魔王と聖女は互いに惚れた弱みを作りたい 8

 護身術の座学を終えた直後、私はアルトさんから視線を逸らして胸を押さえた。

 鼓動がうるさいくらいに高鳴っている。

 もう少し授業を続けていたらどうにかなっていたかもしれない。それくらいに真横にアルトさんが座るというシチュエーションはヤバかった。


 って言うか!

 私の理想を体現したアルトさんが、私の選んだ服を着て、隣で囁くように勉強を教えてくれるんだよ? なにその状況、私を落とそうとでも思ってるの!?


 ……なんて、そんなはずないよね。

 そもそも、アルトさんは最初、私のことを警戒していた。私が聖女だと気付いた素振りはいまのところないけれど、私を口説く理由だってないはずだ。

 ……うぅん。もしかして、怪しんでいるから、なのかな? 私を動揺させて、私の正体を暴こうとしている、とか?


 だとしたら――好意的に見えるのは演技!?

 あ、あり得る。

 最近は好意くらいは抱かれているかも――なんて思ってたけど、全部見せかけだった可能性もあるよね。それに、多少の好意程度じゃ、正体がばれたときに手のひらを返される。

 気を引き締めよう。

 そして、必ずアルトさんを私に惚れさせてみせる。

 そう決断した私は、ここで引くのではなく、反撃の一手を繰り出すことにした。


「じゃあ、残った時間はダンスの稽古に付き合ってくれるかな?」


 これが、私のひねり出した反撃の一撃。

 隣に座るアルトさんを意識したとき、異性と向き合ったときは男性が先に意識して、異性と並んだときは女性が先に意識するって話を思い出したんだよね。

 もちろん、そういうケースが多いってだけで、絶対にそうという話じゃない。ただ、私に限れば、正面に立たれるよりも横に立たれる方が意識するのは事実だ。


 だから、アルトさんにはダンスの稽古に付き合ってもらう。正面から向き合えば、私よりもアルトさんの方が先に意識するはずだから。


「アルトさん、お願い出来る?」

「……え、いや、その。俺はダンスなんてしたことがないから」

「なら、私と一緒にしよ?」

「え? あ、あぁ、練習の話か。いや、練習なら上手い人とした方がいいだろう?」


 アルトさんはなにかと理由を付けて逃げようとする。

 でも、他の人だと意味がない。


「ダンスが苦手な人と踊る練習もしたいと思ってたんだよね。だから、ね?」


 アルトさんと反対側の腕をテーブルに突いて身体を捻り、斜め前からアルトさんを見上げる。いまの位置はきっと、アルトさんのパーソナルスペースに入り込んでいる。

 その予想は正しかったようで、彼の視線は私の顔から下へ、そのまま周囲を泳ぎ始めた。


「リディア、その体勢は、その……」

「アルトさんは、私と踊るの……嫌?」

「い、いや」

「……嫌なの?」


 誤解した振りで、ちょっぴり悲しそうな表情を作ってみせる。


「いやいやいや、嫌って分けじゃなくて……その。あぁもう、分かったよ!」

「やったぁ」


 思わず演技を忘れて喜んでしまう。

 魔王の名を継ぎし者なんてヤバイ称号を持っているけど、なんだかんだ言って優しいんだよね。……私が聖女じゃなければ、これからもずっと、こんなふうに接してくれたのかな?

 ……っと、いけない。

 ネガティブになってる場合じゃないよ。


「それじゃさっそく、ダンスの稽古場に行こう」


 すっと席を立って、隣に座るアルトさんに手を差し出した。



「とうちゃーく」


 アルトさんと稽古場へとやってきた。護身術を習う野外の訓練所とは別で、ダンスや礼儀作法の稽古に使うこの部屋は板張りになっている。

 扉を開けて部屋に入った私は、そのにダンスの先生がいることに軽く目を見張った。


「あら、ミモザ夫人、ずいぶんとお早いですね」

「わたくしは音楽を奏でる魔導具の確認をする予定だったのですが……そうおっしゃるリディアお嬢様もずいぶんとお早いですね。なにかございましたか?」

「私は彼と練習をしようと思いまして」

「……彼?」


 ミモザ夫人がアルトさんへと視線を向ける。

 こういった場合、私が紹介するのが一般的だ。


「ご紹介が遅れました。彼はアルトさん。私の恩人で、現在はホーリーローズ伯爵家に剣客として滞在しており、私の護衛をも務めてくださっています」

「まあ、貴方が噂のナイト様ね。もしかしてお邪魔だったかしら?」

「い、いえ、そんなことは――ありませんよ」


 アルトさんと接していた名残で、素が滲んでしまっていることに気付いた私は慌てて取り繕った。でも、それが丸わかりだったのか、ミモザ夫人は微笑ましそうな目で笑った。

 私は恥ずかしさにスカートの裾を握り締め、コホンと咳払いをした。


「ええっと、アルトさん。彼女はリーヴィル子爵家のミモザ夫人だよ。ダンスがとても上手だと評判で、無理を言って私の先生をしてもらっているの」

「そうなんだ。なら、俺はいなくても平気そうだな」


 あっさりと。本当にあっさりと、そう言って踵を返してしまった。って言うか、一度は了承したのに、こんな風に逃げようとするなんて酷くない?

 そう思った瞬間、私はアルトさんの腕をぎゅっと摑む。


「……アルトさん、私の練習相手になってくれるって、いったよね? それにミモザ夫人は魔導具の確認中だっていったよね?」


 笑顔で問い掛けるけど、その笑顔はちょびっと引き攣っていたかもしれない。

 私から不穏な気配を感じ取ったのか、アルトさんが気圧されたようにこくこくと頷く。っていうか私、天敵相手にこんな態度をとって……危なくない?

 なんて、今更かな。

 惚れた弱みを作るには、少しくらい踏み込まないとダメだ。そしていまは踏み込むべきところだ――と、アルトさんの真正面、四十センチくらいの距離に詰め寄った。

 そうして上目遣いでアルトさんを見上げる。


「それじゃ、さっそく、ダンスのお相手をしていただけますか?」

「わ、分かったよ」


 私の顔から視線を落とし、そこから視線を泳がせる。さきほど、勉強部屋でもやっていた仕草。やっぱり、アルトさんは正面から詰め寄られるのに弱いみたいだ。

 さあ、反撃開始だ――と、私はアルトさんの懐に飛び込んだ。


 でも、私は完全に失念していた。

 正面で向き合った場合、男性の方が先に意識するのはたしかだけど、ダンスをするくらい密着したら、女性のパーソナルスペースにだって完全に入っちゃう、という事実に。

 

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