第24話 存亡の危機となりまして:後

 黒い巨人は、アヴェルナの北西からやってくる。

 非戦闘職の冒険者とギルド職員が住民の避難を急ぐ中、ここは街の西側にある門。


 そこに、ウォードを始めとした戦える冒険者達が集まっていた。

 皆、ギルドから支給された高品質の武器や防具を纏って、臨戦態勢である。


「何すかこの軽い胸当て。魔導銀ミスリル製? ひぇ~、高ランク様はいいモン使ってますねぇ~! この仕事終わったらもらえねぇかなぁ、これ……!」

「あら、あらあらあらあら! この剣、こんなに刃が分厚いのに振りやすくて手に馴染むわぁ~! 銀魔法が施された魔剣? へぇ~! いかにもお高そうねぇ~!」


 ギルドから貸し出された武器や防具の性能に、冒険者達が口々に騒いでいる。

 場に集まった戦闘職の冒険者、およそ300人。

 Aランクはウォード一人だがBランクは30人余り。C・Dは100を越える。


「ところでウォードさん、レックスの野郎はどこにいるんですか?」


 Bランクの一人が、ウォードにそれを尋ねてくる。


「そういえば、キーンとクーンもいねぇな……」


 別のCランクが、場にいる人員を見渡し、それに気づいた。


「あの『天才』と『万能』は、今は別の依頼で街を離れてるんだって話だから仕方がねぇけど、そっちじゃなくて『勇者候補』様はどこに行きやがったんだよ!」

「待ちに待った『特別指定依頼』だってのになぁ~?」

「ヘッ、どっかで震えてるんじゃねぇのか? こないだの宴会で『万能』のガキに赤っ恥かかされて以来、冒険者ギルドに来なくなってたみてぇだしなぁ~!」


 冒険者達がレックスのことをあげつらってゲラゲラと笑っている。

 ウォードは、それに加わることができなかった。


 初めて黒い巨人を見たときに覚えた直感が、今も心にトゲとなって刺さっている。

 あの黒い巨人がレックスだ、などと、そんなことあるはずがないのに……。


「よぉ~し、おまえさんら、準備はいいなぁ! 行くぜぇ~!」

「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」」」


 ウォードは自分の中の疑念を首を振って払うと、他の冒険者達に向かって叫ぶ。

 冒険者達はそれに応じ、300人からなる大規模パーティーが西門から出立する。


 街道を外れた先にあるのは山岳地帯で、凹凸の激しい地形が何かと視界を遮る。

 おかげで、街からはよく見えた黒い巨人も、今のところは見えずにいる。

 ただ定期的にズシンズシンという重い足音が響き、そのたび地面が揺れているが。


「ヘヘヘ、もうすぐか? 俺達の稼ぎの種さんがやってくるのはよ!」

「ここを越えたら、会えるんじゃないか?」

「明日になれば、俺らァ、街を救った英雄様ってか? いいねェ、シビれるねェ!」


 冒険者達は随分と陽気だった。

 300もの数で徒党を組んでいることで気が大きくなっているのもある。

 だが、大半は空元気でしかないことを、ウォードは理解している。


 これから戦う相手は、山よりも巨大な漆黒の巨人だ。

 それはドラゴンなど目じゃないバケモノで、そこに恐怖を感じずにいられようか。


 だが、それでも立ち向かう。

 だが、それでも逃げ出さない。

 この場にいる300人は、ギルドマスターから依頼を受注したのだから。


「……仕方ないとはいえ、この場におまえさんがいねぇのは辛ェなぁ、ビストよ」


 苦い笑みを抑えきれずに、ウォードはその名前を呟いた。

 ないものねだりはしても仕方ないが、ビストの存在は戦力としてあまりに大きい。


「フン、情けないねぇ~」


 が、すぐにウォードは自嘲し、自重する。

