第七十六話 毒猫と呼ばれた女(5)
「っ……! それがお前の本当の得物か、マータ!」
「……これだけじゃないけどね」
魔剣の刃を、なんと手鉤は受け止めて見せた。流石に驚いてしまう。
魔剣は、聖剣を除けばこの世界でも最強に位置する剣である。それを受けきるなど、いったいどんな素材で出来ているのか。
(……うっわ、やばいミスリル製だわこの手鉤)
「み、ミスリル?」
ジンメの驚きに、思わずレッドも声を出してしまう。
その台詞に、マータは感心した様子で、
「あら、ミスリルに気付くなんて、あんたも意外と博識ね」
そう言いながら、
『――! レッド、体借りるぞ!』
「うえっ!?」
鍔迫り合いの中マータが振り上げた足を、ジンメが体を動かしてギリギリ回避する。
「あっぶね……ん?」
咄嗟に飛び退いて距離を取ったレッドは、振り上げられたマータのつま先に、光る物を見た。
「――あれも、ミスリル製か?」
『うん。しかも毒塗ってあるわ。とんでもねえなあいつ』
ジンメも怯えたような声を出してしまう。レッドも同感であった。
ミスリルとは希少金属で、強度では最高と言われているが、その分非常に高価である。国単位でもそれほどの数を主有してはいない。コイン一枚程度のサイズで目玉が飛び出るほどの金額になるはずだ。
そんなミスリルを、よりにもよって暗器にしてしまうなど贅沢極まる。よほどの儲けと、必要性がなければそんなことはしないだろう。
そして、その必要性とは誰に対しての物か、考えるまでもない。
「おっそろしい女……」
「――誰のせいよ」
そう言いながら、マータはマントの下に手を入れ、いくつもの球を取り出した。
「――っ!」
レッドに戦慄が走る。あれが何であるか、レッドはよく知っていた。
「くそっ!」
慌てて逃げようとするレッドだったが、そんな暇を彼女は与えない。
何個もの球が投げつけられ、レッドの目の前で爆発する。
「つぅ……!」
反射的に、レッドは左腕に盾を出し、爆発をなんとか受けきった。毒物が混入されている可能性も考え、息も止めておく。
『レッド何してる、鎧着しろっ!』
「――仕方ないっ!」
このままじゃまずいと判断したレッドは、足下の影へ魔剣を突き刺そうとしたが、
「させるか!」
と、また新たに投げられた球が破裂する。
しかし、破裂して生じたのは爆発でも毒物でもなく、閃光だった。
「!? しまっ……!」
その閃光で、刺そうとした影が消滅してしまう。
魔剣による鎧の召喚、いわゆる鎧着は、自身の影に魔剣を突き刺すことで果たされる。
逆に言えば、影が無いと召喚できなくなる。
だから影を消すというのは、誰でも簡単に思いつく対処法ではあった。
影を消すというのが、光源を全部潰すか、あるいは強烈な光源で逆に影を作れなくするという、自らも見えなくなる方法でなければの話だが。
『レッド、体寄越せ!』
「え、うわっ!」
閃光の中、突然体の自由をジンメに取られる。そのままジンメはレッドの体をずらし、左斜めに剣を構えた。
その瞬間、真っ白い世界でガキィンという金属がぶつかり合う激しい音がする。
「な、なにっ!?」
動揺するレッドだが、だんだん閃光が収まって見えるようになってきた。その間にもジンメはレッドの体を強制的に動かして、剣と盾を振り回し激しい音と衝撃を作っていく。
やがて目が見えるようになると、目の前に手鉤が迫ってきた。
「おわぁっ!」
『ちいっ!』
ジンメはレッドの上体を無理矢理逸らすと、その手鉤をなんとか回避する。
『おらぁ!』
と同時に、足で思い切りその手鉤の持ち主本体を蹴飛ばした。
「つっ……!」
蹴られたマータは苦痛の声を漏らしながら、一旦距離を取った。その右目は、なんと閉じたままだ。
「……あの光の中、目瞑ったまま攻撃してきたのか……?」
『僕いなきゃやられてるよ、凄いね彼女』
ジンメの自慢気な台詞も、今回ばかりは否定できない。
戦闘中に目を閉じるなんて、正気の沙汰では無い。音で相手の位置を把握できるとしても、そんな恐ろしいことは可能でもレッドは出来ないだろう。
まさに毒猫、世界屈指の暗殺者の名にふさわしい女だった。
「大した女だよ、ホントに……」
「お褒めの言葉どうも……でも、賞賛は首切ってからにしてもらおうかっ!」
また懐に手を入れると、間髪を入れず何本ものナイフが飛んできた。刀身を黒く塗った、投擲用の細身のナイフだ。
「ちいっ!」
そのナイフ全てを魔剣で弾き飛ばしたが、それは単なる囮だった。
気付けば、マータのその身が目の前まで迫りつつあった。
「しまっ……!」
「死ねぇ!」
