第12話 親に対する愛着や信頼感がまるでない
*
賢介は計画的な男だった。
その生真面目な気質からもうかがえる通り、人生設計を綿密に組み立てておきたい人間だった。
それなりの給料を得ているのに、無駄遣いは一切しなかった。むしろ余計な出費を憎んですらいたかも知れない。
それは幼少期から続く兄との格差が要因だったと、春絵も共に暮らし始めてすぐに気付いた。
実家に行った時に、リビングの棚に並べられていた兄の名の冠されたアルバムは五冊もあったのに、賢介が自宅に引き上げたアルバムは二冊しかなかった。しかも二冊目は後半から写真が残されていない。
開いてみればさらにその扱いの酷さが露見する。
七五三の着物は当然お下がり。それは分かる。だが、それ以外のあらゆるところから親の「節約」が透けて見えた。
まず、親が撮ったスナップ写真の枚数がまるで違う。
それから参拝帰りの食事が、兄の時には親族総出で仕出しで自宅でやったのに対して、賢介の時は家族四人だけで、レストランで済ませている。
これはリビングに飾られていた家族写真から分かった。兄の時のものと子供たちのものが並んで飾られていたのだ。
入園式、入学式、運動会、文化祭、あらゆる場面で親の関心が薄い事が見て取れる。あらゆる場面で全てがそうなのだ。
写真で見るだけでもそれは明白だった。賢介のアルバムが押し入れの上の棚に押し込められていた事から、彼の本音は透けて見えた。
いっそ痛ましいを通り越して清々しいほどに。
特に酷かったのは進学における事だった。中学から兄は地元の私立の一貫校に通ったが、賢介は公立校に通った。彼も受験を希望したらしいが、親から言われた言葉は「本当にお前に必要だと思うのか?」だったそうだ。それで賢介は完全に委縮し――恐らくいじけてしまったのだろう。
中高と公立で通して大学を東京の私立にしたのは、せめてもの意趣返しだったのだ。ここまで俺には学費をケチったんだから、大学にかかる金ぐらい出せと。
親に対する愛着や信頼感がまるでない。
ドライでビジネスライクで、必要以上には関わりたくないというのがよくわかる。
ああ、だから
彼は初めから、その人生設計の中で、実家を頼る気などさらさらなかったのだ。
もうこれ以上自分を親の都合がいいように扱われたくなかったのだ。
第二子の冷遇は春絵にも痛いほどわかる。
結局第一子ほどには手や金をかけてはもらえないのだ。
そのくせ、「上」に何かがあった時には「あなたはあんな風にはしないで、親の期待に応えてくれるわよね」とすり寄ってくるのだ。
あなたのほうに期待しているわという餌をちらつかせながら。
今なら少しだけわかる。
きっとそうやって、親にコントロールされて振舞い方を決められてきた。そして、その期待通りに動けば「上」より自分のほうが優れていると思い込めたから、その甘い餌にまんまと喰いついてしまった。
「上」は期待外れの失敗作と思えれば思えるだけ溜飲が下がった。
そんなつまらないものに齧りついて、上へ上へと上がる事に執心して、いつか「上」を引きずり降ろす事を夢見て、そのために周りが見えなくなって。
ああ、自分達は、似た者夫婦だったのだ。
賢介の節約気質は、春絵に気晴らしのための軽率なショッピングを許さなかった。しかしどの道毎日大きく膨れてゆくお腹を抱えておしゃれも何もなかったし、動き回るのも億劫になっていたのでさほど問題視はしなかった。
月々の生活費は決められていて、それ以上に下ろす事を認められなかったから、最初の頃はよく独身時代の貯金を切り崩した。しかしそれも長くはもたない。あまりに厳しいと感じたので、レシートを並べて生活費の増額変更を求めたら、なんと賢介は自身の小遣いを半額にしてきた。減らした分を生活費に充ててくれという。
将来的に、第二子が出来る事を想定して、二人とも進学を遠方私立にした場合の事を考えると、今からしていかなくてはならないペースの貯金額なら今が限界ギリギリなのだという。
「――それに、はるちゃん、今のまま、アパートで暮らしていくといつか辛くなるよ。子供は大騒ぎするからね。隣近所に騒音を気使いながら暮らすよりさ、隣と距離が取れる一戸建てに移り住むほうがいいと思うんだ」
そう言って、賢介は春絵の頭を撫でた。
「ごめんね、少しだけ、僕と一緒にがんばってくれる?」
春絵は――今まで信じた事もない神に向かって感謝した。
こんなに具体的な幸せの形を考えて、実行して、提供しようとしてくれる男なんてそうそういないだろう。
春絵は、顔をくしゃくしゃに笑ませて何度もうなずいてから、お腹を撫でて信絵に話しかけた。
「あなたのパパは世界一だよ。絶対に、二人であなたをしあわせにしてみせるからね」
そういう春絵に、賢介はくすぐったそうに笑った。
そうして、信絵が生まれて、彼女が幼稚園に入園するのを機に、一家は郊外に移り住んだ。中古の、都心から二時間の住宅街にある一軒家だった。
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