魔王と聖女は互いに惚れた弱みを作りたい 7

 服飾店へのお出かけから数日が経った。

 俺は魔王の後継者で、リディアはその天敵である大聖女。しかも、たんなる設定というだけじゃない。リディアは幼少期、魔王を崇拝する教団に攫われている。

 彼女は事無きを得たと言っているけれど、それが本当かどうか分からない。少なくとも、体面的には苦労しているはずなので、魔王という存在を怨むのは当然だ。


 俺が殺されないようにするには、リディアを俺に惚れさせ、惚れた弱みを作るしかない。けれど、俺が先に惚れたらそういう画策が出来なくなるかもしれない。

 そもそも、俺がリディアに惚れても悲しい結末しか想像できない。ゆえに、俺が彼女を意識しないようにする必要があるのだけど……先日はヤバかった。

 リディアが、俺の好みの服を着ると言い出したからだ。


 いや、俺の好みを体現した女の子が、俺の選んだ服を着るのは嬉しい。凄く嬉しいんだけど、それで俺がリディアに惚れたらバッドエンドが見える、という状況。

 もはや一種の拷問である。


「しかも、リディアの奴。あれから俺の好みの服ばっかり着てるんだよなぁ……」


 昨日なんて、護身術の稽古のまえにあの服で現れて「アルトさんに選んでもらったのが嬉しくて、思わず稽古着に着替えずに来てしまいました」って、はにかむんだぜ?

 なんなの? 俺を惚れさせようとでもしてる訳?

 いや、そんなことはあり得ないって分かってるんだけどさ。


 とにかく、俺も負けてはいられない。

 客観的に見て、この身体の容姿は格好いい部類に入ると思う。少なくとも、リディアはそう思っているように思う。そこに加え、リディアに服を選んでもらうことが出来た。

 俺好みの服を着るリディアにドキドキさせられているように、俺がリディア好みの服を着れば、リディアをドキドキさせることが出来るのでは、と思ったのだ。


 その効果は試着室から出てきたときから顕著だった。

 あのときの俺を見るリディアは、まるで恋する乙女だった。もちろん、見惚れていたからと言って、惚れたと思うほど甘いことは考えていないけど、確実に効果はあった。

 だから、俺はプレゼントされた服と同じ方向性で服を買い揃えた。最近まで旅人で、剣客になったばかりの俺には痛い出費だけど……これも生き残るために必要な経費だ。


 そうして、リディアと会うときは、出来るだけリディアの好みに合わせた服を身に着けている。その効果は……やっぱり抜群のように思う。

 リディアを惚れさせることが出来るかはまだ分からない。けど、ドキドキはさせられていると思う。ただ、リディアも俺の好みに近付いているため、俺もドキドキさせられている。


 自分はドキドキせず、リディアだけをドキドキさせるのが本来の目的。策を弄した搦め手で責める予定だったのに、いまやっているのはまるで真正面からの殴り合いだ。


 このままじゃダメだ。

 そう思った俺は次の一手を打つことにした。


 それは――パーソナルスペースを使った攻略だ。

 まずは、パーソナルスペースについて軽く説明しよう。

 それは、いわゆる自分の意識的な占有領域のこと。知らない人間に入ってこられると嫌悪感を抱くし、好意的に感じている相手が入ってくると意識することになる。


 物理的にたとえるなら、自宅のようなものだ。他人が土足で上がり込んできたり、好意を持つ相手が訪ねてきたときのことを想像すると分かりやすいだろう。


 つまり、リディアのパーソナルスペースに上手く入り込むことが出来れば、リディアに俺を強く意識させることが出来る、という訳だ。


 もちろん、これはリディアが俺に好意を抱いていることが前提である。だけど、俺に服をプレゼントするくらいだし、少なくとも好意はあると思う。なので、リディアのパーソナルスペースに入るようにすれば、リディアは少しずつ俺を意識するようになるはずだ。


 ――と、ここまで聞いた人はこう思ったかもしれない。それ、お前も意識することになるんじゃないか? と。たしかにその通りだ。でも、対策は考えてある。


 ここからがパーソナルスペースの面白いところで、その領域の広さは個人差がある。それだけでなく、男女で一般的な領域の形に違いがあるのだ。


 これは人類の成り立ちに起因する。

 かつての人類は男が狩猟をし、女は家を護るというふうに役割が分担されていた。その役割に基づき、男は前方に意識を向け、女は周囲をまんべんなく意識する。

 これが、現代でもパーソナルスペースの形として残っている、と言われているのだ。


 念のために言っておくが、だから男女で役割を分けるべきだ――みたいなことを言うつもりは一切ない。やりたいことをやりたい人がやればいい、というのが俺の心情だ。

 もっともその信条は、この世界の貴族社会では異端に扱われそうだけどな。


 閑話休題(それはともかく)。重要なのは、男性は前方に広い卵形で、女性は自分を中心とした円形。それが一般的なパーソナルスペースの形だと言うことだ。

 ……どうだ? ここまで言えば気付いた人もいるんじゃないか? 立ち位置によっては、男性と女性、どちらか片方だけがパーソナルスペースに入ることがある、ということに。


 もう少し具体的に言おう。

 男女が向き合えば、男性だけが相手を自分のパーソナルスペースに入れることとなる。対して横に並べば、女性だけが相手を自分のパーソナルスペースに入れることになる。


 ――つまり、リディアの横に並ぶようにすれば、俺はリディアを意識することなく、リディアに俺を意識させることが出来る、ということ。

 これが、服装の件で危機感を抱いた俺がひねり出した、起死回生の一手。


 とはいえ、これはあくまで自然にやらないと意味がない。自然に相手のパーソナルスペースに入り込んでこそ、相手に好意的な意識をさせることが出来るのだ。

 親しき仲にも礼儀あり。相手の家に土足で踏み込むような真似をすれば、いくら好意を抱いている相手だったとしても、抱かせるのは好意ではなく、警戒心や不快感となってしまう。


 じゃあどうしたらいいのか?