 ないものねだりに加えて他力本願。しかもその他力はド新人冒険者と来ている。


 さすがに、そんな弱音はウォードとしても見過ごせない。

 ウォード・ガレムはいい加減な人間だが、冒険者としての矜持は誰よりも強い。


 ズズン、と、地面が激しく揺れる。

 それはいよいよ大きさを増して、冒険者達の本能を刺激する。


「近いぞ」


 誰かが言った。

 それを皮きりにして300人の冒険者達は歩みを止めて、各々、武器を手にする。


 辺りは、草木もまばらで灰褐色の岩山が幾重にも連なっている。

 そんな中で、ウォードやヴァイス達は、警戒を密にして、辺りに視線を配る。


 ズズン、ズズンと、地面は揺れる。

 そして大きなものが動いて乱れた空気が、気配となって冒険者達の肌を舐める。

 皆、さっきまでのおしゃべりはやめて顔つきを仕事時のそれにする。


 見えずとも近くにいる。

 その実感が、否応なしに冒険者達の危機感を煽る。


 瞬間、空気の質が変わった。

 それは、Eランクのヴァイスでもはっきりと感じ取れるほどの、強烈な違和感。


 彼も、他の冒険者も、ウォードも、一緒になって視線を激しく巡らせる。

 そんな中で、世界の色までもが変わる。影が辺りを覆ったのだ。


「山が……!」


 気づいたのは、ヴァイスだった。

 それまで、誰もがそれを遠く離れた場所にある岩山としか思わなかった。


 だが違った。

 岩ではなかった。山でもなかった。

 それはゆっくりと足を上げて、地面を踏みしめた。


 ――黒い巨人。


「な、な……?」


 距離感が、まるで働かない。遠近感が、全く異常をきたしている。

 300人の冒険者が前にしたそれは、ただの黒い壁のようにしか思えなかった。


 壁、そそり立つ壁だ。

 真っ黒くて、どこまでものっぺりとした、見上げても果てが見えない黒い壁。

 しかもそれは、異様な空気を発散し、冒険者達の心を乱した。


「ぐ、こいつは……ッ!」


 間近に相対し、ウォードは改めて思い知る。

 やはりこの感覚。間違いない。あのときのレックスが放った殺気と同じだ!


「うあああああああああ! 攻撃だ、攻撃しろォ~!」


 ウォードではなく、近くのBランク冒険者が号令を下す。

 それは正しい選択ではあったろう。だが、あまりに相手を見ない選択でもある。


「うおおおおおおおおおおおおおお!」

「わああああああ! わああああああああああ~~!」


 黒い巨人が放つ『圧』に心を蝕まれ、多数の冒険者が悲鳴と共に攻撃を行なう。

 刃が舞った。矢が放たれた。

 魔法が撃ち込まれた。爆裂の花が幾重にも咲いた。


「うおおおおおおおおおおお! やれ! やれェェェェェ――――ッ!」

「おおおおおおおおおおおおおおおおお! うぉああああああああああああああ!」


 狂乱と怒涛。爆発と爆裂。悲鳴と絶叫。

 冒険者300人による一斉攻撃は、近くの岩山を砕き、穿って、地形を変える。


 やがて、勢いも衰えてくる。

 立ちこめる黒煙に辺りは覆われ、やっとのことで冒険者達は攻撃を止める。


 屈強なドラゴンとてひとたまりもないだろう。

 ウォードでもそう確信できるほどの苛烈な攻撃と弾幕ではあったが――、


「……はぁ?」


 煙が晴れたとき、冒険者の一人がそんな声を漏らしていた。

 そこには、傷一つない黒い壁があった。何も変わらない絶望の岸壁があったのだ。


「ウソだろ……」


 ウォードまでもが、そこにある現実離れした現実を信じられずにいた。

 強烈な攻撃だったはずだ。300人の総力を結集した、尋常ならざる火力だった。


 なのに、無傷?

 一切、何もダメージを受けていない?


