風霞の痛み①
「えーっと……。まずはココに呼んだ理由を教えてもらっていいですか?」
ちょっとした非日常に遭遇したところで、日々の生活はそう変わらない。
変わるとしても、それはいつの間にか日常に組み入れられ、変わったことにすら気付かないのだろう。
そんな取り留めのないことを考えながら、僕は今、昨日遭遇した非日常と対峙している。
別に好きで来ているわけじゃない。
ホタカ先生に『明日の放課後、ココに来なさい! さもなければ……』と脅されたからだ。
さもなければ何をされるのかは全くもって不明だが、これだけコンプライアンスやら何やらで煩い時代に、こうも自由奔放に振る舞えるとは、まさに文字通り無敵の人だ。
自称するだけのことはある。
さて僕としては、早いところこの非日常を終わらせて、妹の待つ自宅へ帰りたいところだ。
でも、その望みは薄いだろう。
なんせ彼女は僕が相談室に来てからというものの、向かいのソファーに寝そべりながら、ファッション誌を読み耽っている。
とても自殺を公言している人間のビジュアルではない。
そんな彼女を目の当たりにし、僕は当然の疑問を投げかけざるを得ない。
「えーっと……、なんだっけ?」
当の本人はこちらに顔を向けることなく、雑誌越しに適当に応えて見せる。
「ていうか……、今日は来校日じゃないですよね。何ですか? わざわざ僕を呼びつけるために来たんですか?」
「そうだよー。だから今日は完全プライベート! 年頃のお姉さんを絶賛独占中だよー。良かったじゃん! 友達に自慢できるねぇ」
そう言いながら、なおもホタカ先生は首をあげない。
一向に本題に入らない彼女を前に、僕は手持ち無沙汰になる。
元来人見知りということも相まって、どうにも居心地が悪い。
そこで僕は、世間話代わりに昨日から気になっていた疑問をぶつけてみることにする。
「あの……、根本的なこと聞いていいですか?」
「んー? ナニー?」
「ホタカ先生は、その……。どうして死のうと思ってるんですか?」
僕がそう言うと、ホタカ先生は黙り込んでしまった。
聞いたそばから後悔した。
彼女も立派な大人だ。
高校生の僕では、想像もし得ない苦労があるのだろう。
すると彼女は、何かに気付いたようなハッとした表情を浮かべる。
「あ。す、すみません……。こんなこと聞くモンじゃなかったですね……」
「私、すっかり忘れてた!! 今日って火曜日だよね!?」
「へっ!? そ、そうですけど……」
「トーキくん!! コレ見て!!」
彼女は寝そべりながら、手持ちの雑誌のあるページを見せつけてくる。
「えっと……、『今アツい! 都内話題のラーメン店5選』ですか?」
僕は雑誌を覗き込み、彼女が指差す誌面の一角に掲載された、グルメ欄の煽り文句をそのまま読み上げた。
「そう! そのお店の一つにね! 『激辛! 四川風・勝浦タンタンメン〜季節の彩り札幌味噌バターを添えて〜』って言う火曜日限定メニューがあるの! ラーメンマイスターの私たちとしては、行くっきゃないっしょ!」
「何ですかそのツッコミの待ち方が雑過ぎて、ド滑りしてるメニューは……。ていうか、僕そんな称号名乗った覚えないんですが……。いや、まぁ、普通にラーメンは好きですけど」
「イイじゃんイイじゃん! モノは試しってヤツでさ! 行ってみようよ! あ! お金のことは心配しなくていいからね! お姉さん、奢るからさ!」
煙に巻かれたとか、そんな次元の話じゃない。
ホタカ先生は僕の質問などまるで初めから無かったかのように、得意げに笑い、グーサインをする。
でも、結果的にそれで良かったような気もする。
「はぁ。分かりましたよ……」
僕が溜息交じりに応えると、ホタカ先生は満足そうに笑う。
「よし、じゃあ決まりね! ココから歩きで行けるみたいだし、今から正門集合ね!」
そう言うと彼女は準備を始め、意気揚々と職員用の昇降口に向かっていった。
確認するべきことは山ほどある。
だけど今は、ホタカ先生が何を思い、何を目的としているのか。
それを徐々にでも、明らかにする方が先決だろう。
