第36話 【SIDE:ゴルベール】惨めな大司教


「お客さーん。もう少しで着きますぜ」

「うむ……」


 ラストアに向かう馬車の中で。

 御者台から声をかけられたゴルベールは憂鬱だった。


 左遷を命じたリドを、王都教会の信頼回復のために連れ戻さなくてはならなかったからだ。

 そもそも、リドが素直に王都教会に戻るかは分からない。


 ゴルベールはそんな感情を打ち払うかのようにブンブンと首を振った。


「い、いや、何を弱気になっているのだ私は。奴も神官ゆえ、王都神官の職に返り咲けるのであれば喜んで承諾するはずだ。受け入れれば地位も名誉も手に入るのだからな」


 自身を鼓舞するための呟きだったが、その考えは酷く的外れだった。

 自身の勝手な物差しに他人を落とし込もうとしても、確かな信念と価値観を持っている人間には無駄であるということに、ゴルベールは未だ気づかない。


 だからこそこのような状態に陥っているとも言えるのだが……。


「それにしても、近頃は王都からラストア村を訪れる人が多いねぇ。御者としては稼ぎになるからありがたい限りだ」

「そ、そうなのか?」

「ほら、あれだよ。話題の神官様に会えれば奇跡が見れるってやつさ。お客さんも神官みたいだし、彼の天授の儀を見て勉強しに来たんじゃないのかい?」

「……」

「いやぁ、実はね? 例の神官様がラストアに行く時、馬車に乗せたの私なんですわ。今では女房や娘への自慢話になってて――」


 ゴルベールにとって、馬車の御者の話は屈辱以外の何物でもなかった。

 自分が無能だと烙印を押した人間が辺境の土地で絶賛されていたのだから。


 (くそっ、何故こんなことが起きる……! リド・ヘイワースの奴を排除した私の判断が間違っていたとでもいうのか……!?)


 その通り。決定的に間違っていたのだ。


 しかし、ゴルベールは自分の否を認めない。いや、認めたくなかった。

 向けどころの無い憤慨を押し込め、ゴルベールはただきつく拳を握ることしかできない。


 ふと、馬車の前方に目を向けたゴルベールは、あるものに気づいた。


「お、おい御者よ! あれはワイバーンではないか!」

「ん? ああ、そうみたいだな。最近この辺りにはよく出るんだ」


 危険度ランクB級モンスターの出現にゴルベールが慌てふためき、一方で御者の声は落ち着き払っていた。


「何を悠長なことを言っとるんだ……! すぐに引き返せ!」

「大丈夫大丈夫。いつもこの時間は彼らがいるからさ。この馬車にも退魔の魔法をかけてもらっているし」

「ええい、ワケの分からんことを! もういい! 私は一人で逃げるぞ!」

「あ、お客さん! 馬車の外に出ちゃ危険だよ!」


 制止する御者の声を無視して、ゴルベールは馬車の外へと降り立つ。

 しかし、それが良くなかった。


 ワイバーンはジロリとゴルベールを捉えると、凄まじい勢いで滑空してくる。


「ヒィイイイイッ――!」


 悲鳴を上げながら逃げ惑うゴルベール。馬車から離れて全力で駆けるが、ワイバーンは振り切れない。

 獰猛なワイバーンが牙を剥き出しにしながら迫り、格好の獲物にありつこうと大口を開いた、その時だった。


「どぉりゃっ!」


 ――バシュッ!


 突如として現れた男が、手にしていた長剣でワイバーンの首を一刀両断したのだ。

 ワイバーンは断末魔を上げることすらできず地に落ち、地響きを立てながらそのかばねさらす。


「あ、ああ……」


 ゴルベールは生きた心地がしなかったのだろう。

 間一髪で助けられたことを知ると、ヘナヘナとその場にへたり込んだ。


 そこへ、ワイバーンを仕留めた男が近づき声をかける。


「おいおい、オッサン。大丈夫かよ? 馬車の中にいりゃあ安全だったってのに」

「た、助かったぞ……。礼を言う」

「ハッハッハ、良いってことよ!」

「しかしお主、あのワイバーンを一撃でほふるなど……。さぞかし名のある剣士と見受けるが……?」


 ゴルベールの言葉は本心から出たものだった。

 が、男は見当違いのことを言われたかのように眉をひそめる。


「名のある剣士ぃ? 俺はただの村人だよ」

「は……? お主が普通の村人、だと……?」

「俺がワイバーンを倒せるようになったのは天授の儀をやってもらったおかげだ。ある神官さんから【剣神の加護】ってスキルを授かったからな」

「そ、その『ある神官』というのは……まさか……」

「ん? リド・ヘイワースさんっていう人だけど?」

「……っ」


 ゴルベールは絶句した。


 あの左遷以降、リドが行う天授の儀の噂は王都にいたゴルベールの耳にもそれとなく入ってきている。

 が、よもやただの村人がワイバーンを平気で狩るスキルを授与できる程だとは、思ってもいなかったのだ。


 (い、いや。いやいやいや。この村人に対して行った天授の儀がたまたま上手くいっただけなのかもしれん。それが会心の出来であったと考えれば……)


