妖刀が哭き鬼は吼え

 それはちゃん付け・・・・・も納得の、前髪ぱっつんボブが似合う華奢な美少女だった。

 ただし肌は病的に青白く、黒い瞳は虚ろで月のない夜空のよう。


「彼女の手刀──妖刀ムラマサは、今日も血に飢えて疼くのさ……!」


 千鳥かいせつの声に、どよめきがあがる。

 嫌な感じの正体を探ろうと目を凝らせば、真音ちゃんの右腕には、黒いモヤが蛇のように巻き付いて見えた。

 それが腕を這いまわり、絞めあげるたび彼女は苦悶の表情を浮かべるのだ。


 出血も収まり落ち着いた様子の早川の顔から手のひらを離して、立ち上がる。


 私には前世ゆめの聖女さまのような、傷を完治させる「奇蹟キセキ」は起こせない。

 でも、私が手のひらに想いを込めることで、痛みや出血を和らげたり、喘息の発作を治めたり、お年寄りが杖なしで歩けるようになったり。


 そういうことは何度かあった。

 だから気のせいだとしても、やっておくに越したことはない。


「くそっ、倒れた早川にわざわざトドメを? まさに極悪非道!」


 千鳥が風評被害を拡大するけど、今は目の前に集中しなくては。

 私は、ゆらゆらと陽炎かげろうのように歩み寄る真音ちゃんと対峙する。


「あなたに怨みはないけれど、わたしのカタナが疼くから……」


 愛らしい顔を苦悶に歪めながら、振り上げた彼女の右腕のモヤに、私は対角から右の手を伸ばす。


「──速い!?」


 何かに驚いて虚ろな目を見開く彼女だけど、それどころじゃない。

 このモヤは私にしか見えなくて、歩けなくなったお年寄りの脚だとか、腕を上げられないおじさんの肩だとかにまとわりついている「悪いモノ」。

 放っておくとどんどん悪化する。

 そして彼女のモヤはかなりくろい。一刻も早く、払わねば。


 ──のたうつモヤと腕のすき間に平手をすべり込ませ、それを真横に振り抜き手刀で斬り払う!


「……あ……うで……」


 モヤの霧散した右腕を左腕で抱きしめ、彼女はへなへなと座り込んだ。


「腕が、軽い……痛くない、あったかい……こんなの、生まれてはじめて……」


 涙をこぼす彼女の両目には、きらきらと星のような光が灯っていた。


「そんな……妖刀ムラマサを手刀で折るなんて……そっちは聖剣エクスカリバーだとでも言うの!?」


 いや折ってないし言ってないし!

 さすがに弁明しようと、振り向いた私の眼前には──


面妖おかしな技を使うようだが、あたしには通用しない! 叩き潰すッ!」


 ──いつの間に距離を詰めたのか、紅蓮の威圧感 オーラ をまとい、総番長・伊吹が仁王立ちしていた。


「そうだ、みんなの怒りを拳にともせ! 四天王の仇をとってくれ炎獄鬼神 イフリート !!」


 千鳥の最高潮のあおりに、地鳴りのような歓声が沸き起こった。

 それは、前後で道を塞ぐ皆さんだけではない。

 気付けば校舎の窓という窓すべてから身を乗り出した生徒たちが、一斉に拳を突きあげ、伊吹を鼓舞している。


 ──あと、全校生徒ほぼほぼ不良ヤンキーに見えるのは気のせいだろうか。 


 先代理事長の「堅気ふつうの生徒に手出しすることはない」という言葉が浮かぶ。

 ふつうの生徒、そもそもいないんじゃ……


「あたしには背負うものがある!」


 彼女は説得力のありすぎる言葉と共に、拳を振り上げる。

 これは、止めようがない。もう運命を受け入れるしかない。

 前世ゆめの聖女さまも、時に「試練」と称して全てを受け入れていた。


 それに習って両手を胸の前に組み、目を閉じ拳が届くのを待ち受ける。


「出るぞ! 必殺の爆炎バニング乱奮ランブル!!」


 千鳥の実況が鳴り響いて、ごうと風切る音が頬に迫り、そして──


 ……? ……あれ? ぜんぜん、痛くない?


 ゆっくりと目を開く。

 今まさに私の全身を嵐のように襲っている拳打も蹴撃も、その速度や気迫からは信じられないことに、ちょっと小突かれた程度の感触でしかない。


 もしや、手加減してくれている?

 私が悪姫ナントカじゃないの生徒だと察して、場を収めようとしてくれている、とか?


