灯理の痛み②

「は? どういうことだよ? それ」


 僕はそう言いつつも、先日焼肉屋で感じた違和感を思い出していた。


 『ごめん、何でもない……』


 去り際にそう言ってきた灯理の顔には、どこか疚しさというか後ろめたさのようなものが感じとれた。

 それこそ、ココ数日の小岩や能登のように。


「なんかね。灯理、私に嘘吐いてたんだって。だから、直接謝りたいって……」


 そう言うと、風霞は顔を俯かせ、静かに身体を震わせる。


 灯理の言う、嘘の中身は分からない。

 だが、数少ない友人の一人が自分を貶めていたとなれば、少なからず動揺はするだろう。

 奇しくも、僕自身も経験したことなので、風霞の気持ちは多少なりとも理解できる。


「トーキくん? もう分かったかな?」


 ホタカ先生は、何かを確信し切った表情で僕に問いかけてくる。

 毎度のことながら、この人の見透かし癖のようなものは心臓に悪い。


「……分かりましたよ。まぁ要するに、小岩の妹と協力していた同級生ってのが、灯理だったってことですかね?」


「大正解! 流石っ! いやぁ! キミたちの周りの人間の薄汚さが浮き彫りになってきて、段々楽しくなってきたね!」


 そう言って、ホタカ先生はお得意の得体の知れない笑みを浮かべる。

 風霞の気も知らず、遠慮のない人だ。

 とは言え、彼女のこの反応すらも、もはや織り込み済みだ。


「いや……。アナタは楽しいかもしれませんけど、風霞は」


 僕が呆れながらそう口走った瞬間、ブレザーの右袖が引っ張られる感覚がした。

 促されるまま右を向くと、風霞が穏やかな笑みで僕を見つめていた。

 全てを悟った、といったら大げさかもしれないが、まるで世の中のありとあらゆる面倒ゴトを受け入れたかのような達観すら感じられる。


「お兄ちゃん、大丈夫だよ。私、これ以上、お兄ちゃんに迷惑かけないから」


 真っ直ぐに僕を見据えて言う姿には、動揺は見て取れない。

 むしろ、どこか吹っ切れたかのような印象だ。


 僕を心配させまいと気遣っているのか。

 いや……。彼女が僕を気遣うことなど、いつものことだ。

 そんな風霞を見て、ホタカ先生はそのニンマリ笑顔に拍車を掛ける。


「あ、あのさ、お兄ちゃん」


 風霞は僕に向き直り、フゥと息を吐く。


「さっきも言ったけどさ。私、もうお兄ちゃんとすれ違いたくないんだ」


 別に好き好んで仲違いしたいはずがない。

 それは僕も同じだ。

 対立、は精神的な消耗が激しい。

 それが身内であれば、尚更だ。

 しかし、かと言って自分を押し殺せばまたが生じる。

 だから、難しい。

 そんなことは、特にココ最近は嫌というほど感じてきた。


「私、お兄ちゃんと違って出来が悪いし、何でもかんでも一人で出来るとも思ってない。だからさ。うーん……、あれ? なんて言えばいいのかな? あはは」


 見切り発車で話し始めたのか。

 風霞は言葉を詰まらせてしまう。

 僕自身、彼女の言いたいことをイマイチ整理出来ずにいた。

 そんな時、僕の左肩に手が置かれる。


 振り向くと、ホタカ先生が心底呆れたようなジト目で僕を見ていた。


「全く! トーキくんは、こういうところは勘が悪いんだから!」


「何なんすか、アンタ……」


「だから要するにね!」


 ホタカ先生は、ひと呼吸置いて続ける。


「四の五の言わず、フーカちゃんにも出番残してやれってこと! それで何かあったらトーキくんがケツ拭くこと! いい!? 分かった!?」


 ホタカ先生は強い口調で言い放った。


 相変わらず勝手な人だ。

 しかし、悔しいことに彼女の言葉は不思議と腑に落ちる。

 僕は自己満足でいいと思っていた、はずだった。

 でも、実際は違った。

 僕はただ背負わせていただけだ。

 風霞に、父さんに、母さんに、婆ちゃんに。

 

