歪なカウンセリング
「カウンセラーって……、嘘でしょ?」
さて、彼女の正体がこうして分かってしまった以上、疑問は止まらない。
でも、焦ってはいけない。
情報過多のこの状況を、一つ一つ解決していく必要がある。
いや。
そもそも僕自身、彼女のことをまだカウンセラーだと信じていない。
「ホントだよっ! 失礼だな〜、キミ。ちゃんと臨床心理士の資格だって持ってるし! 証明書見せてあげよっか?」
彼女はそう言って、壁際からノソノソと四つん這いで作業用デスクに向けて歩みだす。
しばらく引き出しの中をガサゴソと漁った後、あった! と小声で漏らす。
「へへーん! ちゃんと大学院まで行って取りましたー! 留年も浪人もしてないから最短だよ、最短!」
そう言いながら、彼女は自慢げに運転免許証程の大きさの証明書を見せてきた。
そこには顔写真や取得年月日とともに、『下記の者は、当協会の定める資格審査に合格したことを証明する』などといったお馴染みの文言が記載してあった。
なるほど。
確かに彼女の言っていることに間違いはないようだ。
「……分かりました。疑ってすみません」
「おっ! キミ、素直だね〜。間違いを認めることは大人になる上で、必須スキルだよ!」
彼女はそう言うと、僕の頭をクシャクシャと撫で回した。
すると、僕の頭上から彼女の血液がポタポタと垂れ始める。
「ちょっ!? だから何やってんすか! ていうか、こんなことしてる場合じゃないでしょ!! 病院病院!!」
僕はそう言いながら、彼女の手を慎重に払い、手持ちのスマートフォンに手を掛ける。
「大丈夫っ!! 大丈夫だからっ!! コレッ!! 血糊っ!! なんてーの? ちょっとしたシュミレーションってヤツ?」
彼女は慌てながら、電話を掛けようとする僕を制止してくる。
「……何だかよく分からないけど、ホントに大丈夫なんですよね?」
「うんっ! ワタクシこの通り、ピンピンしております!」
そう言って彼女は胸を張って、健常さをアピールしてくる。
「そ・れ・よ・り! 肝心なのはキミだよ、キーミッ! 今日は面談に来たってことでいいんだよね?」
彼女は何故か嬉しそうに、僕に問いかけてくる。
面談、か……。
ここへ来た理由なんて、実のところホンの出来心だ。
自分自身、特段カウンセリングが必要とも思っていない。
「あぁー! キミ、まだ私のこと信用してないでしょ!? 大丈夫だって! 私、一応プロだよ!?」
僕が言い淀んでいると、彼女は憤慨してみせる。
「いやっ! そうじゃなくてですね……」
「いいからっ! ソコッ! 座るっ!」
彼女はそう言いながら、応接用ソファーを指差す。
どうやら、どう足掻いても逃げられないようだ。
僕は大きく息を吐きつつ、彼女の指示した通り、ソファーに腰を下ろした。
「急にカウンセリングと言っても……、具体的に何を話せばいいんですかね?」
僕は無理やり着座させられた手前、当然の疑問を投げかける。
「うーん、そうだな〜。最近あった嫌なこととか、寝る前に何度も思い出しちゃうこととか!」
嫌なこと、か。
確かに面倒だと感じることは、山ほどある。
でも、それくらい普通に生きていれば誰にだってあるだろう。
僕自身の境遇も、その域を出ないはずだ。
「特に、ありませんね」
「えぇ〜! ホントかなぁ〜?」
彼女はそう言いながら、ジト目で僕を見つめてくる。
「ホントにないんだから、しょうがないでしょ……」
「じゃあさっ! キミのおウチのこと聞かせてよ!」
「家のこと、ですか?」
「そうそう! 例えば家族は何人いるとか、お父さんやお母さんは何の仕事をしている、とかさ!」
「まぁそれで言うと……、ウチは両親と妹と祖母の5人家族ですね。と言っても祖母は今入院してるんで家にいませんけど。両親の仕事については、あんまり興味ないんでよく知りません。二人ともマスコミ関係で、毎日夜遅いってことくらいしか……」
「ふむふむ。なるほど……。じゃあ次はキミ自身のことについて教えてくれるかな?」
「僕自身って……。また随分ざっくりとした質問ですね」
「何でもいいよ! ちっちゃい頃の将来の夢とか、自分の思っている長所とか短所とか。後は仲の良い友達のこととかかな。あっ! 全然、順序立てて話す必要とかはないからね! 断片的に、キミが話しやすいように話してくれていいから!」
そこからの彼女の説明によると、何でも僕のカウンセリング方針を決定する上での『見立て』を作る必要があるらしいとか。
そのために、僕のバックグラウンドを出来るだけ明確にする必要があるようだ。
また、僕が話している間は口を挟まない、質問をしない、助言をしないことを約束してきた。
詳細は分からない。
でも、恐らくこれがカウンセリングをする上でのお決まりなのだろう。
こうして淀みなく着々と話を進める辺り、やはりその道のプロであるのだと実感する。
それから、全く意図していなかった僕のカウンセリングが本格的に始まった。
「なるほど、ね……。了解です! キミのことが大体分かったよ!」
結局、彼女に促されるまま赤裸々に周辺事情を明かしてしまった。
もちろん彼女には守秘義務があるので、このことが他所に漏れることはないが、それでもどこか落ち着かない。
同時に、どこかスッキリしている自分がいることに驚かされる。
彼女は僕が話している間、静かに相槌を打ちながら、ただひたすらに真剣な表情で聞いてくれた。
僕自身、決して話が上手い方じゃない。
それでもこうして、出しきった感というか、正体不明の充足感があるのは、彼女のカウンセラーとしての力量があってこそのものだろう。
僕は見誤っていた。
彼女は、安堂寺 帆空は、正真正銘のスクールカウンセラーだ。
……と、思えたのはこの時までだった。
次の彼女の反応で、僕は度肝を抜かれることになる。
「クククククク……」
僕の話を一通り聞き終えると、何故か彼女は長机に顔を伏せ、笑い出す。
「えっと、あの……、どうされました?」
僕が戸惑いながら問いかけると、彼女は一層笑いのボルテージを上げる。
そして突っ伏していた頭を起こし、バンと机を叩き、勢いよく立ち上がる。
「神様ぁ! やっと理想通りの逸材に出会えましたーっ!」
彼女は立ち上がるやいなや、両手を組み、天を仰ぎながら叫ぶ。
クライアントである僕を清々しいまでに置き去りにし、神への感謝の念を一方的に述べるのはいいけど、そろそろ何がどうしたのかを説明して欲しいものだ。
「天ヶ瀬くんっ! いやっ……、これからは親しみを込めてトーキくんと呼ばせてもらうねっ! 私のことはホタカ先生、でいいからね!?」
「えっ!? あ、はい……」
ホタカ先生? は机から身を乗り出し、キラキラとした瞳で真っ直ぐに僕を見つめてくる。
「さて、改めてトーキくん。キミに折り入ってお願いがあります!」
そう言うと、彼女は僕の両手を包み込むように優しく握る。
温かい。
久々に感じた人間の体温のような気がする。
ましてや、少し気の早い水浴びをした直後だ。
彼女の体温が全身に染み渡るような感覚に陥る。
でも彼女は、そんな僕の人間らしい感傷を次の一言で無残に吹き飛ばしてきた。
「私と一緒に、死んでくれませんか?」
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