被害者
砂橋は休みだからということで、一度首を突っ込んだ手前、この事件に最後まで関わるらしい。と言ったのも、俺が熊岸刑事に無理を言って、この事件に関わらせてもらうことにして、そこに砂橋が散歩がてらついてきたというわけだ。
散歩といっても、俺の車に乗り込んで、窓から外を眺めているくらいだが。
男の死体が発見された公園の一区画は、すでに何事もなかったかのように元通りとなっている。
「このベンチの横にうつ伏せに倒れてたのか……」
事件を知らない人が見れば、そこはなんの変哲もない普通の公園のベンチだろう。人が死んだなどとは誰も思わない。
「被害者の名前は、
「じゃあ、その森川家の人間は事件前の森川誠の足取りを知らないってこと?」
「そういうことになる。一人娘も朝から預けられて、一度も家に帰っていないらしい」
「ふーん……」
砂橋が容赦なくベンチに座った。俺も熊岸刑事も砂橋のようにベンチに座る気持ちにもなれずに立ったまま、死体があったはずの場所を見下ろした。
「仕事は?」
「無職だ。森川家の人間の証言によると五年前に両親が亡くなってから一度も働かずに兄に養ってもらってるらしい」
顔をあげた砂橋と目が合う。「ニートじゃん」と目が雄弁に語っている気がした。ニートだから死んでもいいということにはならない。砂橋もさすがにそこまで過激な考えは持っていないだろう。
いや、むしろ、ほとんど俺の家で飯を食って、金も払わない砂橋も居候と似たようなものなのだが。ないものといえば、砂橋用のベッドくらいだ。砂橋が泊まる時は来客用の敷布団を使う。
俺がじっと砂橋のことを見ていると砂橋は俺の視線など気にも留めていないようで、熊岸刑事の方を見た。
「じゃあ、森川誠の動向はいいや。死体が発見される前、この公園でイベントしてたんでしょ? SNSにあがってた写真を見る限り、ここからそう離れていない開けたところでやってたみたいだけど」
「ああ、ハッピーニューイヤーライブフェスのことか」
もう三が日は過ぎているのだが、どうやら一月ということでライブは盛り上がっていたらしい。昨日、砂橋が見つけたいくつかの写真を見る限り、少なくはない人数がこの公園にはいたはずだ。
「一応、そのイベントの参加者に話を聞いてみたんだが、森川誠を目撃した人間はいなかった」
「死体が見つかったのは夜だよね。誰が見つけたの」
「午後九時から十時にいつもこの公園でランニングをしている人間だ。いつものように公園を走っていたら、倒れている人間を見つけて、救急車を呼んだらしい。その時にはすでに死んでいたが……」
「発見した時間は?」
「九時四十五分だ」
イベントが終わったのが午後八時三十分と考えると、八時三十分から九時四十五分の間に森川誠はこの公園に現れたことになる。
いくら裸にコート一枚とはいえ、イベントが終わり、発見されるまでの一時間十五分の間に人は凍死するのだろうか。
誰かが生きたまま森川誠を公園に連れてきて、彼を凍死させたと考えるよりも、彼を凍死させてからこの場に連れてきたと考える方が自然な気がする。
しかし、その場合、森川誠の遺体をどうやって公園まで運んだのかという疑問が残る。いくら、夜中とはいえ、成人男性一人の死体を運んでいれば、見かけた人間に怪しまれる可能性は高い。
「イベントの参加者は森川誠を見ていないって言ってるんでしょ? だったら、主催者側は?」
砂橋がぽちぽちとスマホを操作したかと思うと、こちらにとある写真を見せてきた。
それはSNSに載せられた写真で、投稿主は観客の一人らしかった。その投稿には、イベントに参加したとあるバンドメンバーが控え室代わりのテントから出てくる様子が載せられていた。そして、その控え室代わりのテントの奥には砂橋が今座っているベンチが映り込んでいた。
「フェスの主催者側に会うというのなら、ちょうどいい。今から行くところだったんだ」
「あ、そうだったの?」
熊岸刑事が公園の駐車場へと歩き出したことで、砂橋もベンチからひょいと飛び降りて熊岸刑事の後をついていく。黒色の角を削ったような丸いフォルムの熊岸刑事の車に乗り込む。
「フェスの主催者は、亡くなった森川誠の兄の森川雄吾だ」
「わぁお、偶然」
まったく偶然だとも思っていない声音に俺は呆れた。どうせ、砂橋の頭の中では、五年間無職の弟を養っていたフェスの主催者の森川雄吾が、森川誠を殺した最有力候補になっているのだろう。
俺も一瞬、そう考えた。
「この車、熊岸刑事の趣味?」
「妻が選んだんだ」
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