「激辛って書いてあったけど、そうでもなかったね! ていうか、ぶっちゃけタダの担々麺だったよ!」
ホタカ先生の強い要望により、僕たちは件の店にやって来た。
駅前の高架下ということもあり、周辺にはライバル店と思しきラーメン店や飲食店が軒を連ねており、確かにその中では異彩を放っていたかもしれない。
とは言っても、実際に限定メニューを食べてみれば、何のことはない。
全方向性が悪いように作用してしまい、味そのものが平均化され、彼女が言うように普通の担々麺になってしまった。
まぁ、こうなることは薄々分かっていたけれど……。
とは言え、ホタカ先生の中ではそれなりに期待値が高かったのだろう。
彼女は店の前で伸びをしながら、小言を溢す。
「そりゃあバター乗ってましたからね、何故か……。辛さっていう点では台無しですね。正直、出オチ感ハンパないです、このメニュー」
「あーあ! 楽しみにしてたのになー。ちょっとガッカリ!」
「……要するに話題作りでしょうね。マーケティングの一貫と考えれば、納得もいきます。まぁこの店の場合、流石に極端だとは思いますけど」
「うーわ。相変わらず、ませてるねー! 可愛くないなー」
僕の言葉に、彼女は不機嫌そうに頬を膨らませる。
「でも、確かにキミの言うとおりかも。なんか突飛なことやってるつもりでも、実際はその場しのぎの全方位型ご機嫌取りなんだからね。ホントやってること薄っぺらいよね! まぁ人間なんて所詮こんなモンか!」
「…………」
なんだろうか。
イロイロと含みがありそうで、何も応えられない。
店を出た後で本当に良かったと思う。
「……で。もう何もなければそろそろ帰りたいんですが。妹が家で待ってるんで」
「あぁ、そっかそっか。妹さん元気?」
「はい。まぁボチボチ、だと思います……」
「それは良かった! でもさ……」
そう言うと、彼女は少し神妙な顔つきになる。
「キミがそう思ってても、妹さんは違うかもしれないから、さ」
またその話か。
この人は随分と妹に肩入れするものだ。
ご心配には及ばない。
どんなに風霞が罪悪感を抱えていようとも。
どんなに僕が自分に対して正直に生きようとも。
今後も、僕は兄貴としての立場を貫くことに変わりはない。
ホタカ先生にとっても、所詮は他所様の家庭事情だ。
内心彼女も分かっているはずだ。
結局、僕はそうするしかないことを。
だから、あんな提案を持ちかけたのだろう。
「まぁ、風霞にも色々と思うところがあるってことまでは分かりましたよ……。でもだからって……」
その瞬間、思わぬものが視界に入り、僕は言葉を詰まらせてしまう。
そんな僕を不審に思ったのか、ホタカ先生は僕の顔を心配そうに覗き込んでくる。
「トーキくん? どうしたの?」
「いや。すみません。今ソコに風霞が居たので……」
道路を隔てた向かい側の路地裏に、男女数名の中に混じり、入っていくのが見えた。
この辺りは中学校の登下校ルートではない。
加えて、彼女もあまり友達が多い方ではなく、放課後はほとんど真っ直ぐ家に帰ってきている。
否が応でも、良からぬ想像をしてしまう。
だが、彼女も年頃の女の子だ。
少数とは言え、人並みの社交くらいあるのだろう、とどこか呑気に構えている自分もいたりする。
「へ? そうなの? どこ? どこ?」
ホタカ先生は僕の指差す方に顔を向けたが、既に彼らの影もカタチもなかった。
「もういませんよ。まぁアイツにも友達が居たみたいで安心しました」
そう言うと、ホタカ先生は訝しげに僕を見つめてくる。
じっとりとしたその視線の圧に耐えられなくなり、僕は思わず目を逸してしまう。
すると、何故か彼女はニヤリとほくそ笑む。
「ふふっ。よし! そうと決まれば、行動あるのみ! 行くよ!」
「えぇっ!? あっ。ちょっと!!」
ホタカ先生は一目散に向かい側の路地裏に向かってしまった。
参った。
だけど、もし僕が邪推している通りであれば……。
一抹の不安を抱きながら、僕は彼女の後を追った。
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