第29話 ちょっと魔族に誘われまして

 熱い体。

 冷たい地面。


 渇いたのど。

 汗まみれの顔。


 辛いし、苦しい。

 嬉しくて、喜ばしい。


 地面に大の字になって目を閉じて、俺は感じている。

 ああ、俺は今、生きている。今このときを、確かに生きている。と。


 おかしなモンだよ。

 たったそれだけのことでしかないのに、それを楽しいと感じてる俺がいる。

 こういう感覚を、人は『充足』と呼ぶのかもしれないな。


「――で」


 俺は、目を開けた。

 すると、そこには俺の顔を上から覗き込む、紫の唇の女がいる。


「俺を殺すか、ルイナ」

「アタシのことがわかるんだね、あんた……」


 ルイナ。ルイナ・ニグラド。

 レックスを『邪神』に変えた『壺』の製作者で、同時に『五禍将フィフステンド』の一人だ。


「久しぶりだな、ってのもおかしいな。『銀禍の将エアロ・カラミア』」

「…………ッ」


 俺がその称号を口に出すと、無表情だったルイナの唇がキュッと引き結ばれる。

 こいつは、魔王軍でも随一の召喚魔法の使い手で、同時に銀魔法の達人でもある。


 いきなり俺の前に現れたのは『邪神』の魔力を目印にした長距離転移か。

 さすが、移動と空間を司る銀魔法はお手の物だ。転移の術式の何と滑らかなこと。


「あんたは、何者だい……?」

「言わずとも、わかってんだろ。俺は冒険者のビスト・ベルだよ」

「御屋形様の転生体、なんだね?」


 わかり切ってることを答えるには、ちょっと今は億劫すぎる。俺は無言を返す。


「そうかい。御屋形様は死の間際に転生をしたんだね。あんたに」

「そうだったとして、どうするよ?」


 俺が尋ねると、ルイナは右手を差し出してくる。


「一緒に来ないかい? あんたは、御屋形様の『記憶』を持ってるんだろ?」

「ああ、持ってる。だからこそおまえの手を掴むことはできない」


 俺は何とか首だけを横に振って、ルイナからの申し出を拒んだ。


「このまま、あんただけを連れ帰ってもいいんだよ?」

「そりゃ無理だろ。おまえの転移に他人を交える場合、同意が必要だからな」

「アタシだって、ここ数百年を生きてるんだ。成長しててもおかしくないだろう?」


 なるほどね。確かにその可能性もなくはない。

 だけど、やっぱり無理なんだろ。俺にはわかるよ、ルイナ。


「連れて行きたきゃ連れて行けばいいだろ。俺はお断りだがな」

「チッ、見抜かれてるねぇ……」

「おまえが最初に無理やり連れて行かない時点で、その辺はわかるって」


 舌を打つルイナに、俺は軽く苦笑する。


「あんたは、御屋形様の『記憶』と『力』があるんだろ。だったら――」

「それでも今の俺は人間で、冒険者で、ビスト・ベルなんだよ。『至天の魔王』はここにはいない。あいつは死んで、その魂は俺に引き継がれた。俺とあいつは別人だ」


 ルイナはきっと、ビスティガ・ヴェルグイユに戻ってきてほしいのだろう。

 だが、俺はあいつじゃない。だから、戻る戻らない以前の問題だ。


「そうかい。わかったよ」


 ルイナが差し伸べていた手を引く。諦めてくれたか。


「今回のところは引き下がるさ。勧誘の機会は、まだまだあるだろうしねぇ」

「いや、ねぇよ? 今回限りどころか、最初からねぇからね?」


 しつこい勧誘とかは嫌われるんだぞ! おまえ、そんなことも知らないのか!


「フフフ、あんたは冒険者だって言うけどねぇ、果たして単身で『邪神』を倒しきるようなヤツが何もなしにのん気に冒険者を続けられるのかねぇ?」

「いやいや、続けるって。俺は絶対に冒険者を続けるぞ。『慌てず、騒がず、目立たず、気楽に』がモットーの俺は、余計な責任を背負わんで済む冒険者が天職なんだからな。将来的には名が売れすぎない程度の、いてもいなくても影響がないくらいの立ち位置のBランク冒険者とかが最高だな。わかるだろ、そういうの?」


 俺が自分の希望を述べると、何故かルイナから奇異の目を向けられた。

 何ですかね、その呆れと同情が半々くらいの絶妙にぬるい視線。


「……小市民気取るには、派手に暴れすぎじゃないかい、あんた?」

「的確に抉ってくるんじゃねぇ!?」


 暴れたくて暴れたことなんぞ、一度だってないわ、こっちは!


