第36話 聖女

 カルゴアの北西部に隣接するランバール領。王都より出立した人類軍の総数は約3000。それにカルゴア軍3000を加えた6000の兵がランバール奪還のために動いている。


 そのうち、500の軍が前哨部隊として本部隊より先行してランバール領へ。僕らが所属する第六騎士団のいる遊撃部隊は、この前哨部隊に配置。カルゴアよりランバールに向けて出発してだいたい5日ほどでランバールの王都へ到着していた。


 これが普通の戦争であれば、到着するまでにもっと時間がかかったことだろう。


 しかし魔族は人類をとことん舐めているらしく、ランバールからカルゴアに至るまでの砦に人員を配置していなかった。そのため、ほとんど素通りでランバール領を通過。人類軍の本部隊が到着するまでの間にあらゆる工作を施すことに成功していた。


 そんな工作の一つが、土魔法と火魔法の応用魔法、『渇水』。


 ランバールの王都の水源を枯渇させるべく、まずは土魔法で王都まで流れる川を堰き止めるためのダムを建設。これよりに山脈からの清流が止まる。


 それに加えて王都の地下水脈を土魔法の応用で堰き止め、水流の方向を転換。本来、王都へ向かうはずだった地下水脈は止まり、行き場を失った地下水はすべて穀倉地帯へと向かうように土魔法で進路を変更する。


 仕上げに、火魔法の応用で本来地下水になる予定だった土層を熱で乾かし、地下水の水源そのものを止めてしまう。


 その結果、王都付近の土はみるみる乾いていき、青々と茂っていた平原は徐々に枯れ始めていく。


 ランバールといえば、かつては農業大国と呼ばれるほど、肥沃な大地に満ちていた土地柄だった。王都付近とはいえ、それをこんな形で潰すことになるとは…


「なかなかえげつない魔法ですね、これ」


 青空の下。馬に乗って平原と、その奥にあるランバールの王都を囲む壁を見つめながら、僕はルクス王子、いやルクス団長に向かって言う。


「まったくだ。この魔法を使用すると、その土地は今後10年は草木が育たない砂漠と化すからな。せっかく戦争を吹っ掛けても土地が死んでしまっては意味がない。だからこの魔法を使用するのは、まさに最悪の時だけだな」


 その最悪が、まさに今この時なのだろう。


「お?王都より人が出てきたぞ。あれは…奴隷軍か。ったく、魔族どもは人使いの荒い奴らだな」


 ルクスの言う通り、ランバール王都の門が開き、人間の兵…奴隷兵たちが一斉に飛び出してくる。ほとんど半裸に近い状態で、ボロい槍やら剣やら、そして水を汲んで運ぶための桶や樽などを持ってこちらに殺到してくる。


 虚ろな目、近くに魔族なんていないのに従順に命令を遂行するべく全力で走ってくるその恭順さ…おそらく精神支配を受けている完全なる奴隷兵だろう。


「弩部隊、構え…撃て!」


 そんな奴隷兵を迎え撃つべく、指揮官の号令に合わせて弩部隊が斉射が始まる。ほとんど半裸状態でこれといって防具を装備していない奴隷兵たちに次々とボルトが命中し、ドサドサと地面に崩れ落ちていった。


 渇水魔法を使用して王都の水源を絶って以降、このようなやり取りが続いていた。


 罠を警戒しているのか、それとも水汲みなんて仕事は人間がやれば良いと思っているのか、魔族が軍を出してくる気配は今のところない。


 それとも、まだ人類軍が来ていることに気付いていないのか?


「その可能性は、あるかもな」


 と目を細めてランバールの王都を見やるルクス団長。


「王都よりもっとも近い穀倉地帯…といってもかなり距離が離れているからな。魔族は人間を舐めている。そんな人間のためにわざわざ自分の足で確認などしないだろうよ」


 渇水魔法の対象は、今回はあえて王都だけに絞っている。そうすることで王都内の水を失った魔族を外の水源へ誘導。さらに近くの水源はまだ生きているという情報をランバール王都へと流すことで、その水源に向かってくる魔族軍に罠をしかけて迎え撃つ、というのが今のところの人類軍の作戦であったりする。


 現在、この場所には500名以上の兵士がいる。それは確かに人の群れと呼ぶには多い数字かもしれない。しかしランバール王都とこの穀倉地帯までは距離がある。遠目に見た限りでは、人がいるとは気付き難いかもしれないな。


 通常、籠城戦ともなると敵の倍の戦力が必要などと言われる。しかし、今回みたいな兵糧攻めをするとなると、そこまで兵力を要せずとも攻めることが可能だ。問題は…


 せっかく人類が魔族に勝利しても、ランバールの王都が砂漠と化したら、ナルシッサは泣くかもしれないな。


 まいったな。フィリエルにはなんて説明しよう?


