とこみ上げてくる。

「リアムと一緒に、幸せになる未来を、掴みとりたい……!」


 ミーシャはリアムが愛しくて、思わず抱きついた。すぐに受け止めてくれた彼の大きな手はやさしくて、とても温かかった。

 東の空に太陽が姿を現しはじめる。夜が明ける。と思った次の瞬間、流氷の結界が強く発光し始めた。


「すぐそばに、カルディア兵がいるようだ」

 ミーシャに緊張が走った。すると、リアムがミーシャの肩を抱きしめた。

「大丈夫。俺がついている」

 ……本当に、立派で、頼りがいのある人になった。

 不安を拭おうとしているリアムの誠実さと強さを感じ、ミーシャはかつての弟子に感動しながらも、励まされてばかりでどうすると自分を叱った。


「リアムにも私がついている。ひとまずここから離れましょう」

「そうだな。とりあえず魔鉱石は、ミーシャが持っていて」

「え。でも……」

「その方が戦力になる。この場を早く切り抜けた……あれ、ミーシャ。これちょっとおかしくないか?」

 

 リアムは目を見張りながらミーシャに魔鉱石を見せてきた。


 太陽の光に照らされた涙型の魔鉱石は、確かにさっきまで炎のように真っ赤だった。それが今――


「魔鉱石の色が変わってる。碧く、輝いている……!」


 リアムの透き通った瞳の色のように、美しい碧い光を放っていた。




 *・*・*・*


『炎の魔女と氷の皇帝』をここまで読んでいただき、誠にありがとうございました。

 炎の魔女~クライマックスですが、まだもう少し、続きます。(伏線回収がまだ残っています)

 カクコンに参加している関係で、最後はとっても駆け足でした。

 読みにくいところが多く、読者様には本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 それにもかかわらず更新する度に読みに来てくれる貴重な方がいらっしゃって、本当に本当に嬉しかったです。執筆の励みになりました。

 最後まで楽しんでいただけるように、頑張って執筆続けます。

 よかったら、引き続き、どうぞよろしくお願いします。

   2023.2.1の0時22分 碧空宇未より。




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