 それはもちろん、自然とそうなるシチュエーションを考えるしかない。


 カフェで窓際の席に並んで座る――なんていうのも効果的だろう。

 とはいえ、俺とリディアが街へ出掛けることは滅多にない。あったとしても、二人で並んでカフェに入る――なんて可能性はないに等しい。


 ゆえに、俺が考えたのは護身術の授業に座学を取り入れる――というものである。俺はそれをリディアに提案し、リディアも快く受け入れてくれた。

 そして――


「つまり、護衛にもっとも重要なのは、護衛対象を危険な場所に近付けさせないことだ。だから護身で一番重要なのも、危険な場所に近付かないことになるな」

「それは……屋敷から出るな、ということ?」

「安全だけを考えるなら、な。でも、リディアは籠の鳥じゃない。貴族令嬢として、外せない用事だって多々あるだろう。だから、それぞれのケースを想定して話そう」


 前置きを一つ。俺は参考書を広げながら、様々なケースでの身の守り方を説明していく。そのうちのいくつかは、俺が実際に護衛の仕事を受けたときの体験談だ。

 ときに厳しく、ときに場を和ますように、リディアの耳元で語り続ける。


 ――そう。

 ここはホーリーローズ伯爵家にあるリディアの勉強部屋。

 俺とリディアは机に向かって並んで座っている。自然な形で、リディアのパーソナルスペースに入り込んだ形だ。しかも目論見通り、俺のパーソナルスペースには入られていない。

 これなら、リディアにだけ、一方的にドキドキさせることが出来るはずだ。

 いや、実際、リディアに意識させることには成功したと思う。俺が説明するたびに、リディアはちらちらと俺を見ては恥ずかしそうにしていたから。

 だけど――


「ねえアルトさん、ここについてもう少し詳しく教えてくれる?」


 頬を朱に染めたリディアが、肩口に零れ落ちた髪を指で払いながら俺に視線を向ける。その横顔が……むちゃくちゃ可愛かったりする。

 しかも……ふわりと払った髪から凄くいい匂いがしてくる。

 シャンプーの匂い、なのかな? キャラメイキングに匂いなんて項目はなかったけれど、もし設定することが出来たのなら、きっとこんな匂いに設定していた。

 なんというか、リディアが女の子であることを強く意識してしまう。


 それに――と、俺が選んだブラウスに視線を向ける。

 俺が選んだのは、肩出しのブラウスだ。決して胸元が開いているようなデザインではない。正面から見れば、胸元の開き具合は普通のブラウスと変わらない。

 でも、俺がいるのは彼女の真横。

 しかも俺の方が背が高いから、リディアを少し見下ろす形になっている。


 だから、なんというか……胸元が見えてしまいそうなのだ。

 もちろん、実際には見えない。ブラウスと胸元のあいだに隙間なんてないし、もし隙間があったとしても、胸が見えるようなデザインではない。

 それでも、見えてしまいそう――という意識を消すことが出来ない。それに胸元は見えなくても、胸の膨らみはありありと分かってしまう。

 自分の好みを体現した女の子を相手に、意識するなと言うのは無理な注文だ。


 もちろん、出来るだけ見ないようにはしている。

 でも、リディアの胸元は、参考書と顔のあいだにある。視線を行き来するたびに、視界にリディアの胸元が映り込み、そのたびにリディアが女の子であることを意識してしまう。


 っていうか、なんなんだよ、この甘ったるい空間は!

 いいか、俺は真剣なんだ。これはラブコメじゃない。リディアを俺に惚れさせ、惚れた弱みで俺を殺せないように誘導する。命を懸けた戦いなんだ!

 なのに、なんで……なんで、俺の方がドキドキさせられてるんだよ!?


 そもそも、いままではドレスを中心に身に着けていたのに、なんで急に俺好みの服ばっかり着るようになってるんだよ? なんなの? 俺を惚れさせようとでもしてる訳?


 いや、分かってる。自意識過剰だ。そんなはずないって分かってる。でも、そういうふうに見える。それだけで、もう、もしかしたら……って意識させられている。


 だいたい、リディアは最初、俺のことを警戒していた。いまのところ、俺が魔王の後継者だと気付いた素振りはないけれど、俺を口説く理由も存在しない。


 いや、動揺を誘って、俺の正体を暴こうとしている、とか? 全部演技という可能性はありそうな気がする。少なくとも、リディアはそれが出来るくらいにはハイスペックだ。


 とにかく、絶対に俺が惚れる訳にはいかない。いかないんだけど……俺好みの子が、俺の好みの服を着て、隣ではにかんでる。なのに惚れたらバッドエンドとか地獄なんだけど!


 っていうか、強すぎだろ!

 パーソナルスペースには入られていないのに、リディアに意識させられるとは思わなかった。言うなれば、有利な状況で挑んでいるのに、強烈なカウンターを喰らった気分だ。


 だいたい、リディアは俺が魔王の後継者だということを知らないはずなんだ。

 対して、俺はリディアが天敵だと知っている。惚れたら破滅すると分かっているのに、それを知らないリディアに負けそうになっている。

 まさか、リディアがここまで強敵だとは思わなかった。


「……少し早いけど、今日はこれくらいにしよう」


 拳を握り締めて敗北を認め、苦渋の思いで撤退を決断する。

 なのに、リディアが追撃を掛けてくる。


「じゃあ、残った時間はダンスの稽古に付き合ってくれるかな?」――と。

 

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