最初からあったもの①

 導いた、なんておこがましいことを言うつもりはない。

 広義での

 それがたる僕が彼に出来る、ある種の限界なのだろう。

 奇しくも彼自身、これは通過儀礼だと言っていた。

 彼らにとって避けて通れなかった以上、全ての事象は起こるべくして起きた。

 であれば、その過程で一つの可能性を提示出来ただけでも、収穫と捉えるべきなのかもしれない。

 教室から出て、麻浦先輩と別れてからというもの、そんな都合の良い逃げ口上のようなものばかりが頭を過ぎってしまう。

 

 とは言え、麻浦先輩はまだいい。

 彼もまた、僕と同じだ。

 それこそが、彼が僕の詭弁に耳を傾けてくれた最大の理由と言っていいと思う。

 だがは違う。

 大人からすれば僕の言葉など、同じ地平にいる者同志の馴れ合いの中で偶発的に生まれた、空虚な戯言にしか聞こえないはずだ。

 『釈迦に説法』の域を出るのは、容易でないことくらいは分かっている。


 もちろん、それは彼女が世間一般的に言われるところのであることが大前提だ。

 高島先生は言っていた。

 彼女を一人のとして向き合え、と。

 その言葉自体は、間違っていないと思うし、実際にそうするつもりだ。

 しかし、大人と子どもとでは、時間的な隔たりが大きいことも事実だと思う。

 例え、彼女の中の時間が止まっていようと、その間受けた痛みがなくなるわけではないのだから。

 僕と彼女とでは、の年季が違い過ぎるのだ。


 それでも、知りたいと思ってしまった。

 分不相応にも、求めてしまった。

 僕にしか果たせない役割、というものを。

 彼女によって気付かされた、僕の中に潜在的に存在していた欲望だ。

 そして、彼女自身もまた、それを渇望していた。

 そのことに気付いてしまった今、『安堂寺 帆空』は僕を構成する重要な1ピースとなっている。


 僕は彼女と一緒に、探してみたい。

 率直に、そう思ってしまっていた。

 我ながら、毒にも薬にもならない三流ドラマの主人公のようで、虫唾が走る。

 考えれば考えるほど、僕らしくないし、気持ち悪いことこの上ないと思う。

 だが、こうなってしまった以上、開き直る他ない。

 考え方を変えるしかない。

 もし、これが痛みに向き合った上での正常な価値判断なのであれば、それに越したことはないだろう。

 彼女の当初の目的は達成されるし、僕と彼女のもきっと解消する。

 本当の意味で、僕のカウンセリングは終了だ。


 そんな取り留めのないことを考えながら、薄暗く静まり返った校舎を小走りしていると、知らず知らずの内にに到着してしまう。


 僕は息を呑み、屋上へと繋がる階段を見上げた。

 息が上がり、動悸も激しい。

 日頃の運動不足を言い訳に出来るほど、走ったわけでもない。

 僕は覚悟を決め、真っ暗な踊り場の姿見の中で、まるでこの世の終わりかのような顔で膝に手を置き肩呼吸するを横目に、一段一段、段差を上っていく。 


 確証はない。

 言うなれば、『野生の勘』というヤツか。

 もしくは、お得意の被害妄想の類か。

 あまりに安直でお粗末な推測だが、ただそれだけというわけでもない。

 

 『今、この建物で、一番空に近い場所』


 僕にとってこの場所は、少なくとも2つ以上の意味を持っている。

 ある種の原点とも言うべきか。

 僅かながらの期待。

 明日に繋がる何か。

 この世の全ての希望を剥ぎ取られた後に残った、最後の蜘蛛の糸。

 突然、姿を現したわけじゃない。

 最初から、そこに。垂れ下がっていた。

 それに気付いただけだ。


 根拠も自信もない。

 ただもし……。

 彼女の中にに少しでも、僕と共有できるものが残っているとするならば。

 捨てきれない想いがあるとすれば。

 きっとこの場所を選ぶ。

 そう、思っただけだ。

 

