ホタカ先生の痛み③

「いえ。根に持ってるだなんて……。そんなこと、あるわけないじゃないですか……」


「嘘を吐け。こうしているだけでも、一杯一杯のクセに……」


 高島先生はそう言ってホタカ先生に近付き、その華奢な腕を力強く掴む。


「きゃっ!?」


 そのまま彼女を強引に壁際に追いやり、両腕を頭上に拘束する。

 ホタカ先生は必死に抗うも、やはり相手は大人の男性であり、ましてや体育教師だ。彼女の劣勢は明らかだった。

 思考が追い付かない。

 とは言え、この状況に置かれ、でいるわけにもいかない。


「おいっ!! あんた、何してんだっ!!」


 急な展開に、碌に働かない頭を奮い立たせ、何とか声を上げる。


「うるせぇっ! 黙ってろっ!」


 高島先生は、目を釣り上げ威圧してくる。

 その普段とは違う気迫に、僕は怯んでしまう。

 僕の戦意の喪失を確認すると、彼は再びホタカ先生に向き合う。


「こんなに震えてるじゃねぇか……。まだ男が恐いんだろ?」


「っ!?」


 言葉に詰まった彼女は、高島先生の鋭い眼光から逃れるように、虚ろになったその目を背ける。

 そして一気に脱力し、その場にへたり込んでしまった。


「……そんな顔すんなって。お前は何も悪くないんだからよ」


 高島先生は静かに語り掛ける。

 すると、次の瞬間には僕に向き直ってきた。


「天ヶ瀬」


「は、はい」


「お前、コイツから聞いてるんだ?」


「どこまで、と言われても……」


 何も聞いていない、と答えるのが正解なのか。

 実際、僕はホタカ先生のことを何も知らない。

 今のやり取りを見て、二人にはただならぬ因縁があることも初めて知った。

 言い淀む僕に、高島先生はハァと、深く息を吐く。


「安堂寺。俺の口から言った方がいいのか?」


 高島先生は、脱力するホタカ先生に向けて、呆れるように言う。


「いえ……。これは私のですから」


「そうか……」


 高島先生が静かに呟いた後、ホタカ先生はゆっくりと立ち上がり、僕の方を向く。


「トーキくん、ごめんね。何がなにやら、って感じかな?」


 疲れたように微笑みながら、ホタカ先生は聞いてくる。


「……分かってるなら、話は早いです」


「だよね。一応、確認しておくね。聞きたい?」


 ホタカ先生は、念を押すように聞いてくる。

 引くに引けない、とはこのことだ。

 きっと、これから彼女が話す内容は、重いだとか軽いだとか、そんな陳腐な形容詞で語るには相応しくない。

 僕は彼女にとって、ただの生徒であり、ただの他人かつ、ただの一クライアントでしかない。

 であれば、一般論的に言えばだ。

 もっと言えば、聞いたところで僕が彼女に対して出来ることなど、恐らく何もない。


 ただ、一つだけ、事実がある。

 彼女は今こうして、自分自身の過去、いや……。

 と向き合おうとしている。

 ともすれば荒療治とも言える方法で。

 僕如きがおこがましいかもしれないが、そこまでして覚悟を決めた相手の言葉に耳を塞ぐことは、不誠実のような気がしてならなかった。


「ホタカ先生」


 僕の呼びかけに、彼女は『うん?』と首を傾け、心なしか普段よりも優しく微笑む。

 少し悔しい。

 ホタカ先生にはこういうところがあるのだ。

 彼女は時折、こうして思い出したかのように一端の大人のように振る舞い、僕にマウントを取ろうとしてくる。

 彼女の悪いクセだ。

 この数日間で、なんとかそれに気付けたのであれば、いつまでも彼女のペースでいるわけにはいかない。

 それに……、彼女は肝心なことを忘れている。


「さっき言ったこと。もう忘れたんですか?」


 僕がそう言うと、彼女はキョトンとした顔をする。

 普段とのギャップに、不覚にも少し可愛らしいと思ってしまった。

 彼女からこの表情を引き出すことが出来ただけでも、ここまで追ってきた価値はある。


「ホタカ先生。自分で言いましたよね? ここまでがカウンセリングの最終章だって」


「……フフ。流石だね。私が育てただけのことはあるね!」


 そう言って、彼女は満足そうに笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る