魔王と聖女は互いに惚れた弱みを作りたい 10

 リディアのリードに合わせてステップを踏む。言葉に出さずとも、二人の意志が一つになる一体感。その心地よさに身を任せていると、不意に音楽が止まった。

 それと同時、パチパチと拍手が鳴った。


「とても情熱的なダンスを見せていただきました。ですが、いくらなんでも連続で踊りすぎです。そろそろ休憩をなさってください」


 口を開いたのはミルザ夫人、リディアのダンスの先生だ。そういえば、彼女が同じ部屋で音楽を奏でる魔導具のチェックをしていたんだった。

 ダンスに夢中になるあまり、彼女の存在をすっかり忘れていた。それはリディアも同じようで、ミモザ夫人の言葉を聞いて我に返ったのか、慌てたように俺からその身を離した。


「す、すみません、ミモザ夫人。さっそくレッスンを始めましょう」

「まあ。リディアお嬢様は気付いていらっしゃらなかったんですか?」

「え、気付く、ですか?」

「ええ。わたくしの授業時間はとっくに過ぎていますよ。十曲以上踊っていましたから」

「え、そんなに!?」


 リディアが素の声で叫ぶ。

 ……って言うか、そんなに踊ってたんだ。リディアに合わせるのが楽しくて、どれくらい時間が経ってるかとかまったく気にしてなかった。


「という訳で、今日はアドバイスだけにいたしましょう」

「は、はい。お願いします」


 リディアは気まずそうだ。でもミモザ夫人は気にした素振りを見せずに総評を口にする。


「感情のこもった素敵なダンスでした。ただ、リディアお嬢様は、視線やリードを意識するあまり、予備動作が大きくなりすぎですね。特に視線はもう少し自然にしてください」

「分かりました。気を付けます」


 あぁ……なるほどな。たしかに、リディアの重心移動や、視線誘導は分かりやすかった。

 でも、ミモザ夫人の指摘はもっともだ。

 リディアはダンス中に、視線をあちこちへ飛ばしていた。俺をリードするという意図では完璧だったけど、ダンス中にそんなキョロキョロするな、と言われても仕方ない。

 そんな感じでリディアへの指摘を終えると、ミモザ夫人は俺に視線を向けた。


「それからアルトさん。とても初めてとは思えない素晴らしいダンスでした。ただ、知らないステップだから無理はありませんが、正確性や優雅さが足りませんでしたね。もしダンスに打ち込むつもりがあるのなら、ただしいステップを覚えることは重要ですよ」

「ご指摘に感謝し、精進するようにします」


 リディアの練習に付き合っただけだけど、彼女とのダンスは面白かった。またあんな時間を過ごせるなら――と、俺はちゃんと練習することを決意した。



 ――と、既に気付いた人もいるだろう。

 ダンスを境に、俺の心境に変化が訪れたのだ。

 リディアを惚れさせるという目的自体は変わっていない。でも、惚れた弱みをリディアに作って、自分が殺されないようにするためという意識は薄くなった。

 そんなことをしなくても、リディアなら分かってくれるかもしれないと思ったから。


 もちろん、現時点で、自分が魔王の後継者だなんて名乗って無事に終わるとは思えない。でも、惚れさせなくても、俺のことをちゃんと知ってもらえれば大丈夫だと思うようになった。


 かもしれないであって、絶対じゃない。だから、リディアを俺に惚れさせる作戦は撤回しない。それでも、以前のような必死さはなくなった。

 なにより、俺の仲の警戒心が薄れることで、リディアの警戒心も薄れたように思う。


 俺はリディアの護衛として行動をともにして、護身術を教える代わりに、ダンスの稽古に付き合ってもらう。みたいな日々を送る。



 そうして一週間ほどが経ったある日。

 エリザベスさんに呼び出された俺は彼女の執務室に足を運ぶ。ノックをして部屋に入ると、エリザベスさんとリディアが話をしているところだった。


「タイミングが悪かったようですね。出直します」

「いいえ、リディアのことでアルトさんを呼んだのです」


 そう言われ、俺は部屋に入ってリディアの横に並ぶ。

 リディアのことってなんだろう?

 ……もしかして、リディアと仲良くしている件か? いまさらだけど、リディアは伯爵令嬢だ。そんな彼女と、どこの馬の骨ともしれぬ俺が仲良くするのは外聞が悪い。

 でも、距離を取れと言われたら……嫌だな。

 そんな想いを抱く俺に、けれどエリザベスさんは思いもよらぬことを言った。


「もうすぐリディアの誕生日なんです」

「それはお祝いをしないとですね」


 リディアと仲良くしていることを咎められなかったと安堵すると同時、なにをプレゼントをしたらリディアは喜んでくれるかな? なんてことを思い浮かべる。

 そこに、リディアを惚れさせるため――という意識はなかった。

 そんな自分の心変わりを自覚して心の中で苦笑する。


「実は毎年の恒例として、付き合いのある者達を屋敷に招いて、リディアの誕生パーティーを開催します。そこに、リディアのエスコート役として参加してくださいませんか?」

「……はい?」


 ……エスコート役って、つまりパーティーのパートナーだよな? 詳しいことは知らないけど、ああいうのって、家族とか恋人、あるいは婚約者が務めるものなのでは?

 そんなふうに困惑する。

 リディアも知らなかったのか、彼女もまた驚いた顔をしていた。


「あの……なぜ俺にそのようなことを?」

「理由はいくつかあります。ですが一番の理由は、パートナーとして側にいて、リディアを護って欲しいからです」

「……護衛ですか? 招くのは付き合いのある者達だけなんですよね?」


 一体誰から護るのか? という疑問。それに返ってきたのは、ある意味では予想通りの、だけど、俺が考えないようにしていた答えだった。


「娘を狙っているのはおそらく、魔王を崇拝する教団の者達です。なぜなら、娘は――」

「――お母様っ!」


 リディアが鋭い声で遮った。それを受けて、俺も気が付いた。エリザベスさんが、リディアが聖女であることを明かそうとしたのだと。


 ……そうか。

 エリザベスさんは知っているのか。

 だとすれば危なかった。リディアは俺には聖女であることを隠している。もしその事実を聞かされていたら、ややこしいことになるところだった。


 だけど……ああ、そうだよな。リディアを取り巻く魔王関連の問題は現在進行形だ。なのに俺はどうして、終わったことのように考えていたんだろう?

 彼女は聖女で、魔王の天敵だ。俺が天敵である聖女に殺される危険があるように、聖女もまた魔王や、その関係者に殺される危険をいまも抱えている。


 たしかに、いま現在のリディアには、俺が魔王の後継者だからという理由だけで、俺を殺すほどの動機はないのかもしれない。


 だけど、今後はどうだろう? リディアはまた魔王を崇拝する教団に攫われるかもしれない。家族や知り合いが、魔王の関係者に殺されるかもしれない。

 リディアはそれでも、魔王の後継者である俺を殺さずにいてくれるだろうか?

 そんなことはあり得ない。


 考えが甘かった。

 他人から見れば、魔王を崇拝する教団は、魔王の後継者である俺の身内みたいなものだ。彼らの悪事を止めなければ、いつか俺が報いを受けることになるだろう。

 それを防ぐためには、知らぬ存ぜぬで押し通すだけじゃダメだ。

 俺が自ら、魔王を崇拝する教団を止めなければならない。


 だから――


「事情は分かりました。リディアのパートナー役、謹んでお受けいたします」


 俺は生き延びるため、新たな決断を下した。

 

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