34. バチーン!

 さらに大きくなっていく赤ちゃんは保育園児くらいにまで育ってきた。ここまでくるともう記憶の中にある紗雪そのものである。一緒に公園で駆けずり回っていたころの紗雪を思い出し、英斗は思わず顔をほころばせた。


 ここに来て英斗は、昨日自分もこうだったに違いないことに気がつく。自分が昨日、一度死んで受精卵からやり直したという荒唐無稽な話をどう理解したらいいか分からず、英斗は首をひねり、眉をしかめた。


 もし、本当に再生したのなら何か証拠があるはずである。英斗は自分の両手をじっと見つめ、ふと思いついて自分のひじを見てみた。子供の頃に側溝に落ちて、その時にコンクリートのエッジで思いっきり切ってしまった大きな傷跡が、ここに残っているはずである。


 首をひねってひじをのぞきこむ英斗。しかし、そこはつるっとしていて傷跡など全く見えなかった。


 えっ……?


 英斗は青い顔をして頭を抱え、大きく息をつく。これまで何度も何度も見て気になっていた肉の盛り上がった不格好な傷跡、それがない。この身体はすでに愛着のある自分の身体ではなかったのだ。自分は今、スライムになって再生された第二の身体にいる。


 しかし、身体が違っても自分だと感じてしまう。これは一体なんなのだろうか? 自分という存在は脳の中に宿っているのではなかったのか? 一体魂はどこにあるのか? 英斗は知ってはならないこの世界の真実に触れた気がして、背筋にゾクッと冷たいものが流れるのを感じた。


 そうこうしているうちにも紗雪は成長し、スライムの膜の中でひざを抱えた姿勢でゆったりと揺れ動いている。森の中で水の珠に閉じ込められた美少女、それはアートを超えた神々しさをはらみ、触れてはいけない神聖な輝きを放っていた。


 やがて胸が膨らみ始める。透き通るような白い肌が静かにゆっくりと盛り上がり、美しい紡錘形を形作っていく。そこには神秘的な美が宿り、英斗は目が釘付けになって思わずゴクリと唾をのんだ。


『見ちゃダメ!』


 英斗は頭にこだまする心の声を聞き、正気を取り戻す。ギュッと目をつぶると大きく息をつき、服を取りに歩き出した。


 枝に刺さった服と下着を回収していると、バシャ! という音がする。見るとスライムの膜が破け、羊水とともに紗雪が出てきていた。


 落ち葉の地面に横たわる裸体の美少女。


 英斗はあわてて駆け寄ってジャケットをかぶせ、抱き起こすとハンカチで顔をぬぐってあげた。


 直後、ゴポォと勢いよく羊水を吐き出し、咳をする紗雪。


 英斗は急いで背中をさすってあげる。


 紗雪はまぶたをゆっくりと開けた。澄み通るこげ茶色の瞳がキュッキュと動き、やがて英斗を見つめる。


 一瞬どうなるのかと構えた英斗だったが、紗雪はいつもの調子で、


「あら、英ちゃん……。どうしたの?」


 と、笑いかける。


 英斗は言葉に詰まる。さっきまで胎児だった人に『どうしたの?』と、聞かれてもどう答えていいか分からなかったのだ。


 困惑している英斗にいぶかしく思った紗雪は、自分が素っ裸でびしょぬれなことに気が付く。


「きゃぁ! 何よこれ! エッチー!」


 バチーン!


 森に盛大なビンタの音が響き渡る。


 あひぃ……。


 英斗はいきなりの攻撃に対応が遅れ、まともに食らって思わずしりもちをついた。


 ふーふーと息を荒くしながら、真っ赤になって英斗をにらんだ紗雪だったが、辺りを見回して首をかしげた。彼女にとってみれば、オーロラを見上げていた次の記憶が英斗に顔を拭かれているものだったのだ。


「紗雪は生き返ったんだよ」


 英斗は叩かれたところをさすりながら言った。


「生き……返った?」


「そう、別に僕が脱がした訳じゃないよ」


 英斗は渋い顔で説明する。


「えっ……あっ……そ、そうなのね……」


 紗雪は真っ赤になって小さくなり、申し訳なさそうにジャケットを整えた。


「レヴィアさんとかも死んじゃったから見に行ってるね」


 英斗はそう言って立ち上がって歩き始める。


『確かに気が付いたら裸体だったら正気ではいられないよなぁ』と、英斗は理解はするものの、我慢したのに叩かれたことには納得がいかなかった。さらに、さっきまで胎児だったのに記憶も人格もしっかりと連続していることを確認して、人間とは何なのだろう? という悩みがまた深くなってしまう。


 紗雪は、申し訳なさそうにもじもじしながら、


「英ちゃん……、ゴメン……」


 と、謝った。


 英斗は振り向かずにサムアップすると、そのままレヴィアの方へと進んで行った。


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