「この作戦は…ナルシッサ…ランバールの王は知っているのですか?」


「うん?ああ、あの娘のことか。もちろん知ってるぞ」


 おや?意外だな。ナルシッサ、この作戦を知ってたのか?


「当然だろう?発見しやすい川と違って地下水脈などどこに水源があるかわからないからな。正直、王があんな年端もいかない娘だと知った時、落胆したものだが、なるほど、なかなか有益な情報を持っているな」


 それって、つまり…


「リューク…いくらかつてそこに住んでいた王族といえど、既に軍隊も保有していない、力のない王がどうやって他者を説得する?土産でもない限り、融通はきかせられないぞ?」


「それは…」


 そう、なのだろう。


 ナルシッサには力がない。それは文字通り、軍隊などの武力を有していないということだ。すでに条約を結んでいるカルゴアはともかく、人類軍がナルシッサのために協力してやる理由はない。しかし、利益があるなら話は別なのだろう。


「人類軍に対する発言権を買う。その対価は、ランバールの水源などのあらゆる情報だ」


 そう言ってルクスは続ける。


「水源だけじゃないぞ?玉座に続く隠し通路から武器や食料の保管庫、外敵にとって攻めやすい場所とそうでない場所まで、すべての情報を渡してもらった」


 ――おかげで侵攻がスムーズだったろ?と僕の方を見もせずに続けるルクス。


 確かに、やけに進軍のペースが早いな、とは思った。なるほど、現地の王がスパイとして情報を流しているのだ。当然だろう。


「ナルシッサは確かに王ですが、まだ子供です。よくそこまで知っていましたね?」


「ふむ。それは俺にとっても予想外だったな。ただ前の王が娘を即位させるにあたってかなり教育したらしい。…もしかしたらこうなる事態を想定していたのかもな」


 それは、魔族が大陸南部に侵攻し、ランバールを落とすこと、なのだろう。


 慧眼といえば慧眼のある前王だ。ただ、自分たちの国を潰すために娘に国の情報を教えるというのは、なかなか皮肉ではある。


「この魔法で王都の土地は死ぬ。我々の目的は食料だ。だから穀倉地帯さえ無事なら、別に王都の土地が死んでも構わない。死んだ土地でよければいくらでも返してやろう。リューク、これが力のない王に王都が戻ってくる背景だよ」


「…すべて、ナルシッサは納得してるんですよね?」


「ああ、もちろん。条約を結ぶ時、作戦のことも、土地がどうなるかも、すべて説明した。その上で、あの娘は了承した」


 …そう、なのか。


 ナルシッサは、知っているんだな。たとえ国が返ってきたとしても、そこは以前と同じ土地ではないことを。


 知った上で、それでも取り戻したい、と覚悟を決めたのだろう。


 屋敷ではずっと笑顔だったんだけどなあ。あの笑顔の裏でそんな決断をしていたとは、まったく気付かなかった。


 そんなことを考えていると、再び王都の門扉が開き、奴隷兵たちがこちらに向かって突っ込んできた。


 戦力の逐次投入を続ける魔族軍。そんな少数の奴隷兵を送ったところで、弩部隊が放つボルトが刺さって奴隷兵が倒れるだけだろうに。


「弩部隊、構え…撃て!」


 ズドドド…バタバタバタ…部隊よりボルトが斉射。こちらに向かって走ってくる奴隷兵にボルトが刺さり、次々と地面に崩れ落ちていく奴隷兵たち。


 魔族には指揮官がいないのだろうか?なんというか、すごく無駄なことばかりしている。


「うーん、暇ですね」


 と愚痴を零すのは、僕の隣で後ろで乗馬しているローゼンシア。


 一国の姫であるにも関わらず、当たり前のように馬を乗りこなすあたり、やはりただのお姫様というわけではなさそうだった。


「リューク様、ちょっと偵察に行っても良いですか?」


「…ダメ」


「…ふぅ。そうですか…あ、そういえば聖女様が来てますよ?」


 そういう大事なことをなぜ先に言わぬ?


