6-7
「ヤッ、ハーッ!!」
クローム・ヴィスタが雄叫びを上げてグイと手綱を横に引けば、四頭の馬はそれに応えて一斉に身体を傾けコーナーに突っ込み、戦車の車体が地を横滑りする様に振り回される。
大外から内へ、そしてまた大外へ。
走る距離は多少長くなる筈だが、どうやらこの曲がり方が一番馬が走る勢いを殺さずにコーナーを曲がれるらしい。
尤もその分、大きく振り回される戦車に乗ってる僕は落ちない様に必死だが。
揺れも体感速度も、想像していたよりも遥かにキツイ。
但しクロームの御者としての実力も同様に、僕が想像していたよりも遥かに高い。
戦車も見た目は地味だが頑丈で、馬も飛ぶ様に地を駆けた。
何よりも、クロームがそれ等をまるで自らの手足の如く把握して、見事な精度で操ってる。
つい先程のコーナーも、戦車競技場の壁にぶつかる丁度寸前まで戦車を振り回していた。
間違いなくクロームの操るヴィスタ家の戦車は、他の戦車よりも頭一つ抜きんでて動きが良い。
けれどもその分、僕を敵視するデュラサス伯爵家の戦車は当然として、他の戦車も一着を狙う為にこちらに妨害を集中させる。
飛んで来る投げ槍代わりの棒は、今の所は全てヴィスタ家の戦車に向かって投げられていた。
そうなると流石に、如何にクロームが凄腕と言えども些か分は悪いだろう。
今の所は何とか持ちこたえているけれど、どうしても防戦一方になっている。
例えるならばクロームが上級剣闘士級だとしても、中級剣闘士が三人掛りで襲って来る様な物だった。
……いや、なんだろうか。
剣での勝負に例えてみたら、意外と何とかなりそうな気がしなくもない。
纏めて同時に相手取れば辛いが、立ち位置を考えて動き、相手に連携させなければ何とかならなくもない筈だ。
勿論戦車レースと剣闘は全くの別物だから同じ様に何とかなるかどうかはわからないが、取り敢えずこれまで他の戦車から仕掛けられた攻撃を、冷静に思い出してみるとしよう。
まず最も脅威なのが、戦車を振り回しての体当たり。
これは互いの車体にダメージを与えるだけでなく、速度を殺し、馬に負担を掛ける効果も強い。
次にその振り回しに合わせる様にして突き込まれる槍代わりの棒。
当然棒で殴った所で戦車を壊せる筈もないから、これは御者や闘士にダメージを与え、あわよくば戦車から突き落とす為の攻撃だ。
それから投げ槍代わりの棒は、御者や闘士にダメージを与えるよりも馬を怯えさせる目的で放たれる。
但し本来戦車から投擲される投げ槍は、すれ違い様に敵歩兵を串刺しにする様に側方に向かって投げるのだが、戦車レースでは同じ方向に走る戦車同士なので、前の戦車から後ろの戦車にむかってのみ放たれた。
あぁ、成る程。
つまり闘士は、自分の意思で攻撃を繰り出してる訳じゃない。
その攻撃が行える立ち位置に来たからと攻撃を繰り出してる訳じゃなくて、闘士の攻撃すらも最初から御者に制御された物である。
要するに馬は足、戦車は胴、闘士は手で、そして御者が頭だ。
そりゃあ手が勝手に動こうとすれば、足に振り回されて胴にしがみ付くより他にないのも仕方ない。
だから僕は頷いて、
「クローム、大体分かった。任せるよ。少し待たせてしまったけれど、僕を使ってくれ」
自分の頭、御者であるクロームにそう告げた。
既に戦車は戦車競技場を三周している。
残るは四周も今の調子で攻撃、妨害を受け続ければ、それを凌ぐ為に酷使されてる馬達が持たない。
故にそろそろ反撃を行い、小うるさい他の戦車を黙らせてやる必要があるだろう。
「応さ! 思ったより全然早い。流石はフィッケル兄さんだ! じゃあこっからは攻めて行くぜ!!」
喜びの感情を隠そうともせず、クロームは吠えた。
どうやら彼も、僕を戦車に慣れさせる為に、敢えて防戦に徹してくれていたらしい。
