婆ちゃんの痛み③

「恥かかせやがって……」


 父さんが怒気を孕んだ声で呟く。

 今さっきまで泣いていたのに、また随分と切り替えが早い。


 覚悟はしていたが、案の定これで終わりとはいかなかった。

 父さんたちは、先の僕の態度を良しとしていないようだ。


「ああいう場ではなっ! にしていればいいんだよっ! 余計なことしやがって! お前がオカシなこと口走ったせいで、父さんたちがどう思われるか分かってんのか!?」


 やはり、だ。

 僕の見立てに、狂いはなかった。

 父さんたちにとって『婆ちゃんの死』という目の前の現実より、重要なものがあるらしい。

 僕たちを病院に派遣してまで、を装っていただけのことはある。


「燈輝っ! 前々からヘンな子だとは思ってたけど、公衆の面前でこんな恥を晒して……。天ヶ瀬家の長男としての自覚はあるの!?」


 ヘンな子、とはまた随分な言い草だ。

 百歩譲って僕がヘンな子だとして、その人格が突然変異か何かで憑依したとでも言いたいのだろうか?

 まぁ、そう言いたい気持ちも分かる。

 という自覚がないのであれば。


「あぁもう! ていうかどうすんのさっ!? 流石にもう少しと思ってたから、準備してなかったわよっ! 葬式っていくらかかんのさ!?」


「知るかっ! つーか、それぐらい用意しとけよっ! これだから女は!」


「何よそれっ! アンタの稼ぎがもっとあれば、私だってのんびり専業主婦してるわよっ!」


「お父さんもお母さんもやめてよ……。お婆ちゃん、死んじゃったんだよ?」


「チクショー……。なんだって会社がこんな大変な時に……」

 

 今、僕の前で繰り広げられている光景について、どんな感想を持てばいいのかは分からない。

 というより、そんなものは端から問題の本質ではない。

 事実として、もっと大切なことがある。

「父さん。婆ちゃん、最期に応えたよね? 幸せだったって」


 僕は婆ちゃんを見下ろしながら、父さんに語りかける。


「はぁ!? それがなんだってんだよ!?」


「父さんたちが、どう思ってるのかは知らない。でも僕にはどうしても、婆ちゃんが僕たちに気を遣ってるようには見えなかったんだ」


 僕がそう言うと、父さんは露骨に黙り込む。


 そうだ。

 きっと、父さん自身も薄々は勘付いていたんだ。

 日々の仕事に追われている内に、それ以外の感覚が少しずつ麻痺していったのだろう。

 そして、会社が不祥事を起こしたことで、その疑心暗鬼が最高潮に達した。

 それは母さんも同じなんだと思う。


 僕だけじゃない。

 皆、臭いものに蓋をするように、目を背けていただけなんだ。

 『当たり前』が、少しずつずれ込んでいく違和感を。

 何かの犠牲の上に成り立つ変化を。

 ずっと変わらなかった婆ちゃんが、その死を持って教えてくれた気がする。


「婆ちゃんさ。この個室に来る前は、まだ割と元気で同じ病室の人と話してたりしてたんだ。その時にさ。偶々聞いたんだよね」


 父さんは、何も言わずに俯いている。

 それでも僕は言うべきだ。

 今の父さんにとって、ある意味で一番残酷な言葉を。


「ウチの息子は、母親思いの自慢の息子だって」


「っ!?」


 僕の言葉を聞いた瞬間、父さんは愕然とした表情になる。


「父さん。一つ、聞きたいことがあるんだけど」


「……何だ?」


「なんで今の仕事に就いたの?」


「それは……」


 父さんはベッドに横たわる婆ちゃんに目を移す。

 その後、何かを思い起こすかのように上を向く。


「燈輝は爺ちゃんのこと、どれくらい知ってるんだ?」


「……いや。ほとんど知らない」


 当然だ。

 爺ちゃんは、父さんが高校生の頃に亡くなっている。

 もちろん、存在自体は認識している。

 昔は、婆ちゃんからよく話を聞かされていたものだ。

 とは言え、それも物心がつくかつかないか、微妙な年頃だ。

 話の内容なんて、ロクに覚えていない。

 僕が小学校に入学した頃を境に、婆ちゃんはすっかり爺ちゃんの話をしなくなった。

 まぁその頃から、病気がちだったこともあるのかもしれないが。


 ただ一つだけ。はっきりと分かっていることがある。

 それは爺ちゃんの死因は、自殺だったということだ。


「そうだったな。そう言えば燈輝と風霞には何も話してなかったな。爺ちゃんがなんでなっちまったか……」


 そこから父さんは、爺ちゃんの過去について語り始めた。

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