 そして、身の程知らずにも思ってしまった。

 僕はみんなのために、我慢してやっている。

 事態を丸く収めているのは、他でもない僕自身だ、と。

 でもそれは傲慢だった。

 それでは、根本的解決にならないどころか、別の新しいが生まれるだけだった。

 ホタカ先生は真正面……、とは言わずもそれとなく僕に指摘して、軌道修正しようとしてきた。

 そんな彼女が言うことだからこそ、説得力がある。


 腹が立つ……。

 でも、悔しいかな。

 今の僕では、何も言い返すことが出来ない。

 だからこそ、僕は反論にもなっていない揚げ足取りで、その場をやり過ごすしかなかった。

 

「ケツって……。、女性なんだからそういう言い方はしない方が」


「はい出たー! このご時世、そういう言い方はコンプライアンス的にアウトだからねー。覚えておいた方が良いよー」


「そうやって都合の良い時だけコンプライアンス、コンプライアンスって……。言っておきますけど、さっきのホタカ先生の発言もアウトっちゃアウトですからね。男子生徒相手でも、セクハラは適用されるんですから」


「果たして、それはどうかな〜? トーキくんに良いことを教えてあげよう! 法律なんて解釈次第で、いくらでも捻じ曲げられるのです! よって、良い弁護士さんと出会えるかが、人生の全てと言っても過言ではありません!」


「アンタ、カウンセラーはまだしも、教育者になったら絶対駄目な人だわ……」


「ふふ」


 僕とホタカ先生の他愛もない会話を遮るように、風霞は笑う。


「……何だよ?」


「ううん。ただお兄ちゃんが、楽しそうだったから」


 やっぱり風霞も一緒だ。

 そうやって、僕に分かったような口を利いてくる。

 でも、今なら少し分かる気がする。

 きっと、こんな僕の姿を見せることこそ、今まで肩身の狭い思いをさせてきた風霞に対しての誠意なのかもしれない。


「……余計なことは考えなくていいんだよ」


 僕がそう言って視線を逸らすと、風霞はその目を更に細める。


「それで……。どうするんですか? これから」


 どうにもこそばゆくなった僕は、縋るようにホタカ先生に質問を投げかける。


「へ? そんなの決まってんじゃん! 灯理ちゃんを呼び出して、あることないこと罪状を押し付けて、全部ゲロらせるんだよ!」


「せめて、あることだけにしませんかね……。一応、こうして自首してきてるんですから」


「甘いな〜。トーキくんは。せっかく、フーカちゃんが彼女と向き合う覚悟を決めたっていうのに!」


「いや。そうじゃなくて……。イチイチ表現が穏やかじゃないんですよ、アナタは」


「若いんだから細かいことは気にしないの! まぁキミたちはしばらくお通夜やら告別式やらで忙しいだろうし、早くて来週かな? 4人でアカリちゃんのを開催しようじゃないか! 詳しい日程については調整ヨロシクね、フーカちゃん!」


「は、はい!」


 風霞の返答を聞いたホタカ先生は、満足そうに微笑む。


「よしっ! じゃあ今日のところはお開きってことで! じゃあな! 若人ども!」


 そう言うと、ホタカ先生は僕の背中を思い切り叩いてくる。


「ゔっ!? ちょ!? なっ」


 バンッ、という鈍い音とともに溢れた僕の間抜けな断末魔を気に留める素振りすら見せず、ホタカ先生はそのまま病院の敷地の出口へ向かい、勢いよく走り出す。

 沈みかけの太陽に照らされた彼女の無邪気な後ろ姿は、さながら小学生のようで、僕たちよりも一回り近く年齢が上とは到底思えない。


「何か……、ホント面白い人だよね!」


 そんなホタカ先生の姿を見て、風霞は呑気な感想を述べてくる。


 結局、聞けなかった。

 僕は寸前で、怯んでしまった。

 彼女を知ることを。

 彼女に踏み込むことを。

 今の彼女を象っている薄暗い背景に触れることを。

 

 ただ、それでも、きっといつか聞くことにはなる。

 免罪符とも言えないそんな事実を、頭の中で呪いのように唱えながら、僕は彼女の後ろ姿をただただ見つめることしか出来なかった。

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