だがその防戦で、随分と鬱憤を溜め込んでもいたのだろう。
そこから一転して行われる攻撃は、クロームの意思を反映して非常に激しい物になる。
「イーッ、ヤッ、ハーッ!!!」
クロームの雄叫びと共に、またもコーナーへと突っ込む戦車。
でも今回はコーナーに侵入するコースが、それまでの馬が走る勢いを殺さずに曲がる為の物ではない。
速度を犠牲にしてでも戦車を思い切り振り回させて、外側を走る他の戦車に攻撃を加える為の物だ。
気合は精一杯にクロームが撒き散らしてるから、僕が気炎を吐く必要はなかった。
僕はただ、振り回される馬車の動きに合わせて、静かに両手で棒を突き出す。
突きの勢いも要らない。
だって足場としてる戦車自体に、これでもかって位に勢いはある。
だから重要なのは棒を突き出す角度と、僕自身が戦車から放り出されてしまわない事。
既に僕はサンダルを脱いで、足指で足場となる戦車を噛み締める様に掴んでた。
僕は槍を決して得手としないが、真っ直ぐつく事位は可能だ。
そして御者のクロームはヴィスタ派の戦士で、つまりは槍も自在に扱う。
僕は単に彼の呼吸に合わせ、棒を突き出す手の役割を果たすだけ。
直後に訪れた戦車同士がぶつかるインパクトの瞬間、僕の突き出した棒は相手戦車に騎乗した闘士の胸を正確に捉え、彼をそこから弾き飛ばした。
相手の戦車の御者がそれに愕然として取り乱し、コーナーから抜け出した後の立ち上がりに失敗して、速度を大きく落とす。
闘士を失ってしまった以上あの戦車、ヴィスタ家でもデュラサス伯爵家でもない他の貴族家が保有していた戦車は、もう妨害には参加してこないだろう。
下手に突っかかって来たならば、今度は御者が棒の一撃を喰らう羽目になる。
そうなると完走すら危うくなるから、御者も他の戦車との接触を避け、走り抜く事だけに専念せざる得ない。
そう言えば一つ気付いたが、戦車レースでの戦いは剣闘のそれと違って、相手が複数であっても一対多を強いられる、多方面からの攻撃を同時に受ける場面はあまりなかった。
まぁ考えてみれば戦車レースの目的は相手を潰す事じゃなくて、規定回数の周回を行ってのゴールだから、当たり前だが全員が前にのみ進む。
それ故にクロームも一方的に攻撃を受け続けた序盤を乗り切り、僕が戦車レースでの戦い方を理解する時間を稼げたのだろう。
一撃で一人の闘士を潰した光景を見て、豪商が保有する戦車の動きが明らかに変わった。
彼等は僕等の戦車とぶつかる事のリスクが、許容できない物だと判断したのだろう。
何せ馬も戦車も御者も闘士も、豪商にとっては大事な資産だ。
消耗品ではあるけれど、無駄に使い潰す事は許されない。
一着を狙う姿勢に変わりはなかったが、極力僕等の戦車とのぶつかり合いを避け、逃げ切りを狙う方針にシフトしていた。
すると当然ながら僕等が早急に対処せねばならぬ相手は、デュラサス伯爵家の戦車のみ。
デュラサス伯爵家の次男は御者を怒鳴り付け、僕等に対しての攻撃指示を、否、より正確に言えば自分が攻撃できる位置に戦車を付けろと指示を出している。
どうやら彼は、御者の手になり切れる性格ではないらしい。
だが流石は戦車道楽で名を馳せたデュラサス伯爵家が抱える御者と言うべきか、彼は仕える主の息子の指示に見事に応え、最適なタイミングで馬を操り戦車をこちらにぶつけて来た。
そして同時にデュラサス伯爵家の次男が、横薙ぎに槍代わりの棒を振う。
僕はその横薙ぎの一撃を棒で受け止め……、スパリと棒が切り裂かれた事に慌てて身を反らす。
けれどもそれでもザクリと、僕の胸はデュラサス伯爵家の次男が振るった棒に切り裂かれてしまう。
それは確かに、『ミルド流、魔纏の剣』だった。
あぁ、あぁ、そう言えば戦車レースの様式に合わせる事に必死ですっかり忘れて居たが、彼もまたミルド流、近衞派の剣士だ。
