第82話 聖女の再訪

「むすー」


「ふふ💓」


 朝。屋敷の居間で朝食を取ろうとすると、不機嫌そうな顔をしたシルフィアが既に座っていた。


 そんな彼女の真向いに座ると、僕の隣に機嫌の良さそうなローゼンシアが陣取って座り、僕の腕に抱きついてくる。


 その仲睦まじい様子を見て、さらにシルフィアの表情が不機嫌になる。昨夜はあんなに愛し合ったのに。いや、そのせいか。


「…一晩で仲が良くなったみたいだね?」


「…うん💓」


「うん、じゃないわよ!」


 バンッと激しくテーブルを叩く音が鳴り響く。


 どうやらシルフィアはめちゃくちゃ怒っているようだった。


 まあそうだよな。シルフィアを抱いたその日のうちに別の女を抱きに行ったのだ。怒って当然である。


 シルフィアとローゼンシアは仲が良かっただけに、これがキッカケで仲に亀裂が入らなければ良いのだが…


 とにかく今は宥めないとな…


「すまんシルフィア。こういう感じになったから、受け入れてくれ」


「ねえリューク。もうちょっとマシな言い訳なかったの?」


 それは僕も思う。でも上手い言い回しが思い浮かばなかったので堂々と宣言することにした。


「…昨日まではずっと殺し屋みたいな目をしてたのに、一体どういう心変わりかしら?」


「え?そんな目だった?やだな…ふふ💓好きな人ができると、女の子は変わるんだよ💓」


「チッ。あんた、そんなキャラだったかしら?」


 ふむ。確かに昨夜よりなんかローゼンシアのキャラが変わった、というか何か憑き物が落ちたような顔をしている。


 まあ暗い顔をされるよりかは良いか。


「とにかく、そんなべたべたしてたらリュークが食べれないでしょ?さっさと離れなさい」


「無理ですよ。だって…愛し合ってるから💓」


「うっぜ」


 と嫌な顔をするシルフィア。だがシルフィアの言い分ももっともだ。こんなふうに腕を絡み取られると食べれない。


「ローゼンシア。君の気持ちは嬉しいが、寝起きで喉が乾いたからな。水が飲みたいから…」


 手を離して欲しい、そう言おうとしたのだが、ローゼンシアは空いてる方の手でコップを掴んで水を口に含む。そしてそのまま僕にキスしてきた。


「な!」


「ん!…ん、ん、ごくごく…」


 ローゼンシアの舌が僕の口の中に割り込むようにして口を開かせ、彼女は水を呑ませてくる。


「…ん💓…ん💓…ぷは…はあはあ…美味しかった?リューク?」


 喉が乾いていたというのもあってか、僕はローゼンシアからの口移しで流れてきた水を呑んだ。その様子をシルフィアは口をあんぐり開けて見守る。


 もちろん、相手がローゼンシアという美少女からの口移しなので呑むことに問題はまったくない。ただ、シルフィアの不機嫌度がどんどん上昇していて、そっちの方が問題だった。


「ふふ💓…ねえリューク…私も喉乾いちゃいました。一人だと呑めないです。呑ませてくれます?」


「…いや、口移しする前に飲めばよかったでしょ?」


「ただの水に興味ありません。リュークの口移しが良いです」


「チッ。変態が……リューク、私も喉乾いちゃった」


 シルフィアが対抗し始めた。っていうかその理屈だと君も変態になるぞ?


