第1章
*ミーシャ*
第1話 炎の鳥と白い手紙
◇
天にまで届きそうな真っ赤な火柱が上がる。爆音とともに熱風と炎が大地を駆けていく。すべての因果を飲み込み、灰にするために。
他に、選択肢はなかった。
クレア・ガーネットは最後の力を振り絞って立ち上がると、そばで気を失っている愛弟子を抱きしめた。危うく、彼を目の前で失うところだった。大きな怪我はしてないことに胸をなでおろす。
「炎の鳥よ。この子を……リアムを、守って」
輝く銀色の髪と、陶器のように白く滑らかな肌を持つ少年は、まるで氷の妖精のようだ。煙火の中でも涙のあとが乾かずに頬に残っている。指先で拭おうとしたが、止めた。自分の手が血と泥と煤で汚れていたからだ。
代わりに彼の手に炎を閉じ込めたような輝きを放つ宝石、『魔鉱石』を握らせる。
リアムならきっと、この石を正しく使ってくれるはず。
本物はこの一つだけ。出来損ないの偽物魔鉱石は全部燃えて、砕け散るだろう。
咳をすると血の味がした。自分の手のひらが二重に見える。周りは炎で、今は昼間のはずなのに黄昏時のように暗い。視界が、ずいぶんと狭い。
間もなく自分は死ぬ。なのにそこまで怖くないのは、大切な弟子を守り抜けたから。
「リアム、私の分も生きて、幸せになってね……」
彼をもう一度抱きしめると、そっと地面に寝かせた。
目の前に沸き立つ黒煙から、鳥の形をした炎が現われた。自分よりも大きな炎の鳥は眩しくて、狭まった視野でも捉えることができた。両翼を広げこちらに向かって飛んでくる。
身体のすべてがひどく重い。指一つ動かすことができない。リアムとみんなを守るために身を委ねようと、クレアは目を閉じた。このままこの命をもって、罪を償う。
「師匠……死なないで」
心臓がどくんと脈打った。顔だけ振って後ろを向く。かすむ目でもわかる。
リアムが目覚めた。空を閉じ込めたような碧い瞳が涙で揺れている。
もう少し離れようと思うが、足が動かない。笑みを顔に貼り付けるのが精一杯だった。クレアは朱く輝く炎の鳥に飲み込まれた。
「嫌、だ。行かないで。師匠のいない世界なんて、生きていけない……!」
そんな悲しいこと言わないで。
愛弟子の悲痛な叫び声に胸が痛い。だけどもう引き返せない。身体は炎の鳥と一体となって、天に昇っていく。
地獄が待っているはずなのに、閉じた瞼の裏には美しい銀色の世界が広がっていた。まるでリアムの髪の色のようだ。きらきらと輝いている。
リアム、大好きだよ。
薄れてゆく意識の中、声を、魂を、振り絞った。
自分が消えてしまう最後の瞬間までクレアは、彼の幸せを願い続けた。
◇
ミーシャ・ガーネットは、ぱっと目を見開いた。
上半身だけ起こして周りを見回す。涙を指先で拭い、ベッドの端に座る。
また、昔の夢を見てしまった。
小鳥の囀りが聞こえ、目を擦りながら立ち上がるとそばの窓を開けた。清々しい風が頬をかすめて気持ちがいい。
ミーシャがリアムの婚約者に決まったのは三ヶ月前のこと。空は高く澄み渡り、秋の訪れを感じはじめた頃だ。
大陸の南、海に面したフルラ国は炎の国で、夏の期間が長く、冬になっても零度を下回らない。雪は数年に一度降るかどうか。
朝の空気と金木犀の香りを吸い込むと、ミーシャは窓を閉めた。
朝焼けの空のような紫の瞳の「彼女」がガラスに映り、目が合った。
「クレア。あなた、どうして生まれ変わったの?」
窓ガラスに映る自分からは返事はない。苦笑いを浮かべると視線を逸らした。
長く伸びた
旅商人が好んで着ているシンプルな服に身を包むと、中庭で洗濯を干す侍女たちに見つからないように部屋を抜け出した。
屋敷の裏手へと忍び足で向かう。
侍女のライリーにも内緒で出かけようとしているのにはわけがあった。最近出歩きすぎだと注意を受けたばかりだからだ。しかし、行かないわけにはいかない。
ミーシャには転生前のクレアのときから培った知識があった。薬草に詳しく、薬を作れる。今日も街には病や怪我で苦しんでいる人がいる。必要な薬を早く届けてあげたかった。
裏門に繋がるドアに向かって足早に、長い廊下を進んでいたときだった。
鳥の形をした朱い炎が突然現われ、ミーシャの行く手を阻むように舞い降りた。
鳩ほどの大きさの炎の鳥は、よく見ると金色に縁取られた白い手紙を嘴の先で咥えている。片手を前に差し出すと、朱色の炎の鳥はふわりと飛び、手の甲に止まった。
「おはよう。ミーシャ」
振り返ると、赤い髪が美しいエレノア・ガーネットがいた。こちらへゆっくりと歩み寄る。
「お母さま、どうしてここに?」
「あなたが部屋を抜け出していると、その子が教えてくれたの」
ミーシャは視線を炎の鳥に向けた。炎の精霊は小首をかしげている。
「外に行くなら手紙に目を通してからにしなさい」
手紙を受け取りひっくり返した。差出人を見て、心臓が跳ねた。
「これ……グレシャー帝国刻印と陛下のお名前」
「ミーシャ。そろそろ観念して、隣国へ嫁に行ってくれないかしら?」
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