魔法少女が願うこと

朝霞肇

1章 かつて魔法少女だったみんなへ

プロローグ

 今日はようやく家族に会えることになっていた。

 出張を終えて、一か月ぶりの我が家ということになる。到着する空港には、妻と娘が待っているはずだ。出張から帰ると迎えに来た家族と回転寿司で食事をするのがいつもの流れだった。

 飛行機に乗る前に家族に送ったメッセージは「今から乗る」という短いものだったはずだ。出張も多くなってくると、家族に会うのは楽しみにしてもさほど特別なイベントというわけでもない日常の一部になっている。

 乗り慣れてくると、飛行機は通勤バスに乗るのとほとんど変わらない感覚になる。ただの交通機関であり、乗れば目的地に着く。ただそれだけのものだ。

 しかし今、その前提を覆すような事態が起こっている。

 機体が激しく揺れ、前の座席の背もたれに額をぶつけそうになった。ベルトが食い込み苦しみにうめく声をかき消すように、パニックの声があちこちから聞こえてくる。


「落ち着いてください!」


 キャビンアテンダントの声だ。その声も上擦っていて、客のパニックを鎮める役には全く役に立っていなかった。

 通路を挟んだ反対側の窓が不意に真っ黒になった。みしみし、と軋むような音がして客の悲鳴がさらに大きくなる。

 この飛行機を襲っているトラブルは、言葉にすれば単純なものだった。

 怪物が、この飛行機を襲っている。

 隣の席の中年の女性がヒステリックな叫び声をあげた。それでも機内に満ちている混乱と怒号の中ではそれほど大きくは聞こえなかった。

 さっきから、妻と娘の顔が目の前にちらついている。そればかりではなく、父や母、会社の上司や同僚、友人の顔もめまぐるしく浮かんでくる。

 こらえきれずにポケットからスマートフォンを取り出した。震える手で画面に触れると、待ち受け画面にしている娘の笑顔が表示された。

 操作しようとしたところで、再び機体が激しく揺れた。手からスマートフォンが滑り落ち、床を転がっていった。手を伸ばすが、もう見えないところまでいってしまったようだ。

 ぐったりと脱力しながら、今の自分を他人事のようにとらえている自分がいるのを感じてた。今の事態はわかっているはずなのに、理解が追い付いていない。これが現実の出来事だということが、いまだに信じることができない。

 ばきっ、と何かが折れるような音が何かの警告のように響いた。


(いよいよなのか)


 激しい恐怖にかられながらもそんな感想が浮かぶ。他の乗客も、自分と同じようなことを感じているのだろうか。

 こんなところで、予想だにしていない事態にさらされている理不尽にあられもなく泣き出してしまいたかった。いったい自分が何をしたというのか。怪物に襲われるようなことなんてした覚えはない。そもそも、怪物がこんな飛行機を襲うなんて聞いたこともない。

 何か、都合のいい奇跡が欲しかった。こんなところで死にたくはない。なんでもいいから、自分を助けてくれるようななにかが――

 機内にざわめきが広がった。これ以上なにかが起こったのかとうつむいていた顔を起こす。

 乗客たちは窓の外を見て騒いでいるようだった。倣って同じところに視線を向けると、窓の向こうにそれはいた。

 誰かがその存在を口にした。


「魔法少女だ!」


 魔法少女が、窓の向こうに浮かんでいる。飛行機と並走しているからか、見ている間にも離されたり近づいたりとしている。

 魔法少女をこの目で見るのは初めてだ。怪物も魔法少女も自分には縁のないものとしか思っていなかったが、こうして目の当たりにしている。

 機内に希望がこもったどよめきが少しずつ広がってきていた。魔法少女は怪物を斃す。それならば、今飛行機を襲っている怪物のこともきっと斃してくれるはずだ。そのために、こうして現れたに違いない。

 胸の内に希望が急速に膨らんでいくのを感じた。

 もしかしたら、無事に家族に会えるかもしれない。

 機内に魔法少女を応援する声が合唱のように響いていく。これで助かったという安堵の雰囲気が広がっていき、さきほどまでの緊迫感が嘘のように薄まっていた。深く座席に腰かけて、娘に話したら面白がるだろうかと想像する。

 不意に、がくんと飛行機が揺れ、落下していった。前方に向かって落下する体勢になり、ベルトに吊るされるように格好になった。

 どうして、魔法少女が来たら助かるんじゃないのか。

 再びパニックに突き落とされて、思考がぐちゃぐちゃに混乱していた。何もわからず、意味のないうめきが口から漏れる。

 窓の外に魔法少女が見えた。落下している飛行機に合わせて飛行している。


「助けてくれ!」


 魔法少女に向かって声を張り上げる。聞こえるとは思えないが、頼れるものはもうそれしかない。

 魔法少女が何かを担ぐような体勢をとった。学生時代の部活で見たやり投げを思い出させる体勢だ。魔法少女はふらつくようにしながら、その構えのまま飛行している。

 半ば呆けた状態のまま魔法少女を見つめる。いったい何をしようとしているのだろうか。

 魔法少女が身をよじって何かを振りかぶった。

 そして。

 魔法少女が放った何かが飛行機を貫き、飛行機ごと爆砕させた。

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