22. 特異点

 と、その時、ガガガガッ! とノイズが響き渡り、3D映像が天井から降りてきて目の前に大きく浮かび上がった。椅子にふんぞり返った小太りの中年男、魔王である。少し薄くなった頭髪に脂ぎった肌、そして細い目がいやらしく一行を睥睨へいげいした。


「フンッ! 好き放題やってくれたな、おい!」


 不機嫌そうに言い放つ魔王。


「何を言っとる! 好き放題やっとったのはお主の方じゃろう!」


 レヴィアは鋭い視線でにらみつける。


 魔王は一行をジロジロと眺め、英斗で目を止め、興味深そうに目を細めると言った。


「ほほう、小僧、お前か……」


「えっ……?」


 単なるキス要員の自分になぜ興味など持つのか分からず、英斗は動揺する。


「お前を始末するのが先だったな……」


 魔王はあごをなでながら、少し悔しそうに言った。


「な、何を言ってるんですか!? 自分はただの何もできない……」


「どうだ、小僧。ワシと取り引きせんか?」


 魔王は英斗をさえぎるようにもちかけ、いやらしい笑みを浮かべる。


「は? 取り引き……?」


「ワシの部下になれ。地球の半分をやろう」


「はぁっ!?」「えぇっ!?」「へっ!?」


 一行はその荒唐無稽な提案に唖然とする。ただの無力な高校生になぜそんな取引をもちかけたのか理解できなかったのだ。


 もちろん、紗雪もタニアも英斗のキスでパワーアップしているのだから、弱体化させるうえで英斗の切り崩しは正攻法とも言えなくもなかった。しかし、そうだとしても地球の半分というオファーは異常だった。


「なぜ……、私なんですか?」


「お前は特異点だ。ただの学生だったらなぜここにいる? オカシイと思わんのか?」


「と、特異点って……、何ですか?」


「知りたいだろ? クフフフ……。部下になれ。悪いようにはせん。クフフフ」


 いやらしく笑う魔王。彼は何かを知っている様子だった。


 英斗はその蠱惑こわく的な話に思わず吸い込まれそうになる。『自分は特別な人間だ』そう思わせてくれる言葉の魔力はすさまじい。何の変哲もないただの高校生が魔王討伐で魔王城まで来ていることは確かに変なのだ。


 その時、紗雪が英斗の腕をつかみ、今にも泣きそうな顔で英斗を見る。その瞳にはクールビューティの鋭さはなく、捨てられそうな子犬のような胸に迫る悲哀の色が浮かんでいた。


 ハッと自分を取り戻す英斗。そう、魔王の側へ行くことは全人類に対する裏切り、紗雪に対する背信なのだ。選べるわけがない。


 英斗はふぅと大きく息をつくと、紗雪の手をギュッと握り、


「お断りします!」


 と、毅然きぜんと断った。こんな提案をしてくるということは相当追い詰められているということだろう。自分を特別扱いしてくれることに若干の未練はあるが、ただのブラフかもしれない。そんな甘言に期待するようなことはあってはならない、と自分に言い聞かせた。


「ハッ! まぁいい。後悔して死んでいけ」


 魔王は肩をすくめ、首を振る。


「下らん話ばかりしおって。そのっ首叩き落としてくれるわ!」


 レヴィアは親指を立てて首を切るしぐさをしながら、叫ぶ。


「クハハハ! 威勢はいいが、ここは俺の城なんだぜ? せいぜいあがいて見せろ!」


 魔王はいやらしい笑みを浮かべると、親指で下を指さした。


 へっ!?


 レヴィアは焦って辺りを見回す。


 直後、ガタガタガタっと音をたてながら床板が次々と崩落していく。なんと、魔王は一行の一帯を落とし穴にしたのだった。


「ひぃ!」「きゃぁ!」「このやろぉぉぉ!」


 床板と一緒に落ちていく一行。


「クハハハハ!」


 高笑いが上の方で響く。


 暗い穴を真っ逆さまに落ちながら英斗は必死に手立てを探す。しかし、パラシュートも何もない英斗には打つ手など何もなかった。もはや絶望的な破滅しか考えられず、無重力の中、走馬灯が回りかける。


 次の瞬間、ボン! という爆発音とともにレヴィアがドラゴン化した。しかし、穴はドラゴンが入れるようなサイズではない。レヴィアは落とし穴にすっぽりと詰まり、不完全な変形状態のまま


「痛てててて!」


 と、叫び、壁面を鱗のトゲでガリガリと削りながらズリ落ちていく。


 紗雪はレヴィアのシッポの上に落ち、素早く体制を整えると続いて落ちてくる英斗を上手く抱きとめた。


「ひ、ひぃぃ……。あ、ありがとう」


 九死に一生を得た英斗は、ガタガタと震えながら涙目で紗雪に抱き着く。


 甘酸っぱく優しい紗雪の香りがふんわりと英斗を包んだ。


「ちょ、ちょっと離れなさいよ!」


 紗雪は真っ赤になりながら英斗を引きはがそうとしたが、英斗の震えを見てふぅと息をつき、険しい目で上を見上げた。


 かなり落ちてきてしまったようで、さっきのフロアがはるかかなた上の方に見える。これでは戻ることは現実的ではなかった。


 レヴィアは徐々にゆっくりになり、やがて停止する。


「痛ててて! お主ら早く何とかしてくれぇ!」


 下の方から重低音の声が響く。


 紗雪は英斗を、安全なレヴィアの尻尾の裏に座らせると、シャーペンを握り締め、穴の壁面をあちこち叩いていく。


 ガンガン、カンカン、キンキン、と叩く場所によってそれぞれ反響音が違う。


 紗雪は目星を付けると黄色く輝く魔法陣を描いた。


 魔法陣から飛び出す岩の槍たちは激しい衝撃音をたてながら壁面をうがち、やがて大穴を開けていく。どうやら外壁とは違って通れそうだった。


 こうして何とか死地からの復帰はできたものの、魔王城の中は魔王のテリトリーであり、圧倒的なアウェイであることは変わらなかった。

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