 僕は意を決し、ドアノブを握り、扉を押した。


 ギィと、扉を開く鈍い音とともに、数メートル先の彼女が視界に入った。

 僕の到着を知ってか知らずか、どこか心細そうに手すりに掴まり、星空を見上げている。


 僕のは的中してしまったようだ。

 ただ、それでも良かった。

 彼女は今、こうしてココに存在している。

 については、ギリギリのところで踏み留まれているようだ。

 とは言え、問題はここからだ。

 僕は恐る恐る、彼女へと近付く。

 月の明かりを頼りに、と言うと偉く情緒的に聞こえるが、実際ありとあらゆる意味で心許ない。

 気を強く持たないと、その場で立ち尽くしてしまいそうになる。

 別に言い訳するつもりもないが、僕の言葉如何で彼女の運命が大きく変わるわけだ。

 暗さを免罪符にでもして、逃げ出したくもなる。


 ふと、彼女が見つめる星空に視線を移す。

 梅雨の中休みということもあってか、この時季にしては比較的に空は澄んでいた。

 夜空の中に鎮座する弦月を取り囲むように、星たちは好き勝手に輝きを放ち、都心の街並みを照らしている。

 彼女は今。

 どんな想いでこの夜空を眺めているのだろうか。

 ……分かるはずもない。

 今分かることと言えば、そこかしこに散りばめられた星の屑たちが殺人現場に群がる野次馬のように、僕たちをまじまじと見下ろしている、という事実だけだ。

 穏やかならぬ現実とのギャップも相まって、一層気味が悪く思えてしまう。


 だが……。それでも綺麗だと思えてしまうのだから、罪深い。




 『吸い込まれそう』




 ありきたりで縁起でもないが、端的にそう描写せざるを得ない。

 都心に居ながら、これほどの自然のポテンシャルを感じられるとは思わなかった。

 願わくば、心穏やかな状況で拝みたかったものだ。

 彼女がこうして相談室から飛び出していなければ、この壮大な景色と出会うこともなかっただろう。

 そう思うと、皮肉な話ではある。

 悠長にもそんなことを考えながら、僕は彼女を目指して一歩一歩足を進める。

 首尾よく、彼女の真後ろまで辿り着き、僕は意を決して口を開こうとする。



 言葉が、出てこない……。

 喉奥に何かをつかえたような感覚だ。

 彼女へ伝えるべき事など腐るほどあるはずなのに、最初の一言が出てきてくれない。

 このままではまたぞろ、彼女のペースにやり込められる。

 そう思っていた矢先、彼女に先を越されてしまう。


「月が、きれいですね」


 ホタカ先生は僕の方へ振り向き、白々しくも見える笑顔で言った。


 本当に悪質だ。

 いくら彼女であっても、この後に及んでそんなことを言って退けるとは思わなかった。

 不意打ちを食らい、不覚にも心をざわつかせてしまう。

 

「それ……、半月でも成立するんですかね?」


「ちぇー。トーキくん、風情がないなー」


「ホタカ先生は、そういうは嫌いだと思ってました」


「お。流石! よく分かってるねー。どうする? ココは偉大な先人の思惑通り、『死んでもいい』って応えとく?」 


「だから洒落になってないんですってば! 本当にそういうの良いですから……。でも何か、相変わらずでちょっと安心しました」


 僕がそう言うと、ホタカ先生は満足そうに笑みを浮かべる。


「それで……、来たのかな? 未来への希望とやらを提示して。うわー。遂にトーキくんも、サッブイ大人の真似事するようになっちゃったか。お姉さん、ガッカリだなー」


 冗談めいた口調でそう言い、手すりを掴んでいた腕を縮め、顎を乗せてみせる。

 どうにも子供染みて見えるその仕草は、僕に対しての当てつけのつもりか。


「そんなこと、しませんよ」


「……じゃあ、何しに来たのさ?」


 ホタカ先生はそう言うと、再び正面の夜空に視線を移す。

 彼女の冷淡な声色に、自然と心臓の鼓動は早くなる。


「別に……、大した用じゃありませんよ。ただ、何? 伝え忘れていたことがあったので」


「そう」


 彼女はそれだけ言うと、黙り込む。


「ホタカ先生。僕ののこと、覚えていますか?」


「キミのカウンセリングは、もう終わったよ」


 僕の質問に何かを察したのか、ホタカ先生は勇み足気味に応える。

 確かに彼女の話ではそういうことだった。

 しかし彼女は一つ、大きなことを見落としている。


「質問に答えて下さい」


「……覚えてるよ。ついこの前じゃん。もー。相変わらずキミは失礼だなー。私を年寄り扱いしちゃってさ」


「僕について。まだアナタに大切なことを話していません。この意味、分かりますか?」


「……さぁ」


「ホタカ先生、最初に言いましたよね? カウンセリングを行う上で、まずクライアントのバックグラウンドを知る必要があるって。僕はそれにまつわる大切な情報を伝え忘れていました。つまり、僕の『見立て』はまだ完成していないわけです。よって、僕のカウンセリングもまだ終わっていない」


 僕の言葉に、ホタカ先生は目を丸くさせる。


「へー。言うようになったじゃん。流石! 私が育てただけあるねー」


「茶化さないで下さい。で、聞いてくれるんですか?」


「いいよ。聞いてあげても」


 彼女の了承を得た僕は、大きく息を吐いた。


「僕の、夢の話、です」


 僕の言葉に、ホタカ先生は再び目を丸くさせる。

 数秒の間は、『青天の霹靂』とでも言いたそうな呆けた顔で僕を見つめてくる。

 しかし、徐々に目をへの字に歪め、普段と変わらない人を食ったような笑顔になっていく。


「ぷっ! あはははっ! 何を言い出すかと思えば、『夢』だって! トーキくんに一番似合わない言葉じゃん!」


 ホタカ先生は勢いよく吹き出した後、こちらに遠慮する素振りすら見せず抱腹する。

 あまりにも予想通りの反応に、今まで張り詰めていたものが一気に緩み、脱力してしまいそうになる。


「……いけませんね。子どもの夢を笑うなんて。大人としてあるまじき行為です」


「うん! じゃないからね!」


 彼女は笑いながらも、迷いなくそう言い切った。


「そうですか……。まぁ、こうなることくらい分かってましたよ」


 僕がそう言うものの、ホタカ先生の笑いは収まることを知らなかった。


「それで……。その、トーキくんの『夢』とやらを聞かせてくれるかな?」


 ようやく小康状態となったところで、彼女は涙を指で拭いながら応える。

 彼女の催促に、僕はフゥと深く息を吐いた後、ゆっくりと口を開く。


「ホタカ先生。覚えてますか?」


「なにぃ? また年寄り扱い? 全くキミは」


「そうじゃなくてっ! もっと前の話です! 。僕と初めて会った日のことです……」




「……へ?」

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