「ウ、ウォードさん、どうしますか、ウォードさん!」

「うあああああああああ、ウォードさん! 俺達、どうすりゃいいんですか!?」

「ウォードさん、ウォードさぁ~ん!」


 他の冒険者達が、自分に助けを求めている。

 この一団の事実上のリーダーは自分だ。だから指示を求められても仕方がない。


 だが、肝心の指示内容が何も浮かばない。

 ウォードの頭の中は真っ白だった。

 今の攻撃、倒せずともダメージくらいは与えられるだろうと思っていたのに……。


 ズズン、と地面が揺れる。

 今の、浮き足立っている冒険者達にとって、その巨人の足音はダメ押しだった。


「む、無理だ……!」


 Bランクが一人、武器を投げ捨てて後ずさる。


「勝てるワケがねぇ。こんなバケモノ、勝てるワケが……!」


 他のCランクが大声で絶望を叫んだ。

 マズい、と、ウォードは思った。

 絶対的な格差を示されて、冒険者達が押し殺していた恐怖が溢れ出つつある。


 ここから一人でも場に背を向けてしまえば、もう、どうにもできなくなる。

 冒険者による最終防衛線は崩壊し、黒い巨人はアヴェルナの街に到達するだろう。


 まだ、住民達の避難が半分も終わっていない街に。

 そこから先にある光景は、想像もしたくない。絶望の果ての、絶望だ。


 ウォードは悩む。

 ここで自分に、何ができるのか、と。

 だがその悩む一瞬すら、今の状況では致命的な瑕疵となりうる。


「ぅ、うあ……!」

「ダメだ、こんな、こんな……!」


 冒険者達の間に怯えの感情が波のように広がっていく。

 勇ましく街を出た戦士達の心が、無残にもへし折られようとする。

 そこに、彼の声が響き渡った。


「――逃げたら、ダメだ!」


 場にいる誰よりも力のこもった、よく通る大きな声だった。


「……ヴァイス」


 ウォードが、その叫びを発した者の名前を呼ぶ。

 それは、新進気鋭のEランク剣士、ヴァイスだった。


 人間の本性は本人がこれ以上ない極限状態に立たされたとき、明らかになる。

 その観点でいえば、ここでヴァイスが見せたのは、まぎれもない『輝き』だった。


「逃げるな。逃げたらダメだ! ここで逃げたら、本当に全部終わってしまう!」

「な、何言ってんだ、おまえは!?」

「あれだけの攻撃が全然効かなかったバケモノに勝てるワケねぇだろ!」


 周りの冒険者達は揃って同じことを語る。それは、敗戦の弁だった。

 しかし、それでもヴァイスの瞳は揺るがない。それどころか、語気は増していく。


「ここで俺達が逃げたらどうなる! アヴェルナの街が、本当に滅びるんだぞ!」

「街が……」

「で、でもよ……ッ!」


 まだ弱気を見せる冒険者に、しかし、ヴァイスはかぶりを振った。


「あんた達は、街が滅びてもいいのか? 俺達の街が、アヴェルナの街が、本当に滅びてもいいっていうのか! 俺は、イヤだぞ。それだけは絶対にイヤだ!」


 ヴァイスは、ただただ真っすぐに訴える。

 これには冒険者達もグッと言葉を詰まらせる。彼らとてヴァイスと同じだからだ。


「そりゃ、俺達だってアヴェルナの街が滅びるのはイヤだよ! だがな!」

「ここで俺達に何ができる! どうしたところで、勝てねぇモノは勝てねぇだろ!」


 それでも、恐怖に潰された彼の心は、まだ元には戻らない。

 挫かれ、踏みにじられた戦意の火を再び灯すのは、容易なことではない。

 だがヴァイスは、そこに炎をぶちまける。


「できることはある。戦うんだ!」

「た、戦う……?」


 勝つ。ではない。戦う。

 ヴァイスは確かに、そう言った。


「あのバケモノに勝てなくとも、ここで俺達は戦うんだ! 戦うしかないんだ! そうして時間を稼いで、アヴェルナの街のみんなを外に逃がすんだよッ!」

「な、ぉ、おまえ……」


 ヴァイスが語るそれは、つまり『ここで死ぬまで戦う』ということだ。


「おまえ、自分が何言ってるのか、わかってるのか……?」

「当たり前だ。自覚や覚悟もなしに、こんなこと、言えるワケがないだろ。でも、じゃあ逆に聞くけど、あんた達はどうしてここにいるんだよ? 何でだ?」


 Eランクの剣士に問い返されて、高ランク冒険者達は咄嗟に答えを出せない。

 そこに、さらにヴァイスが言い募る。


「守るためだろ? 報酬とかレベルとか、そんなことよりも先に、あんた達はアヴェルナの街を守りたいから、ここに来たんじゃないのか? 怖いのを我慢してまで!」

「そ、それは……」

「少なくとも、俺はそうだ!」


 堂々と『俺はここで死ぬまで戦う』と宣言する青年に、誰も、何も言えずにいる。


「金のためにここに来たなら、逃げ帰ればいい! そんなヤツに街は守れない。でも、あんた達がアヴェルナの街を守るために来たっていうなら、今こそ戦わなきゃダメだ。それが『正しいこと』だって、心が理解してるはずなんだから!」

「ぉ、ぉ、俺は……」


 弱音を吐いていた冒険者の一人が、まだ恐怖に顔を歪めながらも視線を上げる。


「俺は、戦う。俺は戦うぞ! 俺は、こいつと一緒に戦う!」

「そうだ、俺もだ! 俺も、アヴェルナの街を守りてぇ! だから、戦うぞ!」


「私も一緒に戦うわ! この身が朽ちようとも!」

「僕も!」

「俺様もだぁ!」


 冒険者の間で、潰えかけていた戦意の炎が再び激しく滾り始める。

 皆の中心にいるのは、ヴァイス。

 彼は手にした剣を掲げ、全員に向かって叫んだ。


「戦おう、この命、尽き果てるまで!」

「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」」」


 迸らんばかりの輝きを放つヴァイスに、輪から外れてウォードは顔をしかめる。

 そして、彼は小さくひとりごちた。


「いかにもビストが嫌いそうな光景だな、こりゃあ……」


 歩みを止めない黒い巨人と、命を捨てて挑む覚悟を決めた、300人の戦士達。

 そこにあるのは、まぎれもない『正義』であった。

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