「ハァ……ハァ……くそッ、どうなってる! 大木たいぼくでも殴ってるようだ!」


 乱打を止め、肩で息をする彼女。額には汗の粒が浮かんでいる。

 迫真の演技だけど、これはどういうシナリオなのだろう。


「ううおおオオオォォッ!」


 続けて彼女は絶叫と共に、全身全霊を込めた最後の一撃──にしか見えない拳を、正面から私の顔面に叩き込んできた。

 反射的に、胸の前で組んでいた両の手のひらで顔をかばう。

 その両手に包まれるように、ふわりと受け止められる最後の拳。


 手のひらのまわり、白く光る羽毛はねが舞って見えたのは錯覚だろうか。

 拳圧で起きた風だけが、私の頬を撫でた。


「──わかった。こんな力の差に気付けないほど、あたしもニブくない」


 静かに拳を引いた彼女は、そのまま私に頭を下げていた。


「あんたの勝ちだ。五百鬼 ウチ も、悪姫連合の傘下に入らせてもらう」


 地面に向かって絞り出すように続ける。


「一度でも歯向かったら全滅させる、って連合あんたらの方針は知ってる。だが頼む、あたしは何でもするから、こいつらには手を出さないでくれ」


 話に乗るべきだろうか。正解がわからない私は、無言で彼女の後頭部を見つめた。


「ちょっと待て。そいつはきっと人違いだ」

「……わたしの腕、治してくれたの……」


 二人並んで助け船を出してくれたのは、私のハンカチを手にした早川と、右腕を抱きしめたままの真音ちゃんだ。


「そ、そうなんです。たぶん、誤解があって」


 彼女たちの言葉に続いて、ようやく私は口にできた。

 そう、どうせ誤魔化したりできないのだから、正直に話す以外の選択肢なんかない。


「私、今日から五百鬼 こちら でお世話になる、一年生の藍崎アイノといいます」


 負けじと深く頭を下げて、真剣に伝えたその言葉は──


「──なんだ、アレ!?」


 沈黙していた千鳥の、緊迫感ある声にさえぎられた。

 彼女の視線は伊吹や私を通り越し、校門の方に向けられている。


 そのとき、私は気付いた。

 真音ちゃんの腕のモヤを払ったのに、この場の「すごく嫌な感じ」が消えず、むしろ強まっていたこと。


 ──振り向くと。そこには地獄があった。


 道を塞ぐ不良ヤンキーの皆さんに「暴力」をまき散らし、黒い人影が悠然と歩いてくる。

 数人から同時に殴られても平然として、両手でそれぞれ相手の髪をつかみ、地面に引きたおす。


「もっと足掻あが藻掻もがけ、腑抜ふぬけども!」


 たおれた相手の背に腹に、罵声ことばと蹴りで何度も追い打ち。

 最後に顔を踏みにじり、そのまま踏みこえ歩を進めるのだ。


「ひどい……」


 思わず声が漏れる。

 その間にも、そいつは手当たり次第に蹂躙じゅうりんしていく。


「……なるほど。アレが本物の、最凶最悪で極悪非道な悪姫ラセツか」


 私の真横を通り抜け、納得した様子で伊吹が呟く。


「おまえらは退け! ヤツはあたしと──」


 彼女は歩を進めながら、周囲の不良ヤンキーたちに告げた。


「──四天王が相手する!」


 一歩後ろに並ぶ早川と真音ちゃん。

 遅れて、復活していた安堂と小野田も、肩を支え合いながら追う。


「お前も早く行け、初日なら手続きとかあんだろ? 引き止めて、悪かったな」


 伊吹は背中ごし、見送る私に優しく声を掛けてくれた。


「──藍崎アイノか。いい名前だ、憶えておくよ」


 その赤い特攻服の背には、金色に刺繍された「愛」の一文字が輝いている。

 思わずキュンとする胸を、ブラウスぎゅっと掴んでしずめる私。


「行くぞ四天王おまえら!」

「はいよ」「おう!」「リョウカイ」「……うん……」


 真音ちゃんだけちらりと振り向き、ぎこちなく微笑んで「またね」と右手を振ってくれる。


 私は足元の通学カバンを拾い上げ、彼女たちと逆方向に歩き出した。

 こんなの女の子は、ケンカの邪魔にしかならないだろうから。


 背後で怒号が響くたび、引かれる後ろ髪 ポニテ を振り切って歩く。

 途中、涙目で伊吹たちの方に駆けていく千鳥とすれ違った。


 ……数歩先、足が止まる。耐え切れず振り向いてしまう。


 並木道には倒れた不良ヤンキーばかりで、ラセツも四天王も伊吹もいない。

 焦って見回すと、校舎の窓の生徒たちの視線は並木の向こう、校庭グラウンドの方を見ている。


 ──私は全力で、視線の先に駆け出していた。

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