35話 雲居巫香⑥

 怪物を斃して、帰りの道中。

 巫香はぐったりとして、全てを神降ろししたググリヒメに任せていた。巫香自身が戦ったわけではないのだが、戦闘の後はいつもめちゃくちゃに疲れてしまう。

 ググリヒメだとミロミコトほどのスピードは出ないのだが、それでも巫香に比べれば十分すぎるスピードだ。

 眠ってしまいそうになっていると、横のアイピーがじっとりと言ってくる。


「帰る時ぐらい、神降ろしは解きなさいよ」

(……嫌って言って)

「嫌だって」


 ググリヒメが簡潔に返すと、アイピーはこれ見よがしに溜息を吐いた。胸がきゅっとして、唇を引き結んでうつむく。

 窓から自分の部屋に戻り、変身を解除する。どっとした疲れを身体でも感じて、ベッドに倒れ込んだ。

 神降ろしを扱った戦闘後は精神が疲労し、変身を解くと肉体の疲労が降りかかる。通常の飛行や魔力の武器化と、固有魔法は使う魔力が違うらしくでそれぞれに疲労が出てきてしまうらしい。

 アイピーからは固有魔法に頼らずに戦えるようになれと言われているが、巫香からすればとんでもない話だった。自分ひとりの力では飛行すらままならないというのに、どう戦えというのだろう。

 神様の力がなかったら、巫香は何もできないのに。

 アイピーが深く息を吐くのが聞こえた。またなにか説教が始まるのかと身構えるが、どちらかというと安堵に近い響きだったような気がした。

 こっそり顔を上げると、パソコンを操作しているアイピーが見えた。こちらを向いたので慌てて頭を倒して寝なおす。バレバレだったことは指摘せずにアイピーが言ってくる。


「とりあえずは見られてない……と思う」

「なにが?」


 観念して身を起こす巫香に、アイピーは半眼を向けた。


「今の戦い。まだ油断はできないけど、見られてないか少なくともネットには流れていない」

「うん……」


 頷くのだが、内心では別のことを考えていた。

 アイピーがこちらの世界に来たのは半年ほど前。巫香の家に住み着いたのも同じぐらいだが、色んなことに馴染んでいる。ユービスにはパソコンもインターネットもないと話していたのに、アイピーは積極的に様々なものに触れて吸収していった。それは素直にすごいと思う。巫香も普通にパソコンは使えるし、インターネットで調べ物をすることはあるが生まれた時から当たり前にあった巫香とは前提が違う。