 これ以上はなんだかマズイので、流石にそろそろ切り替えてもらおう。


 僕はこの不毛な戦いを終わらせるべく、口を開く。


「…ローゼンシア。それとシルフィア…そろそろお腹が空いたから食べさせてくれないかな?」


「うん。いいですよ💓」


「しょ、しょうがないわね。ほら、リューク、あーんして」


 あれ?止めようと思ったのだが、むしろ受け入れてしまった。


 シルフィアは席を立つとローゼンシアとは反対側に座り、パンにハムや野菜を挟んで僕の口へと運んでくれる。僕はそれを口を開けて食べるだけだった。


「はいリューク。お水だよ…ん💓」


 喉が乾けば、ローゼンシアから口移しで水を飲ませてもらう。


 その間、僕の両手が空いていたので、彼女たちの腰に手を回して抱き寄せる。


「あ、こらリューク…そこダメ…あん💓」


「リューク、したくなったの?…ん💓」


「…ごくん。二人とも…仲良くしてくれないか?頼む」


「ん💓…もうしょうがないわね。ローゼンシア…いいよ、許してあげる。その代わりあとで…やん💓」


「あん💓もう…また欲しくなっちゃう…うん。シルフィア、仲良くしましょ?ただあとで…んんッ💓」


 赤く長い髪をしている美少女のシルフィア。


 紫色のポニーテールがよく似合う凛とした美少女のローゼンシア。


 まさに両手に華である。


 もうすぐ魔族との戦いが再び始まる。その事実に僕の中にある何か、戦うことに対する高揚感のようなものが溢れているのかもしれない。


 …僕はいつからこんなにも戦いを待ち望む人間になったんだろうな?いや、男ならこういう気持ちは誰だって持ってるのかもしれないな。


 そう。生物としての本能が疼き、気分が滾っているのだ。再び魔族との戦争が始まるという事実に、僕の男としての闘争心が刺激され、そのせいで女を強く求めてしまう。


 気が付けば彼女たちの服の下に手を入れて直接その肌を触っていた。そんなことをされているのにシルフィアもローゼンシアもまったく抵抗せずに受け入れてる。


 柔らかで、しっとりとしていて、すべすべしている美少女たちの肌の感触にますます興奮が昂る。


「あ💓…ダメだって」


「ん💓…したいの?」


 気が付けば食事は完全に中断している。二人とも頬を赤らめ、目を蕩けさせながら僕を熱っぽく見つめている。


 出撃までまだ時間はある。だったら抱いても…


「ご主人様。お客様がいらっしゃっています」


「…そうか。今準備する」


 そうだった。ここは居間だった。当然、仕事中のメイドや執事だっている。はは、完全に人目があることを忘れていた。


 メイドの冷ややかな目と冷静な言葉に、パっとローゼンシアとシルフィアが離れて、着崩れた服を元に戻す。


「ふぅ、ふぅ、危なかった…私、なにかおかしいかも」


「どうしよう?リュークが…リューク様がカッコ良く見えて私、欲しいです💓」


 僕はコップから水を飲むと、すぐに着替えて来客に備える。


「えっと、誰かな?」


「聖女様です」


 む?教国関係かな?


 メイドに誰が来たのかを聞けば、すぐに答えが返ってくる。


 聖女と直接会うのは娼館街の時以来かな?


 ただ前回の屋敷での訪問時と違って聖女の今の肩書は枢機卿代理。言ってみれば教国のトップである。


 一体何の話し合いだろうか?というかトップなのだからカルゴアの王と話せばいいじゃないか。


 普通、国のトップが直接その国の貴族に会いに来るなんてあり得ない。今が非常時だからこそできる芸当である。


 まあトップといっても枢機卿代理がどの程度の地位なのかは判断がつかないのだが。


 着替えを済ませて準備を終わらせると、僕は聖女様がいる客間へと向かう。


 扉をノックしてから入室する。そこには、窓際に立って外の様子を見ている聖女ルイがいた。


 水色の長い髪。濡れたような長い睫毛に、聖女を思わせる柔和な顔立ちの女性。白く清潔な法服を着ている彼女は姿勢よく立っている。


 一見すると非常に優しそうな印象のある、清楚でおっとりとした美女の聖女様。もっとも、見た目ほど彼女は優しい女性ではなさそうだと最近はうすうすながら感じていたりする。


 彼女は扉の音に反応するとこちらを振り返る。


「お久しぶりですね、リューク卿…それとドウランの姫君ですか?」


 聖女ルイは首を傾げつつも、驚く様子もなく答える…うん?ドウランの姫って…なぜローゼンシアがここに?


 背後を見れば、ぴったりとくっつくように、そしてさも当然といわんばかりの態度でローゼンシアがいた。彼女は言う。


「私はもう姫ではありません。ただのリューク様の女にして従者ですので。従者がいついかなる時も主についていくのは当然では?」


 と、当たり前のことのように澄ました顔で言うローゼンシア。


 いや、今までそんな従順な態度じゃなかったじゃないか。


 ふむ。すごい変わりっぷりだ。ここまで恭順になるものなのか?


