灯理の痛み⑥

 家族関係が完全に破綻してしまった灯理は、新しいを模索する。

 一つ、有力な案として浮上したのは、北海道に住む母方の伯母さんを頼ることだった。

 灯理はすぐに連絡を取り、事情を話すと、伯母さんは快諾してくれ、少なくとも高校卒業までは面倒を見てくれる、と言ってくれたようだ。

 何でもその人は、数年前にベンチャー企業を立ち上げ、成功をもぎ取った、いわゆるやり手のキャリアウーマンらしく、経済的にも比較的余裕があったらしい。


 話は順調に進み、灯理救済に向けてプランが練られる。

 具体的には、まず灯理はタイミングを見計らい家出を装って、伯母さんの元へ身を寄せる。

 そして、伯母さんとともに父親の親権停止に向けて裁判所に申立する、という流れだった。


「……だった?」


「うん。なんかさ……。あたしが伯母さんのところに行くってこと、バレてた臭いんだよね。それで打たれちゃって……」


 どうやらここからが話の本筋のようだ。

 

 計画は概ね決まりかけていたが、ある一本の電話をきっかけに状況は一変する。

 それもそのはずだ。

 その相手は、灯理の姉である須磨先輩だったからだ。

 須磨先輩からのに身構えた灯理だったが、彼女から持ちかけられた話に、更に度肝を抜かれることになる。


 何と、伯母さんが経営する会社について複数のが、麻浦先輩の父親の元に舞い込んできたらしい。

 またその内容というのが、彼女たちにとって相当に厄介なものだった。

 どうやら、かつて伯母さんの会社で働いていた数人の従業員の最終月の給与と退職金が、数年に渡って支払われていなかったらしい。

 須磨先輩は、会社を立ち上げたばかりの時代の粗雑な労務管理システムの名残りが原因ではないか、と話していたようだが真意のほどは分からない。

 そもそも、従業員たちがずっと黙っていたというのも中々に不自然な話だ。

 とは言え、この話が事実なら、伯母さんが言い逃れをすることは難しい。


 須磨先輩の用件は、至ってシンプルだった。

 和解の仲介をして欲しければ、自分たちにすること。

 さもなければ、今すぐ知り合いの行政書士を通じて、労基署に告発する、と。


 もちろん、伯母さんにも非がある。

 しかし、万が一須磨先輩たちが告発に動き、労働局の調査に入られようものなら、会社そのものの信用問題に繋がる。

 ただでさえ、企業のコンプライアンスには敏感な時代だ。

 ましてや、設立して間もない新会社であれば、調査に入られたという事実だけでも、それなりに痛手なのだろう。

 そうなってしまえば、計画自体が立ち消えになりかねないどころか、伯母さんの生活そのものすら危ぶまれる。

 何より、自分が元凶でそんな事態を引き起こしてしまったとなれば、伯母さんに合わせる顔がない。

 そう考えた灯理は、いつしか正常な判断が出来なくなってしまった、と話す。


 しかし、僕にはどうにも納得がいかない。

 彼女は、須磨先輩は、何故そこまで灯理に執着するのだろうか。 


「まぁ要するにさ……。元々、私か殊寧かって話だったんよ、被写体は」


 そう話す表情からは、彼女なりの口惜しさ・無念さのようなものが、こちらが食傷気味になるほど感じ取れる。

 やはり灯理は、『根本の原因は自分にある』という意識が強いのだろう。


「伯母さんも悪いのは分かってる。でもさ。流石にあたしの都合で迷惑かけられないじゃん? だからと思ってさ。アイツらに乗っちゃったんだよ……」


「……それはそれで、また別の問題があるだろうが」


 僕がそう言うと、灯理は黙って頷いた。


「だね……。、問題だよね」


 灯理は自虐的に微笑する。


 彼女が語らずとも、僕はこの段階である程度のことは察してしまった。

 恐らく流れとしては、こんなところだろう。


 まず小岩の父親は、直属の上司である役員の男に、半ば脅しとも取れるカタチで、児童ポルノへの協力を要請された。

 当然、小岩の父親は自分の娘を毒牙にかけることに躊躇する。

 そんな中、共謀の一人の須磨先輩から、灯理の存在を知らされる。

 そこで彼は息子の小岩に、灯理と接触させた。

 小岩は気は進まないながらも、父親の言いつけ通り灯理と接触したが、そこで灯理の身の上話を聞かされて、情に絆される。


 そして、それを見計らったかのように、不正の事実が漏れ、会社に税務調査が入ってしまう。

 両親の危機を知った風霞は、少しでも家族の力になりたいという一心で、灯理に縋る。

 そこで魔が差した、とも言うべきか。

 小岩は妹や灯理を守るため、風霞をスケープゴートにすることを提案する。


 大凡、ここまで麻浦先輩の父親のシナリオ通りだったのだろう。

 風霞が家族のために行動することも含めて、彼らにとっては織り込み済みだった。

 

 ただ、依然として分からないことはある。

 会社の不正が暴かれてしまえば、自分たちの悪事も芋づる式に露呈してしまう可能性もあるだろう。

 何故、麻浦先輩の父親はそんなリスクを冒してまで国税にタレ込んだのか。

 父さんたちへの恨み、だけで説明できる問題でもない気もするが……。

 こればかりは灯理も与り知らぬところだろう。


「殊寧の兄貴って凄いよね! お人好しってか、いろんな意味でさ! 『絶対にキミが風霞ちゃんに恨まれないようにする!』って聞かなくてさ。そういう問題じゃないっての……」


 そう言って灯理は、また自嘲するように笑う。


 やはりそうか。

 小岩は、全て理解した上で知らないフリを決め込んでいた。

 そして、動機の部分を自分自身にすり替えた。

 せめて、灯理と風霞の関係性だけは守るために。


「だからあんな嘘を……」


 僕がそう呟くと、灯理はコクリと頷く。


「ホントはそこで、あたしが拒否らなきゃいけなかった。でも、出来なかった。あたしが苦しかった時に相談に乗ってくれた伯母さんに悲しい想いさせたくなかった、って言ったら卑怯かもしれないけどさ……」


 何かを諦めるようにそう溢した灯理を見て、僕は形容し難い疚しさのようなものに襲われた。


 彼女も小岩も、僕と同族などではなかった。

 二人は少なくとも、明確に守るものがあった。

 それに比べて、僕はどうだ?

 所詮、今まで僕が守ろうとしていたものなんて、精々自分一人が勝手に感じている正義やら良識だ。

 端から、僕と灯理や小岩とでは抱えているものの大きさが違っていた。当然、能登とも明らかに違う。

 無意識的にとは言え、如何に自分が幼稚で底の浅い人間か、身に沁みて感じる。


 ホタカ先生は言っていた。

 我が身可愛さの中にも、少しだけ他人の入るスペースがある、と。

 果たして、僕にはそれがあるのだろうか。

 優先順位、以前の問題だ。

 僕は反射的に、灯理から視線を逸らしてしまう。

 単純に怖いと思ってしまった。

 僕とは対極にある、灯理のある種の真っすぐさを。


「……そうか。まぁそいつはでも」 


「あのさっ! 灯理。それだけ、じゃないよね?」


 僕を押しのけるかのように、風霞が口を挟んでくる。

 風霞のその表情からは、普段の彼女らしからぬ並々ならぬ想いが滲み出ていた。

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