噴き出した血が舞い、デュラサス伯爵家の次男はニヤリとその唇を笑みに歪める。
「フィッケル兄!?」
咄嗟にクロームが手綱を横に引いて操作し互いの戦車が離れた隙に、僕は切り裂かれた棒を投げ捨てて、胸の傷を抑えた。
……致命傷ではない。
ないけれど、身を逸らすのが少しでも遅れていたなら、或いは危なかっただろう。
それにしても何て間抜けで誇れぬ傷を負ってしまったのか。
恥と怒りで胸が裂けそうだ。
いや、切られて既に少し裂けているが、本当にもう許せない。
でもその怒りは攻撃を繰り出して来た、未だに名前も知らぬデュラサス伯爵家の次男にではなく、傷を受けた僕自身への怒り。
そう、そうなのだ。
僕は、そう、その発言や態度から、彼を見下していたのだろう。
だからこそ名前も覚えず、また聞く事もなかった。
勝手に彼を小物だと決めつけ、そんな小物が魔纏の剣を使うなんて考えもしなかったのだ。
しかし彼は、成る程、確かに僕の暴言を吐けるだけの実力の持ち主だった。
槍に見立てられる程に長い棒の先端まで素早く魔力を流し、魔纏の剣を発動させる。
それは決して簡単な事じゃない。
恐らく彼は近衛隊で熱心に、剣の修行に励んだのだろう。
またその努力が報われるだけの才能を、幸運にも持ち合わせていた。
そりゃあミルド流に対しての誇りも抱こうと言う物である。
勿論あの暴言の内容は決して許せる事じゃないが、僕の彼に対する侮りもまた同様だ。
「クロームッ、次で決めるぞッ!」
腰に差した木剣を引き抜き、僕は吠えた。
彼への侮りを正し、剣を以って全力を出そう。
それは暴言への報復であると共に、僕の彼に対するせめてもの誠意だ。
僕の声に応える様にクロームは手綱を操って、大きく戦車を振り回す。
そして僕は剣を構えながら、戦車を強く踏み締めた足裏から魔力を流し、こう発する。
「ミルド流、魔纏の剣」
……と。
次の瞬間、赤い魔力に包まれたヴィスタ家の戦車は、デュラサス伯爵家の戦車の側面に体当たりをし、一方的に相手を砕いて半壊させた。
まるで一振りの剣が、相手を切り裂くが如く。
何せ魔纏の剣を発動すれば、刃を持たぬ木剣ですら鉄を切り裂くのだ。
ならば魔纏の剣を使えば、戦車を以って戦車を切れぬ道理はない。
デュラサス伯爵家の次男の顔が、驚愕に歪む。
恐らく魔纏の剣をそんな風に使うなんて、想像もしなかったのだろう。
だが僕の魔力量と、魔力操作の技術は、そこいらのミルド流を使う剣士の比では無いと自負してる。
互いの戦車がぶつかり合った衝撃で、彼は宙へと放り出された。
しかしそれでも、やはり彼も一角の剣士であったのだろう。
諦める事なく手に握った棒に己の魔力を流し込み、僕に向かって振るわんとする。
だけど僕はもう既に剣を、……正確には木剣を構えてて、その攻撃が来る事を予測し、見切ってた。
「霜の巨人よ、我が剣に御身の加護を!」
だからその力ある言葉と共に発動するのは、霜雪の剣の一つ『凍魔』。
魔力を吸って氷に変える魔性の剣、凍魔は魔纏の剣を喰らい、デュラサス伯爵家の次男が握る棒を氷の塊に変えた。
刃のある本物の剣ならば、そのまま氷を切り裂いただろうが、木剣ではお互いに弾き合うのが精一杯だ。
最後の攻撃に失敗した彼は地に落ちて、僕の乗った戦車はそのまま遠ざかる。
随分と派手な攻防を行ったけれど、僕と彼の決着は付いた。
残る戦車は後一台。
その逃げる戦車に追い付いて、追い抜いて、一着の栄光を得るかどうかは、御者であるクロームと戦車を引く馬達の頑張り次第。
いずれにしても、僕の出番はもうこれで終わりだろう。
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