「姫ではない、ですか?」


 優しい聖女様の顔が一瞬強張る。どうやらローゼンシアの言葉に引っかかりを覚えたらしい。


「それはつまり、国の奪還を諦めるということでしょうか?」


「うん?ええ…他の連中は知りませんが、私はあの国に興味はないので、どうなろうと知ったことではないです」


「…それは随分身勝手な話ですね」


 おや、なんだか話の雲行き怪しい。せっかくシルフィアとローゼンシアを仲直りさせられたのに、なんでこっちでもケンカが発生するんだ?


「あの、とりあえず座りましょうか?」


 とにかく、この緊迫した空気を和ませたくて着席を勧めてみた。


「…あなたは王族ですよね?国民のために戦おうとは思わないのですか?」


 ちょ、聖女様。なぜ挑発を?


「思いません。私、この国にきて確信しました。あの国は異常だったと。ただ不幸を作るだけの無能な国家です。はっきり言って、滅んだ方が良いです」


「…ですが、王族は国民を守ることを理由に民から税金を徴収しているのですよね?さんざん美味しい思いをしておいて、王族としての責務を放棄するのですか?」


「私は美味しい思いをしたことはないですね。って個人の感情は抜きにして、王族の務めというのでしたら、それこそ今回の魔族侵攻で祖国は無能を晒しました。民を守る能力もない無能な王族ならば、ここで国を解体してより有能な統治者に任せることも王族の責務ではないですか?」


「それは…詭弁です」


 と反論をするも、その声は弱い。なんとなくだが、聖女様が押されている気がした。


「そうですか?よく考えてみてください。聖女様も既に気づいてるはずです。魔族は斃せない相手ではなかった。負けたのは、支配者が無能だったから、ですよね?」


「…」


「たまたま統治者の家系に生まれた。王なんて本当はその程度の存在なのです。別にそれが悪い事とは思いませんよ?平和な時代なら問題はなかった。でも今は違いますよね?」


 ローゼンシアは淡々と語る。しかしその言葉には確信めいた力強さがあった。きっと彼女は、激怒していたのだろう。


 復讐を醸成するドウラン国の仕組みを。それを一瞬でも正しいと思った自分の浅はかさを。そして、肉親ですら犠牲を強いる仕組みを作っておきながら、最後には何も守れずに敗北したその脆弱さに。


 ローゼンシアは聖女になにを言われようともまったく揺るぎもしない。それは彼女が自分の信念に確信を持っているからなのだろう。


 だが、それは聖女も同じだったのかもしれない。彼女は難しい表情を浮かべつつも反論する。


「…では何故あなたはここにいるのです?」


 聖女の表情は硬い。彼女はまっすぐに僕を見ている。…これ、僕に飛び火しそうだな。


「リューク卿に取り入って祖国を取り戻すためではないのですか?」


「違いますよ?私がここにいるのはですね…リュークの女になったから、ですよ?」


「…はい?」


 今まで表情の硬かった聖女の顔がなんだか変な形に歪む。


「ちょうど良い機会なのではっきり言いましょう。私はもうあの国の姫ではありません。昨夜をもって、リュークの女になりました💓…だよね?」


「ん?ああ、そうだな」


 ローゼンシアはなんだか熱っぽい女の顔を浮かべると、聖女の前だというのに堂々と僕に抱きついてくる。


 おいおい勘弁してくれよ。聖女の前で発情する気か?


「え、あの、それは、あの、リューク卿?これはどういうことで!」


 いや、そんな血相を変えて言われても困るのだが。


「えっと、あの、まあ見ての通りです」


「で、ですがリューク卿にはドルド公国の公女の婚約者がいると…」


 シルフィアのことかな?なんでそんなこと知ってるの?いや、国内では有名な話か。


「おや、御存知でしたか。もちろん、シルフィアのことは愛してますよ。ただローゼンシアのことも愛しているのです。彼女もまた僕の大切な女性の一人ですよ」


「あん💓もう…ふふ」


 僕が手を伸ばしてローゼンシアを抱き寄せると、彼女は嬉しそうにはにかむ。一方で聖女は少しだけ引いた。


「ええ…あの…リューク卿はそういう方だったのですね」


 おや、なんだか幻滅されてしまったかな。


 かといって今更訂正するわけにもいかない。


 そう、僕は誓ったのだ。このエヌティーアールの加護と付き合うと決めたあの日より、好色な男になってハーレムを築くって決めたんだ!


