第14話 いつか失われるもの
春絵は、ぽかんと口をあけたまま、数舜固まってしまった。
案内された室内にいたのは五人。
両親と、相手方の母親と思しき女性、それからやけに屈強そうな男性と、それから……。
女優のようにあえかな女だった。
ふわりと微笑んだその女が、「はるさん、忙しいのにありがとね」と姉の声を発しながら小首を傾げた。
姉だ。
これは、紛れもない姉なのだ。
春絵は「あ、うん」と間の抜けた返答しかできなかった。
姉らしき女の顔を凝視しながら、ややあって笑ってしまった。
「どうしたの」
「ん?」
「キレイにしちゃって」
春絵の言葉に、姉は口元に手をやって「ふふふ」と笑った。
「ありがと」
姉妹のやり取りを、その場に居合わせた者達は微笑ましく見守っている。母に手招きされて、春絵は母の隣の末席についた。
再び、ちらと姉を見やる。
今日の姉は、薄い水色の上品なワンピースを纏っている。こんな格好をしているところも実家ではついぞ見た事がない。こんなに、しっかりとした化粧をしていたところも当然見た事がない。本当に、姉は、こんなに綺麗な女だったろうか? まさかと思うが替え玉じゃなかろうか?
そんな馬鹿な事はありえないと知りつつも、思わずそう考えるほどに、その姿は春絵の知る姉から大きくかけ離れていた。
――後に知った事だが、それはコスプレイヤーの人達がする強めのメイクだったらしい。姉は――ずっと引きこもっているように見えて、その界隈では随分と旺盛に活動していたらしい。本当に知らなかった。夏や年末には、オタクの人達がやる随分と大きなイベントがあるらしく、姉と夫になる人は、同じサークルとやらで十年来共に活動をしてきたそうだ。付き合いが古いのというのは本当の事だったらしい。
とまれかくまれ、呆気に取られている春絵の前で、がっちりとした体格の長身の男性が「こんにちは」と会釈をした。
「
秋帆というのは姉の名だ。
「娘と知り合われたのは、十年前とおっしゃってましたね?」
父の問いに、芹沼は「はい」と明朗快活に頷いた。
「僕はアニメーターという仕事をしているのですが、実のところ、これがあまりお給料がいばれたものではありませんでして……長いことグズグズと惨めな愚痴を吐いていたのを、秋帆さんに叱ってもらったり励ましてもらったりで――昨年、ようやくアシスタントディレクターに昇進が決まったので、思い切って結婚を前提にしたお付き合いを申し込ませていただいたんです」
春絵はアニメやらマンガやらについて全く詳しくないので、それがどう良かったり悪かったりするのかは判断が付けられなかったが、本人達が納得できている事なら、まあいいのだろう。
父も反対していないようだし、春絵が考えを挟むことではない。――強いて言うなら、オタクの人で、しかもそれを本職にしている人なのに、身体が全然
これも後に知った事だが、コスプレをする人の中には、キャラクターの体型に寄せるべく、身体を
食事は和やかに進み、
相手方が母親一人だったのは、父親が三年前に癌で亡くなったからだそうだ。その時にも、姉は彼のみならず、母親の支えにもなったそうだ。沢沼の母親が、そう嬉しそうに語っていた。
春絵は、少しだけ自分の義理実家との関わり方との違いを思った。
春絵達は、ほぼ桑名とは没交渉だ。折々の形だけの祝い金程度は送って来るが、盆暮れの帰省は「無理にしなくていい」と言われている。つまり来るなという事だ。
姉は、両親と話す時よりも、沢沼とその母親とのほうが打ち解けて見えた。言葉のやり取りが穏やかで、表情がぱっと明るかった。
少しだけ
そして、それで
羨ましくとも、
それはつまり、自分は今の生活に十分満足しているという事を意味するのだろう。
思えば、自分はずいぶんと姉との関係に囚われて生きてきた気がする。
最初にその事を指摘してきたのは――誰だったろうか。
もうずいぶんと前の事だから、忘れてしまった。
この年まで生きてきて、色々あった。
自分の事が正しい人間だなんて、春絵は微塵も思っていない。
間違った事もたくさんしてきた。
それでも、曲がりなりにも人の親になり、子供を
賢介と信絵が傍にいてくれたから。
姉と自分は、違い過ぎたからこそ、近すぎて苦しかったのだろう。そして、両親もようやくこの子育てから解放される。
古い家族は解体されて形を変えて、また新たな家族を形成してゆく。
ああ、これが家庭を守る、という事なんだな。
守るべき、いつか失われるもの。
なら、今自分の手の中にある間は、しっかりと守ろう。
こんなにも幸せにしてくれた賢介を、あたしも大事にしよう。
そう、心から思いながら、春絵は帰路に就いた。
――だから、思いもしなかったのだ。
小峰から、春絵に連絡をしてくるなんて。
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