第74話 瞳に美しい世界を映して

 魔力を使ったばかりで、身体は冷たくなっているはずの彼の唇は温かくて柔らかい。漏れる吐息は熱を帯びて、情欲をたきつけるようにゆっくりと、深くなっていく。


「……リア、ム。待って!」

 ミーシャはリアムの唇を手で押さえ、顔を逸らした。彼はミーシャの手を掴むと、その指先にキスを落とす。氷の皇帝なのに、触れたところから熱で溶かされてしまいそうだ。


「ま、待って。リアム様」

「様はいらない。ただ、リアムと呼んで」

「……リアム、お願い。ちょっと離れて」

「やっと会えたのになぜ?」

 リアムは明らかに不機嫌顔で言った。

「やっとって、朝以来ですよね? 私の気持ちがついていかないから、待って!」

 ミーシャの必死さが伝わったのか、リアムは、ぴたりと止まった。そっとミーシャを離し、自分の口元を手で覆う。顔を逸らすと、「ごめん」と小さな声で謝った。


「ミーシャが愛しくて、暴走した」

 愛しいのはこっちだ。瞳を艶っぽく潤ましながら言う彼を今すぐ抱きしめたくなったが、ぐっと堪える。

「そういうこと、さらっと言われると私は戸惑います」

 

 リアムは深く息を吐くと、少しだけ後ろに下がった。距離を取られると、それはそれで寂しさがこみ上げる。

 本当、恋って、たちが悪い……。

 

 感情が落ち着くのを待ってから切り出そうとしていたら、先にリアムが口を開いた。

「今朝、ナターシャに気持ちには応えられないと伝えた」 

 ナターシャから聞いてはいたが、リアム本人の口から報告されて、正直嬉しくなった。ナターシャの気持ちを思うと胸が痛いはずなのに、それとは別でどうしても緩んでしまう頬を、手で押さえる。


「みんなが、ミーシャと幸せになれという」

「私もです」

「だからといって、流されているわけじゃないと、わかって欲しい」

 リアムのさらさらの銀色の髪が、雪交じりの風で揺れる。ときどき輝くその美しい髪に触れたいと思い、ミーシャは一歩リアムに近づいた。にこりと微笑みかけて、

「リアムの言葉を、私は信じます」

 彼に伝えた。


「正直、この感情に戸惑っている。今まで、自分の幸せなど見向きもしなかったから」

 リアムはミーシャに手を差し出した。

「最初に、俺に幸せになれと言ったのは君、ミーシャだ」

 ミーシャは目を見張ったあと、ゆっくりと頷いた。


「陛下……リアムには、誰よりも幸せになって欲しいです」

 そっと、彼の大きな手に自分の手を重ねる。するとリアムは指と指を絡めてきた。


「俺の幸せは、ミーシャが幸せであること」

 触れることで熱が溶けていく。ミーシャはこの手を離したくないと思った。

「私はずっと、自分は幸せになってはいけないと思っていました」

「……俺も、同じことを思っていた」


「支えてくれたみんなや、リアムが教えてくれたんです。自分を犠牲にすることは間違っている。大切な人の犠牲の上に成り立つ幸せの影には、必ず、泣いている誰かがいるんだと。私が幸せになれば、みんなも幸せになれるんだって」

 エレノアや、ライリー、ユナやサシャ、そしてナターシャの顔が浮かんだ。

 自分さえがまんすれば良いと思っていた。だけどそれでは彼女たちを悲しませるだけ。

 みんなを幸せにするには、まず、自分が幸せを掴まなければいけない。


 リアムの手をぐっと握ると、彼も強く握り返してくれた。


「あの月の夜。森の中から君は炎の鳥と共に現われた。敵に怯むことなく立ち向かい、会ったばかりの男を一生懸命看病してくれた。頬に煤をつけたミーシャは力強く、凜としていて、炎の煌めきのようにとても美しかった」


 リアムはそっと、手を持ち上げると手の甲に唇を寄せた。


「最近、ようやくわかった。俺は、あの夜に恋に墜ちていた。出会ってからずっと、ミーシャのことが好きだ」


 リアムの思いが届いて、心が震えた。今まで味わったことがない、たとえようのない幸福感に包まれて、嬉しくて、ミーシャは泣きたくなった。


「リアム。私もです。リアムに会ったときから私は、あなたに恋をした。ずっと、好きです。これからも、この先も……!」


 リアムはふっと嬉しそうに破顔すると、繋いでいた手を解き、腕を広げた。

「抱きしめてもいい?」

 その問いに応える代わりに、ミーシャは彼の胸に飛び込んだ。ぎゅっと抱きしめられて、涙がこみあげてくる。

 リアムが愛しい。かけがえのない、唯一無二の存在だと伝わるように、彼を強く抱きしめ返した。

 

 リアムはミーシャの頭をやさしく撫でると、固い声で言った。

「今はカルディア国とオリバーの件、自分の病について、問題が山積している。だけど約束する。すべて片付けミーシャを守るから、俺と一緒に、幸せになる未来について考えてもらえないだろうか?」


 とくとくと胸の鼓動が喜びを謳っている。自分が望むことを相手も望んでくれている。なんて幸福で、尊いのだろう。このまま何もかも委ねてしまいたい。そう思ったが、ミーシャはまだ、彼に打ち明けていないことがある。ぐっと勇気を溜めると、口を開いた。


「リアム。実は私、あなたに打ち明けないといけないことがあります」


 リアムは「なに?」とやさしく聞いてくれた。

 胸がばくばくと暴れはじめる。ゆっくり呼吸を繰り返して、心を整える。決意を固めミーシャは顔を上げた。


 見上げたミーシャの瞳に、美しい世界が飛び込んできた。


「……リアム! 見て。あれって、オーロラだよね?」

 

 満点の星空と、揺らめく光のカーテン。赤や紫、緑へと輝きながら流れるように色を変えていく。空のアートにミーシャは一瞬で心奪われた。


 リアムも空を見上げた。

「オーロラも、ミーシャは初めて?」

「はい。初めてです。こんなに綺麗だなんて! 私、オーロラをずっと見てみたかったの。リアムが雪を止め、雲を払ってくれたから見えたのね。……すごく神秘的。……素敵な景色を見せてくれてありがとう!」


 お礼を伝えると、リアムは子供のころのように、満面の笑顔をミーシャに見せてくれた。


「それで、打ち明けたいことって?」

 しばらく空の天体ショーを眺めたあと、リアムはミーシャに聞いた。もう一度呼吸を整え、身体をリアムに向ける。

「実は私……」


 意を決めて口を開いた刹那、狼の遠吠えが夜空に轟いた。

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