 この信念は絶対に曲げない。ネトラレイスキー家の名にかけて!


「…ランバールの女王が一部ですが国を取り戻すことができたと窺っています。その背景には従者のメイドを差し出したから、との噂もあったのですが…」


 え?そんな噂まであるの?なんだか僕が好色って噂がどんどん広まってないか?


 いや…うん。そうだよね。フィリエルのこと、すごくいっぱい抱いたもんね。バレて当然か。ただ誤解もある。ちゃんと修正しないと…


「聖女様。それは違いますよ。誤解です」


「え?あ、そ、そうですよね。違いますよね!」


 狼狽する聖女様。しかし僕が否定をすると、ホッとなにか安堵するような顔をする。


「僕はフィリエルもまた愛しているのです。ランバールの奪還を手助けしたのは、愛する彼女の故郷を取り戻したいという善意からです」


「………、………、……はい?」


 あれ?聖女様の顔がおかしくなる。なんだか頬がぴくぴく痙攣しているような…怒ってるのかな?


「ぜ、善意、なのですか?」


「その通りです」


「つまり裏はないと?」


「ないですね」


「…女性の体を対価に国の奪還を手助けしたわけではないと?」


「違います。僕はそのような卑劣な真似は一切しません。僕はただ、純粋に、好きな女性を助けるために動いたのです。それ以外はありません」


 聖女様はなんだか呆気に取られているような顔をした。どうやら怒りの感情は消え去ったようだ。よかった。


 確かにフィリエルに近づいた理由―それは…キッカケは加護ではある。しかし僕は強要などしていない。確かに誘導したかな?みたいな節はあったが、最後には本人の意思を尊重してもらった。


 実際、ルワナには強要していないし、彼女にいたっては寝取られを拒否している。そして僕はそれを受け入れた。


 もしもフィリエルが再び拒否するようなことがあれば、もちろん僕はそれを受け入れるつもりだ。そしてそれはシルフィアも同様だ。


 誰にも強要はさせない。無理やりなんてもってのほかである。


 確かにつらく困難な道かもしれない。しかし、僕はやると決めた以上はやる男だ。


「…そ、そんなことでいいのですか?」


 と聖女様は複雑な顔をする。


「いろんな国が駆け引きをしているのですよ?人類の生存が脅かされているのに、みんながいかに領土を多く奪い取るかの算段をしているこのご時世で、そんな理由で動いていたのですか!?」


 なんでそんな叱りつけるような顔をされないといけないのだろう?いいじゃん、何を理由に僕が動こうと、そんなの僕の自由ではないか。


「聖女様」


「な、なんです?」


 ただ声をかけただけなのに、なぜそんなに狼狽える。


「先日の娼館街の娘のことですが…」


「え?ああ、そういえばそんなこともありましたね」


「彼女ならちゃんと保護しています。まだ部屋で寝ていますが、あとで見てもらって良いですよ」


「…そう、なのです?」


 聖女の肩の力が抜けた気がする。


「聖女様からすれば僕は…そうですね。好色で、軽薄で、すぐに色々な女性に手を出す卑劣な男に見えるかもしれないですね」


「いえ、そこまでは…そうですね」


 あれ、否定しかけて、結局否定しなかった。ってことはそう思ってたんだ。まあいいけど。


「ですが僕は愛する女性のためなら、なんとしてでも成し遂げる男です」


「…ただのメイドのためでもですか?」


「もちろんです」


「…ただの浮浪者の娘でも、ですか?」


「もちろんですとも」


 なにしろ彼女のために金貨5000枚も使ったぐらいだからな。…あれ、なんか計算が違うような。うん、どうでもいいか。


「…好きになったら…私みたいな聖女でも助けてくれますか?」


「もちろんですとも…うん?」


 あれ?僕の愛する女性の中に聖女なんていたっけ?


「どうしたら、なって…もらえます?」


「なにがです?」


 ――どうすれば私のこと、好きになってもらえますか?と聖女はやけに真剣な顔で言った。


 ふむ。聖女に逆ナンされたようだ。

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