「俺は冒険者で人生を適度に楽しむの! 夢は郊外一戸建てなの~!」

「御屋形様の転生体にしちゃあ、随分とまぁ俗っぽいねぇ、あんた……」


 そりゃあそうだろ。


「俺はビストであって、ビスティガじゃないからな。それに――」

「それに?」

「……いや、何でもねぇよ」


 ビスティガが最後に願ったことは、ルイナには言わないでおくことにした。

 こいつは『将』の中でも特に『至天の魔王』に対する忠誠心が高かったからなぁ。

 最後の最後に『私』が抱いた後悔を教えるのは、ちょっと酷かもしれん。


「フン、まぁいいさ。今日のところは帰るとするよ。けどね、ビスト・ベル。人間なんて、あんたが思ってるほど優しかないよ。それを、いずれ思い知るだろうさ」

「そうやって、俺に忠告してくれるおまえは、身内にはホント甘かったよね……」

「…………うるさい」


 そして、ルイナはその場から姿を消した。

 どこかマーキングをした場所に転移したのだろう。今の俺では、それは追えない。

 なお、去り際、ほんのり赤面してたのを俺は見逃さなかったぞ。


「人間は優しくない、ね……」


 俺は起き上がれないまま、空を見上げつつ、ルイナからの忠告を反芻する。


「知ってるさ、そんなこと。ついでに、優しい人もいるってこともな」


 遠くに、こっちに駆け寄ってくるウォードさんの声が聞こえる。

 それを耳にしながら、俺の意識はゆっくりと遠のいていった。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 目が覚めると、三日経ってた。マジで、マジで。――マジで!?


「色々と大変だったんだよ~……」


 冒険者ギルド内の休憩室にて、ベッドに寝かされた俺はラーナから話を聞いた。

 三日ぶりに会う彼女は、何だか頬がこけていた。本当に色々と大変だったっぽい。


「え、何が大変だったの……?」

「えっとね~……」


 ラーナは唇に指をあてて、しばし考える。俺はそんな彼女を見て――、唇か。

 とか、思ってしまった。

 クソッ、意識がどうしてもそっちに……! ガキが、このガキがッ!


「え、ビスト君、どうかした?」

「いや、何でもないです。何でもないよ? ホントだよ?」

「そ、そう……?」


 むしろラーナの何でもなさはどういうこと? どうしてそんな平静でいられるの?

 もしかしてアレは、彼女の中ではキス判定されていなかったの?


 わっかんね~!

 女の子、わっかんね~わ~!


「ビスト君? 無言で頭を抱えて体をねじってるけど、大丈夫?」

「…………はッ!」


 ラーナに問われ、俺はそこでようやく我に返った。

 道理で全身がねじれてるみたいに痛いと思った。そうか、俺はねじれていたのか。


「え~、大丈夫よ。で、何が大変だったって?」

「う、うん、それがね――」


 俺は、ラーナから幾つかの話を聞くことができた。

 例えば、俺が『邪神』を討伐した直後のアヴェルナのこととかだ。


 事態が収束した時点で、住人の避難は九割近く完了していたらしい。

 ほ〜らな、別に冒険者達が命を投げ出す必要なんてなかったワケさ。


 次に、何でも『邪神』が現れた時点で領主が逃げてたって話があったようだ。

 これについては、クラリッサさんが領主より上の立場の人に報告するとのこと。


 その辺については俺はよくわからんけど、さすがに逃げるのはマズいだろ、領主。

 これを含めて考えると、冗談じゃなくアヴェルナ存亡の危機だったなと思うわ。


 あ、俺とラーナのダンジョン攻略依頼の諸々については、しばし保留となった。

 事態が落ち着くまではしゃーないね。

 それでも、ラビ姉とマヤさんからしこたま謝られた。気にしないでいいのに。


 アヴェルナが落ち着きを取り戻すまでは、まだ数日かかるだろう。

 あの『邪神』に対する特別依頼の処理もあるから、まずはそっちが優先だろう。

 その間、こっちはのんびりさせてもらうさ。


「――それでね、ミミコさんのことなんだけど」


 来た。

 ある意味での本命。ずっと気になってたことだ。


「ミミコのヤツ、冒険者になれたの?」

「うん、まぁ、結論からいうとなれた。と、思うんだけど……」


 何だよ、その煮え切らない返答は。凄まじく不安を煽ってくるじゃねぇか。


「ねぇ、ビスト君」

「何すか?」

「ミミコさんって、すごい人見知りだったりするの、かな?」


 …………。


「あ、うん、そういえば、そうだったなぁ~~~~」

「やっぱり……」


 案の定、とでも言わんばかりな感じで、ラーナが深々と嘆息をする。


「え、どうなったの?」

「ミミコさん、宝箱から出ないで冒険者になっちゃった」


 え、どゆこと……?


「自分は完全自律式宝箱型ゴーレムの『ミミコ・ミミッカイザー』だって言い張って、クラリッサさんもそれを認めちゃって、それでなっちゃった。冒険者……」

「……うわ」


 つきつけられた想像を絶する事態に、俺はドンビキの声を漏らすしかなかった。

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