 しかし、そんなゴルベールの思考はあっけなく覆されることになる。


「おーい」

「おう、お前ら。お疲れ」

「なぁっ……!?」


 こちらに手を振りながら近づいてくる男たち。

 ゴルベールは目の前にいる男と同じ、ラストアの村人であると理解する。


 その村人たちは巨大な台車を何台も引いていて、その上にはワイバーンの頭部が山盛りに積まれていた。


「お、今日はけっこう多めだな」

「ああ。いつもより少し多いな」


 (す、少し、だと!? 一体どんなスキルを授かったらこれだけ大量のワイバーンを狩れるというんだ……。それに、同じ村の住人ということはこの者たちにスキルを授けたのも……)


 ゴルベールは言葉を出さずに、ただ目を見開いて驚愕していた。

 そこへ村人たちの声がかかる。


「ん? 誰だ、このオッサンは?」

「ワイバーンに襲われてたところを助けたんだよ。……そういえばオッサン、見たところ神官みたいだが、リドさんの天授の儀でも見に来たのか?」

「い、いや……。私はリド・ヘイワース神官に王都へ戻ってくるよう伝えようと思って……」

「へぇ。リドさんに王都へ戻ってもらおうと、ねえ。ってことは、オッサン、王都教会の人間かよ」

「おい、コイツあれじゃねえのか? リドさんを左遷したっていう……」

「っ!」


 一人の村人の目つきが鋭いものへと変わり、ゴルベールの心臓が跳ね上がった。

 しかし、すぐに別の村人が笑い声を上げる。


「ハハハッ! そんなわけあるかよ。自分で左遷しておいて戻ってきてくれとか、そんな恥知らずの奴、いるはずねえだろ。きっとこの人はリドさんの元同僚かなんかだよ」

「まあ、そうだな……。もしそうならどの面下げて言うんだって話だしな」

「オッサン、すまねえな。コイツが失礼なことを言って。俺たち、あれだけ優しいリドさんを排除しようとしたゴルベールって大司教には、心底ムカついてるからよ。つい、な」

「は……、はは…………」


 幸いにも村人たちは目の前の神官をゴルベールだとは認識しなかったらしい。

 これを幸いと言っていいのかは分からないが……。


「ところでオッサン、名前は何て言うんだ?」

「ゴル……」

「ゴル?」

「い、いや、ゴルドンだ……」

「そっか、ゴルドンさんな。リドさんの真価を知ってて連れ戻そうとしてるなら、アンタ中々見る目あるんじゃねえか?」


 否――。

 見る目がなかったからこうなっているのだ。


「それじゃゴルドンさんよ。俺たちはもう少しこの先に行ってワイバーンを狩ってくるからよ」

「ほら、オレが退魔の魔法をかけてやるよ。村まではもう少しだし、これでモンスターにも襲われることはないから安心してくれ。俺たちの村に来る馬車にもかけてあるんだから、今度からは無闇に降りたりするなよな」

「そ、そんな上級の魔法を……。いや、よろしく頼む……」


 ゴルベールが力無く頷くと、村人たちは次の狩りをするべく歩き出す。


「しっかし、この辺もモンスターが増えたよなぁ」

「まったくだ。リドさんから授かったスキルが無ければ、絶対手に負えなかったぜ。ほんと、あの人が俺たちの村に来てくれて良かった」

「ああ。そう考えると、その点だけはゴルベールって奴に感謝しなくちゃいけないかもな」

「でも馬鹿だよなぁ。あれだけの人を自分の組織から追い出しちまうなんて」

「ハハハ! 違えねえ」


 村人たちの会話も遠ざかり、ゴルベールはよろめきながら立ち上がる。

 そして、トボトボとラストア村へ向けて歩き出した。


 胸の内を言いようのない感情が埋め尽くし、それが怒りなのか、悔しさなのかはよく分からない。


 ただ一言、惨めだった。


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