そして、手鉤をレッドの胸元へ突き刺そうとする。だがその刹那、
「うらぁっ!」
「ぶっ……!」
死角となっている左目の方から、レッドは蹴りを彼女の顔面に叩きつけた。
流石にこれにはマータも対処できず、思い切り飛ばされてしまう。
「あっぶな……今のは死ぬかと思ったぞホント」
心臓が恐ろしいほど高く鼓動しているレッド。そんなレッドに対してマータは……
「――参ったわね。あたしがあんなの喰らうなんて」
口を切ったらしく、血で染まった唾を吐き捨てながら立ち上がる。
「ま、だからこそあんたに落とし前つけないと気が済まないんだね……レッドぉ!」
そう叫んだその瞬間、マータは右手を突き出す。
すると、その右手が緑色に輝いたと思うと、強烈な風がレッドに襲いかかる。
「ぐわっ……!?」
突如として発生した突風に、レッド顔を覆いつつが何事かと戸惑っていると、
『っ!? レッド、伏せろ!』
「なにっ!?」
ジンメに叫ばれ、慌ててしゃがむ。
その途端、強い風が吹いたと思えば、
レッドがいた場所から後ろ、今は誰も住んでいない民家の壁に大きな切り傷のような亀裂が走った。
「……え?」
唖然とするレッドだったが、ジンメはまたしても絶叫する。
『ボサっとするな、また来るぞ!』
「な、うわぁっ!」
ジンメの言うとおり、見えない刃を伴った風が何度も吹いてレッドを切断しようとする。
そしてその風は、マータが振るう手鉤から吹いているようであった。
「な、なんだあの手鉤っ!?」
レッドは信じられなかった。
マータは、旅の道中で魔術は使えないと発言していた。それも嘘である可能性は勿論あるものの、少なくとも幾度もピンチになった際何らかの魔術も使っていなかったし、魔術に関しては嘘は無いと思っていた。
ましてや、あれは明らかに風の魔術、ウインドカッターである。しかもあんな強力な魔術が使えるなんて、専門の魔術師でも無い限りあり得ない話だ。
であれば、あの手鉤が何らかの魔道具と考えるのが自然だった。
だが、ジンメはレッドの推測を否定する。
『手鉤じゃない、あの右手の方だ!』
「右手って、あれは――!?」
そこでレッドは、大事なことを思い出していた。
あの日、マータたち勇者パーティと王国の連中に裏切られた際、激怒したレッドがマータを傷つけたのは、何も左目と体だけではなかった。
こちらへ破裂球を投げつけようとした彼女の右手を、黒き鎧の強すぎる力で握り潰していたのだ。
あんなことをされて、右手が無事であるはずがない。骨ごと砕いた感触を確かに覚えている。
であれば、あの右手は普通の右手でないということだ。
「――あら、やっと思い出したかしら?」
そこで、レッドの反応に気付いたマータが、猟奇的な微笑みをしつつ答える。
「あたしの本物の右手は、あんたに壊されて切断させられてね。この右手は、高い金出して作らせた特注品よ。魔石の力を使って、風の魔術を発動させることが出来る……こんな風に、ねっ!!」
そしてまた、風の兇刃を放つ。とんでもない規模の暴風が襲いかかり、レッドも受けきるのが精一杯だった。
「おのれ……、っ!?」
風の刃を止めた途端、レッドは驚愕する。
なんと、マータの姿が消えていた。
困惑し、辺りを見回すレッドに、
『……! 後ろだっ!』
「んなっ……!」
反射的に振り返ると、いつの間にか後方を取っていたマータがその爪を今まさに突き立てようとしていた。
「……遅い」
マータの言葉通り、身を翻そうとするも間に合わない。手鉤を喉元に刺されようとした、が、
その直前に、青い光が視界をよぎり、突如大量の水が二人の間で迸った。
「おわあぁっ!」
「くっ……!」
レッドもマータも、同時に流されてしまう。水なんて無い場所で洪水に飲まれた気分だった。
「ぶへっ、ぐへっ……! これって、まさか……!」
レッドは、かつて全く同じ経験をしたことがあった。
あれは巡礼船でアレンと戦闘になった際、港で新勇者パーティの奴らと激突した際、いきなり現れた青い球が大量の水を流してきて、それでなんとか奴らから逃げられたのだ。
そしてその青い球を作った人物を、レッドは既に知っていた。
「っ……! またあんたか、邪魔しやがって!」
マータもその人物を知っているようで、怒気を露わにして叫んだ。
裏路地の奥から、三角帽とローブに身を包み、杖を手にした少女が現れる。
「――マータ、レッドはやらせない」
その少女、ラヴォワはマータへの敵意を向けながら、二人の前へ現れた。
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