33話 雲居巫香④
途切れることなくパソコンを操作していたアイピーの身体が、ぴくりと震え操作の手が数秒止まった。
なんとなくアイピーを見て過ごしていた巫香は、あれと首を傾げて問うた。
「どうしたの?」
「いや……」
曖昧に口を濁すアイピーに、もしかしたらと思って問いを重ねた。
「出たの?」
「…………」
アイピーは答えない。また変なことを言ってしまったのかと身を縮める。
伺うように覗く巫香の前で、アイピーは嘆息してゆっくりとこちらを向いた。
「怪物が出た」
「……じゃあ、行かないと?」
巫香のためらいがちな返事に、アイピーははっきりとした渋面を作った。
いい? と腕を組んで言い含める調子で言ってくる。
「様子を見ることも考えると言ったのを覚えてる?」
「……うん」
「今回はそうする」
「…………」
返事ができずに、アイピーを見返す。アイピーの眼差しは真剣で、冗談などではないことがわかる。アイピーが冗談を言ったことなど、これまで一度も見たことはなかったが。
聞いていた話だ。確かにそのような内容のことをアイピーは言っていた。巫香も、アイピーが決めたのならそれでいいと答えた。
だから、それでいい。仕方のないことだ。
巫香はただ、決まったことに従えばいい。
アイピーの視線が突き刺すかのように巫香をとらえている。え、と慌てるがまだ返事をしていなかったことに気が付いた。
わかったと言わないとと軽くパニックになりかけたところで、気になったことがあった。
「……どこに出たの?」
「北西に600メートルのところ」
「どこ?」
きょとんと訊き返す。方角と距離を言われても、見当もつかない。
アイピーは渋面をさらに深くして、パソコンを操作した。ある画面を表示させて、巫香に示す。
「このあたり」
アイピーがマウスのポインタで示した地図の画像を、近寄りながら見る。
「あ……」
とだけつぶやいて硬直する巫香に、アイピーが訝しげに訊ねる。
「どうしたの?」
「……行かなきゃ」
すっくと立ちあがる。一瞬にして焦燥感が巫香を満たし、いてもたってもいられなくなった。
アイピーは面食らったようにして巫香の眼前に移動した。立ちはだかるようにしてにらみを利かせてくる。
「様子を見るって言ったでしょ、聞いてなかった?」
「聞いてた、けど。行かなきゃ」
「どうして?」
「……いいじゃん、行こうよ!」
焦る気持ちのまま両手を振る巫香に返ってきたのは、アイピーの怒りを携えた冷たい眼差しだった。
びくり、と意気が鎮火するのを感じて後ずさる。
「説明しなさい」
「……え、えっと」
アイピーから感じる圧に何も言えなくなって、いっそ泣きそうにうつむく。
説明してと言われても……
黙っていても事態は何も変わらない。変身はアイピーの許可なくては行えないし、このままでは部屋の中でじっとしているだけだ。
ちゃんと喋らないといけないのに、舌がもつれたように動かない。ちらりと目線を上げることすらもできずに、時間だけがすぎていく。
「……ダメ」
「え?」
アイピーの訊き返しには答えず、よろめくように歩く。たどり着いた窓を勢いよく開ける。
家の裏側に面する巫香の部屋の窓からは、何か見えるわけでもない。誰かいるわけでもない。
一応それだけを確認して、巫香は窓から飛び降りた。
「――馬鹿っ!」
(知ってるよ、みかは馬鹿だから――)
内心でつぶやいている間も、身体は地面に向かって落ちていく。
巫香の部屋は二階にあり、地面までの距離も非常に短い。すぐに落下が終わり、地面に激突するだろう。
落下感に身をよじるように震わせて、目をぎゅっと瞑る。
いつまで経っても、身体に衝撃が来ない。
そろそろと片目を開ける。自分の状態を確認して、両目を開いた。
変身が完了していた。空中に静止している状態で、なんとか姿勢を整えようする。
が、叩きつけられるような怒声に巫香の身体はひっくり返った。
「何考えてるの!」
「わ、わわっ……!」
姿勢を正せずにぐるぐると巫香が回っている間にも、アイピーの怒りは止まることはなかった。
「変身が間に合ったから良いものの、無事で済まなかったかもしれないじゃない! 大体巫香は……!」
「ま、待って、待って」
姿勢の制御に精いっぱいで、アイピーの言葉が全く入ってこない。どうせ説教なので聞きたいわけではないが、無視するほどの度胸は巫香にはない。
もう諦めて、手足を伸ばして地面を探す。ひっかかった手ごたえを頼りに、地面の上に立つ。
こわごわとアイピーに向き直る。
アイピーの表情にははっきりとした怒りが刻まれていた。来るであろう説教に身をすくめていると、風船がしぼむようにアイピーが長く息を吐いた。
「……行くんでしょ」
「え、うん。いいの?」
「早くする!」
「う、うん!」
声に叩かれたように地面を蹴る。ふわりと宙に浮き、ゆっくりと空に昇っていく。
飛行ははっきりと下手くそだ(得意なものなんてないが)。速度も出せずに、コントロールもおぼつかない。どれだけ練習しても変わらず、今ではもう魔法少女としての訓練はまったくやっていない。しても変わらないからだ。
水中をもがくようして進んでいくのは正直面白みもない。飛行しているというよりは、溺れているような感覚だ。
それでもなんとか屋根の上ぐらいまでも高さに到達し、息を切らせてアイピーに訊ねる。
「ど、どっち?」
「向こう」
短い返事にそちらを向く。600メートル先にもなる向こうに怪物の姿が見えるわけではないのだが。
巫香が自力で飛行すれば、到着までどれぐらいかかるのかわかったものではない。
だから、固有魔法を発動させる。
「――神降ろし」
固有魔法を唱えると、すっと意識が深いところに沈んだ。身体の奥底に潜るような感覚に、不思議な安心感を覚える。
巫香の目が据わるのが自分でもわかる。借り物の身体にいるように感じられるのだが、毎回落ち着くのを感じる。
巫香はふむ、と自分の身体を見下ろして舞うように腕を振った。
「今日は、服を着ているのだな」
『あ』
気付いてうめく。
巫香は普段、部屋でそうしているように戦闘中は服を脱いでいる。認識阻害でバレないのだからその方が楽というのが理由なのだが(アイピーは文句を言う)、今回は慌てていたので忘れていた。
ともあれ、巫香が降ろした『神』は満足そうに笑った。
「この方がよかろ。さあ、怪物退治といこうかえ」
『う、うん。お願いミロミコト!』
巫香――ミロミコトは笑みを深くすることで返事として、意識を置いていくほどのスピードで飛行した。
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