「あの、リューク様、よろしいですか?」


 その可憐な女性の声につられて下を見れば、乗馬している僕を見上げる形で一人の女性、聖マツリガント教国の聖女の一人、ルイ・ゼルエルその人がいた。


「これは聖女様。失礼、よっと…どうかされましたか?」


 僕は馬から地面に降り立って、聖女様と向かい合う。


 腰まで届く水色の長い髪をしている、澄んだ瞳をしている女性だった。


 美人といえば美人だが、ローゼンシアのような強さを感じさせる美女とは違い、聖女様は柔和な雰囲気のある、優しそうな印象のある女性であった。


「お忙しい中、申し訳ありません。実は一つ、聞きたいことがありまして」


 実際はまったく忙しくはないのだが、そんな改まって申し訳なさそうな顔をされると、なんだかこちらまで恐縮してしまう。


「先ほどから奴隷兵の方々がこちらに攻めてきているのですが、彼らを救助することはできないのでしょうか?」


「救助、ですか?」


「ええ、もちろん、彼らが精神支配を受けていることは知っています。ただ少人数で襲ってくるのであれば、それほど脅威はないですよね?それでしたら彼らを動けないように拘束して、その上で安全な場所に隔離するなどできないでしょうか?」


「それは…」


 要するに、奴隷兵を殺すのではなく、捕虜として生かすということだろう。


 確かに彼らは魔族ではなく人間だ。前回のような圧倒的な戦力で向かってくるような場合ならともかく、少人数であればこちらの犠牲なくして制圧することは可能かもしれない。しかし…


「申し訳ない、聖女様。それはできないです」


「で、でも彼らはただの人です。好きで我々を攻めているわけではありません。精神支配で、魔族に無理やり加担させられているだけなんです。…どうにか彼らのこと、助けてあげられないでしょうか?」


 好きでもないのに無理やり加担させられている、か。


 確かに奴隷兵の境遇を思えば、助けてやりたいとは個人的には思う。しかし…


「僕も、助けられるなら助けたいとは思います」


「で、でしたら…」


「ですが出来ません」


「…どうしてですか?」


「弱いからです」


「…え?」


「聖女様。我々人類はとても弱いです。もしかしたら明日にでも人類という種は滅ぶかもしれません。とても弱く、脆弱で、今いる人類を守るだけで精一杯です。今の人類に、彼らを助ける余力はありません」


「―ッ……もしも、我々にもっと力があったら、彼らのことも助けてくれましたか?」


「当然です。力さえあれば、助けていました」


「…わかりました。出過ぎた真似をしましたね。申し訳ないです」


 そう言うと聖女はペコリと頭を下げて引き返していく。彼女は後ろに控えていたマツリガントの聖騎士たちと共に部隊の背後へと戻っていった。


「さすが聖女様、お優しいですね~」


 と馬上からローゼンシアが声をかけてくる。どうやら聞いていたようだ。


「優しい、大いに結構じゃないか」


「それは私だって優しい人は好きですよ?でも時と場合によるじゃないですか」


「……はあ」


「おや?リューク様、溜息ついてますね?どうかされました?」


「…別に。ただ、聖女様のいうことはわかるし、ローゼンシア、君の言っていることが正しいってこともわかってる。どっちも正しいから判断できない、僕にできるのは溜息をつくだけってことだよ」


「ふふーん、リューク様も実はかなりお優しいですね」


「そう?それはどうも」


 本音を言えば、聖女のいうことは甘いとは思う。しかし、そういう人がいても良いとも思う。


「あれ?あれれ?もしかしてリューク様…あの聖女様のことも狙ってます?」


 なにを言ってるんだろうね、この人?


「まさか、聖女様だよ?君はなにを言ってるんだい?」


「私も一国のお姫様ですけどね、一応。でも今や、リューク様に命令されたら拒否できない体ですし~」


 となんだか文句でもありそうな顔をして言うローゼンシア。


「えっと、なにか怒らせるようなことしたっけ?」


「べっつに~。ただここに来るまでの間、一度もリューク様に抱かれてないなあ、なんて思ったり思わなかったり~」


「え?別に僕、抱くなんて約束してないよ?」


「え?どうしてですか?リューク様、私のこと、お嫌いですか?」


「いや、嫌ってはないけど…」


「じゃあどうして?」


 と若干、その綺麗な瞳を潤わせながら僕を見るローゼンシア。だって…


「いや、忙しかったから…」


「あーあ、そうですか~。私、ずっと待ってたのに、リューク様が来るかなあってテントの中で一人待ってたのに~。なにも無くてしょんぼり。こんな事ならあの夜、ナンパしに来た兵士にでも…」


 え?なにそれ?聞いてないんだけど?


「ローゼンシア?それってどういう…」


「ん?ついに来たか?おい、痴話ケンカはそれまでだ。リューク、準備しておけ!」


「リューク様、はやく準備してくださいよ~」


 と、ニヤニヤと意地の悪そうな顔で馬上より僕を見下ろしてくるローゼンシア。


 え、なんで僕だけが悪いみたいな扱いを?なんか理不尽だな。


 そんな思いに駆られつつも馬に乗って王都を見やる。すると、開かれた門の奥より、動きがあった。


 人よりも大きな巨体を持つ魔族の軍勢が現れた。

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