炎の魔女と氷の皇帝

碧空宇未(あおぞらうみ)

序章

*プロローグ*

* * *

 

 朝陽に照らされた粉雪が、煌めきながら静かに舞っている。

 ミーシャ・ガーネットは、馬車の窓から手を差し出した。ひんやりとした風の中、指先で雪を追いかけるが逃げられた。苦笑いしながら手を引く。


「白くて、きれいな国ね」

 隣国のグレシャー帝国は、一年の半分以上が雪と氷に覆われている氷の国だ。


 初めて訪れる憧れの地は、想像していたとおり美しい銀色の世界だった。木々の枝葉には雪が積もり、まるで白い花が満開のように見える。

 吐いた息は白く、それだけで心が弾むが今回の目的は観光ではない。緩んでいた頬をぐっと引き締めた。

 

 フルラ国の公爵令嬢のミーシャは、グレシャー帝国の皇帝リアム・クロフォードの妃候補だ。婚約期間を終えれば、正式な皇后となる。


 外を眺めていると、青白く光る大河が現われた。水面の九割が氷で覆われている。

「あれが、流氷の結界ね」

 

 水は生活水として使う分には問題ないが、国に害をもたらす目的の者が流氷を渡ろうとすると、たちまち氷に捕らわれ、凍って動けなくなる。


「侵入者は容赦なく生きたまま氷漬け。リアム陛下は英雄で賢帝らしいですが、氷のように冷たい『氷の皇帝』、『孤高の狼』という噂は本当かもしれませんね……」


 国中の川全部に結界を張っているのは、リアム陛下だ。

 なにかと噂が耐えない彼に、侍女のライリー・スノーが不安に思うのも無理はない。

「ライリー、きっと大丈夫よ。リアム陛下は冷たい人じゃない」

 少しでも元気づけようと彼女の手をやさしく握った。


「私のわがままで、ここまで連れてきてごめんね。だけど、あなたが必要なの」

 ライリーは一瞬驚いたあと、背筋を伸ばした。

「申し訳ございません。私はどこまでもミーシャ様について行きます!」

 彼女は深く頭を下げた。


「陛下の病が完治したら、約束どおり婚約を破棄してもらう。だから大丈夫。すぐにフルラ国へ帰れるから、心配しないで」


 若き皇帝は今、病に冒されている。魔力の使いすぎで身体が凍ってしまうという『凍化病』が深刻だということは、一般人には知らされていない。

 国のトップの健康面は国内外において、最重要の機密情報だからだ。


 ミーシャは魔力と薬草に精通している。その知識で同盟国の皇帝の病を内密に治療することが今回の本当の目的で、『婚約』は、表向きだった。



 大きな橋の手前では検問所があったが、クロフォード家の家紋入り馬車は停まることなくそのまま通された。

 除雪された道をしばらく進むと、建物が増えてきた。


 帝都は陛下の婚約を祝う垂れ幕や、のぼり旗で華やかに飾られているが、どこにもミーシャの名はなかった。両国が二十数年前まで戦争をしていた影響だ。

 

 フルラ国のガーネット公は恐ろしい『魔女の末裔』。自分たちの皇帝の妃にふさわしくないと思われているのだろう。姿を見られないように、ミーシャは窓から離れた。


 馬車に揺らされること三十分。丘の上に大きな『氷の宮殿』が見えてきた。

 屋根と壁は朝陽に照らされた雲のように白く輝いている。色彩豊かなフルラ国の宮殿とはまるで違う。美しい建築物を見てミーシャはうっとりと見惚れた。


 宮殿の門の前には、陛下の宰相で側近、ジーン・アルベルトが待っていた。


「ミーシャ・ガーネット様。遠路遥々、ようこそお越し下さいました」

 馬車から降りると、ジーンはにこやかに出迎えてくれた。ミーシャも笑みを返す。

「宰相さま。たくさんのお心遣い、ありがとうございます」

「さっそく、ご案内いたします」


 数十人の衛兵が整然と並ぶ前をゆっくりと進む。人の背丈の倍以上ある大きな扉の前に立つとジーンが扉を開けるように合図した。


 この宮殿内に、彼がいる……。

 扉がゆっくりと開かれていく。ミーシャはごくりと唾を飲みこむと、胸に手をあてた。


 高い天井には立派なシャンデリア。鏡のように磨き上げられた白い床。天窓からは光がやさしく差し込んでいる。美しく荘厳で広い玄関ホールの中央にいたのは、誰よりも存在感を放つ、彼だった。


 グレシャー帝国皇帝リアム・クロフォード。


 まさか、皇帝陛下自ら出迎えてくれるとは思っていなかった。心の準備が追いつかない。その場から動けず固まっていると、リアムは侍従たちをその場に残して一人、こつこつと靴音を響かせながら近づいてきた。

 スイッチが入った人形のように、ミーシャは急いで屈膝礼カーテシーをした。


「氷の宮殿へようこそ。令嬢、顔を上げて。長旅で疲れただろう」

「用意していただいた、すてきな馬車のおかげで快適でございました。……陛下こそ、お身体は大丈夫ですか?」

 顔を上げ、質問を投げかけながらリアムの様子を観察した。


『氷の皇帝』の名にふさわしい月光を閉じ込めたような銀髪が、さらりと揺れた。  

 切れ長の目、筋の通った鼻、形のいい唇。すべてが完璧に整っている。

 陽の光に照らされて、とても神々しい。透き通った碧い瞳にまっすぐ見つめられて、胸の鼓動が速くなっていく。


 落ち着けと自分に言い聞かせていると、リアムはミーシャに向かって手を差し出した。

「身体は大丈夫だ。あなたにまた会える日を、ずっと、心待ちにしていた」

 

 ……昔は、かわいい氷の妖精みたいだったのに、声は低くなり、手も大きく男の人のものだ。面影だけ残してすっかり、大人になった。


 懐かしいと思うと同時に切なさがこみ上げてきて、泣きそうになった。唇を引き結び、堪える。



 今年十六歳になったミーシャには前世の記憶がある。

 転生前の『クレア・ガーネット』には一人の弟子がいた。その弟子こそが今、目の前にいる『リアム・クロフォード』だ。

 

 フルラの歴代魔女は白く清らかなグレシャー帝国を何度も赤い火の海に染めた。特に悪い魔女として有名なのが、前世の自分クレア。

 

 クレアは師匠失格だ。取り返しのつかない過ちを犯した。悪魔女の暴走を止め人々を救ったのが、英雄の皇帝リアムだった。

 

 時は流れ、この婚礼は両国の絆を深めるために行われるが、前世の記憶があるミーシャは彼のお妃に一番ふさわしくない。


 私がクレアだと、リアムにばれないようにしなくちゃ……。

 


 ミーシャはゆっくり、彼の手に触れた。

 かつての愛弟子の苦しむ姿は見たくない。病は必ず治してみせる。


 心に誓いながらミーシャは、リアムに向かってやさしく微笑んだ。



 * * *


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