 以前にそのことを言ってみたところ、「この役職に役立たずは選ばれない」とだけ返された。

 役立たず、という言葉は巫香の胸に鈍い軋みを与えた。そんなつもりはないのだろうが、どうにも自分が言われているような気がしたのだ。

 巫香は、役に立っている人間だろうか。


「巫香?」


 アイピーに呼ばれて意識を戻す。また小言を言われるのかと身を縮める。


「今回の戦い、良かった」

「……え?」


 何を言われたのか咄嗟に理解できず、呆けたように訊き返す。

 アイピーは面倒くさそうに眉根を寄せて、同じことを繰り返した。


「良かった、って言ったの。あの怪物は厄介な力を持ってたけど、ちゃんと対処したからね」

「…………」

「なに」


 結構本気で嫌そうにするアイピーに、ぽつりと答える。


「アイピーに褒められたのって初めて」

「そんなわけないでしょ。ちゃんとできれば褒めるぐらいはする」

「……でも、やったのはググリヒメだから。巫香じゃない」

「巫香は……まあ、その話は今はいい」


 アイピーはかぶりを振って、話を切り替えた。


「それより、話しておきたいことがあるの」

「……なに?」

「どうして、怪物と戦おうとしたの?」

「え……」


 どうして、と言われて頭が真っ白になった。言葉が浮かばないまま、呆然とアイピーを見返す。

 アイピーは小さく嘆息して、話を続ける。


「様子を見るって言ったのに無理やり行こうとしたでしょ」

「あ」


 思い出した。どうにかして変身して行かなきゃと思い、窓から飛び出したのだった。


「どうしてあんなことしたの?」

「どうしてって……」


 身体を丸めて、心持ちアイピーから距離を取る。

 叱られるのはうんざりで、もう嫌だ。

 少しの沈黙をはさんで、アイピーは聞えよがしに嘆息した。


「あのね、責めてるわけじゃないの」

「……でも、怒ってる」

「怒ってない」


 言葉を制するように言い返されて、口をつぐむ。どう聞いても怒っているが、指摘してもしょうがないことだった。

 アイピーは前足で机をとんとんと叩く。苛立ちの表れだ。


「怒ってないってのはちょっと違うけど。巫香を責めてどうして? って言ってるわけじゃないの。私は理由を知りたいの」

「理由……」


 おうむ返しにしてアイピーをおそるおそる見返す。

 今度の沈黙は短かった。アイピーが続ける。


「いくらなんでも理由もなくあんなことしないでしょう。言ってみなさい」

「……あの公園。巫琴が遊んでる」

「あの公園?」


 首を傾げるアイピーに、ぼそぼそと説明する。


「戦った場所、公園あったよね」

「ああ……あったね。巫琴がそこで遊んでるって? さっき公園にいたの?」

「それは、わからないけど……」


 アイピーは本気で不可解そうに眉をしかめた。


「部屋に行ってみれば巫琴がその公園にいるかどうかはわかったんじゃないの?」

「…………」


 巫香は答えず、内心でだけその通りだと認める。というか、アイピーに言われて初めて気が付いた。

 考える。あの時巫琴が家にいたとして、それから巫香はどうしただろうか。じゃあ大丈夫だねと、アイピーの言いつけを守って部屋で大人しくしていただろうか。

 それは、どうにもしっくりこない想像だった。

 あのね、とアイピーが言ってくる。


「巫琴が心配だったってこと?」

「…………」

「だったら、どうしてそう言わないの?」

「……言っても、反対する」


 巫香の言い返しに、アイピーは本気で呆れた顔を見せた。


「それは言わなければわからないでしょ。ていうか、反対されるからって言わない方が困るの」

「……?」

「私と巫香は違う人間だから、意見が違うことは当たり前なの。だからお互いにちゃんと言わないと、どう思ってるのかわからないでしょ」

「…………」

「巫香がそういうの苦手なのは十分にわかってる。だからって言わないままではみんなが困るんだからね」


 そうだ、アイピーも巫香がそういうことができないのはわかっているはずだ。それなのにどうしてやらせようとするのだろう。どうせうまくいきっこないのに。


「私が怒ってるとしたら、飛び降りて無理矢理変身させたことね」

「…………」

「ちゃんと説明すればいいのに、あんな風に自分の思い通りにさせようとするのははっきり言って卑怯よ」

「……だって」


 言い返そうとしても、言葉が出てこない。

 いつもそうだ。言おうとしても、その時にはうまく言葉が出てこない。後からこう言えばよかったのではないかと思うことはあっても、その時に思いつくことはない。だからいつも巫香が何も意見できないまま場が進んでしまう。

 巫香からいえば、ちゃんと話せる人の方が反則的な存在だ。


(巫香が、巫香じゃなければうまくいくのに)


 内心でうめく巫香に、アイピーが諭すように言う。


「巫香はやればできると思う」

「…………!」


 ぎゅっと、シーツを握り込む。

 やればできるというのは、巫香の一番嫌いな言葉だ。やってもできないから苦労しているのに、信じているみたいな顔でそういうことを言われるのが嫌だ。まるで巫香が何もせずに生きているかのような物言いは、巫香に大きい反感を抱かせる。

 それでも、巫香は内心を口にできない。どうすればこの気持ちを伝えられるのか、その言葉を持たない。


「巫香に必要なのは慣れだと思う。話す訓練はさせようとしたけど、私じゃどうにも萎縮しちゃってて経験を積めてないのよね」

「…………」

「良い機会だから、話す訓練をちゃんとやりましょう。できるようになれば、巫香にとっても大きいプラスになるのは間違いない」

「……話せないよ」

「やるの」


 有無を言わせない口調でアイピーが言い切る。


「今から、巫琴と話してきなさい」

「……え?」


 予想していなかった指示に、巫香はぽかんと訊き返した。

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