第20話 魔法の『上』を見せつけまして

 黒い汚泥――、『邪神崩れ』がその体積を増している。

 さっきからずっと続いている泡立ちは、自らを増殖させていることで起きている。


 あれは、おそらく周囲の大気や地面から式素マナを取り込んでいるのだ。

 他にも草木を飲み込んで、そこに含まれる式素も喰らっている。


 式素は世界のどこにでも存在している。

 しかし、最も大量の式素が存在する場所は――、『生命』だったりする。


 生命体は、それ自体が全属性の式素を内包する『一個の世界』として捉えられる。

 あ、これは『魔導学』っていう魔力の扱いに関する学問での考え方ね。


「どんどん膨らんでる……」

『うにゃにゃにゃ~! 何かガッタンゴットンしてるよ~! わびゃ~~!?』


 増していく『邪神崩れ』の体積に負けて、四足歩行宝箱がひっくり返った。

 まぁ、中身は無事っぽいし、アレは一時放置でよろしかろう。

 ミミコはアホの子だが、ミミコの造るミミックは全面的に信頼できる。


 え? ダンジョンのミミックは弱かったって?

 あれは愛玩用のミミックだから戦闘力もお察し程度で、そこまで強かないワケで。


 まぁ、それでもゴブリンなんかよりは全然強かったけどな。

 しかし、自分で言っといて何だが、愛玩用のミミックって何なんだろうな。


「さて――」


 ボコボコと『邪神崩れ』が変形している。

 汚泥だったものが、取り込んだ式素によって変質し、内臓を思わせる質感になる。

 少しでも『肉体』に近づこうとあがいているのだろう。


 このまま放っておけば、肉と内臓くらいは形成できるかもしれない。

 しかし、肝心の骨を作るところまでは到達できそうにない。


 仮に『完成』したとして、そこにできあがるのは不格好な肉人形に過ぎない。

 それが、この『邪神崩れ』の限界。生贄の質と格があまりに低すぎた。


 キーンとクーン。

 俺とラーナが冒険者になったその日から、変な因縁があった凸凹な二人組。


 レックスによっかかり、他の冒険者を見下して、挙句に生贄にされてしまった。

 だが俺は、別にあいつらを哀れとは思わない。


 あれは『当然の末路』だった。

 俺は、そのようにしか認識していない。


 あの二人は、特に何か大きな罪を犯したというワケでもなかった。

 だが、あいつらはあまりにも人を小馬鹿にしすぎていた。


 俺はあいつらに忠告した。だがあの二人はそれを聞き入れることはなかった。

 結果が、目の前の『邪神崩れ』なのだから、全く世話がない。


「……楽しくねぇな」


 人の話を軽く受け流して、結果として命を失ったバカ二人も。

 生贄の質が低すぎて、自分の体を作るのに必死になってる『邪神』の滑稽さも。

 何より、自分を慕ってたキーンとクーンを生贄にできる、レックスのメンタルも。


 ああ、何もかもが楽しくない。

 思えば思うほどに、胸の奥にムカムカとしたイヤな熱が溜まり込んでいく。

 こんなもの、いつまでも抱えていられるか。早々に放出するに限る。


「ラーナ」

「え?」

「そこで見てろ。これから、おまえがその手に掴むものを見せてやる」


 一度だけ、長剣をヒュンと振り回し、俺はラーナをその場に置いて踏み出す。

 やはり、重い。鍛錬で振っていた木剣とはまるで違う、本物の剣の重み。


 ここまで俺は主に魔法のみでかかる火の粉を払ってきた。

 意識してやっていたワケではないが、そこにはきっと何某かの理由があった。


 その理由は何だ。

 決まっている。その理由は格差だ。


 これまでの相手には、武器など使う必要もなかった。

 簡易発動の魔法でも一蹴できる程度の敵しかいなかったということだ。


 あの大黒犬や、レックス・ファーレン。部屋中を埋め尽くすミミックの群れも。

 俺の片手で事足りるくらいの相手でしかなかった。


 だが、目の前の『邪神崩れ』は違う。

 質が低いとはいえ二人の人間が生贄となったソレは、不格好だが宿す力は大きい。


 生半可な魔法では逆に吸収されて終わる。

 どれだけ無様であろうとも、相手は『神』の名を冠する存在なのだから。


 だが逆にいえば、それは都合のいい相手であるということでもあった。

 ラーナに、これから向かうべき到達点を実際に見せてやるという一点において。


 ボゴッ、という濡れた音と共に『邪神崩れ』の一部が突出して盛り上がる。

 それは形の崩れた手となって、上から俺を押し潰しにかかる。


「ビスト君!」


 聞こえる、悲鳴じみたラーナの声。

 頭上に迫る巨大な手の陰に全身を覆われながら、俺は思う。心配かけちまったな。


 俺は剣を右手に下げたまま、特に何も動かない。

 が、何もしないワケではない。俺はこの瞬間、すでに自分の行動を終えていた。


 手が、俺の頭上間近に至る。

 再びラーナの声が、俺の耳朶を打った。


「ビスト君、避けて!」

「大丈夫だよ、心配するな、ラーナ」


 戦いのさなかだというのに、俺は彼女の方を振り向いて笑った。

 そこに、手が俺を潰そうとして――、目に見えない壁に阻まれて、千切れ飛んだ。


「え……?」

「だから言ったろ、大丈夫だよ、ってさ」


 呆けるラーナにクックと笑って、俺は『邪神崩れ』に向き直る。

 俺を包む力場に弾かれ、巨大な腕は砕けて散った。破片は、すぐさま戻っていく。


「ビスト君、何、それ……?」


 ここで、ラーナも今の俺の状態に気づいたようだった。

 今、俺の全身は『夜』に包まれている。星の瞬きを内包した濃密な『夜の闇』に。


 夜ならわかりにくいだろうが、今は昼間だ。

 俺が纏う『夜の衣』は、その色合いもあって景色によく映えることだろう。


「俺の『魂元属性』は『夜闇』だ」

「こんげん、ぞくせい……」

「そう。固有属性とは違う、その人間の魂の根っことなる属性をそう呼ぶ」


 俺が纏う『夜の衣』は、その『魂元属性』の顕れの一つだ。

 そして、これを扱うための必須条件となる技術がある。


「これを扱うためには、まず七属性の魔力の『混色』が必要になる」

「――『手のひらの虹』」


 少し前に俺が思い出したものを思い出したのか、彼女はその名を呟く。


「魔力と式素の扱いに関する技術は、総称して『魔導』と呼ばれる」

「魔導? 魔法じゃないの?」

「魔法は魔導の中の一分野に過ぎない。極論、七属性の『混色』を習得するまでの過程でしかないんだよ。魔法――、つまり『マギ』は、な」


 人類の間では『魔力を扱う技術=魔法マギ』という認識が広く浸透している。

 しかし、残念ながらそれは大きな間違いだ。

 語弊を恐れずに言ってしまえば、何とも幼稚でレベルの低い勘違いだよ。


「人間は、エルフや魔族に比べて扱える魔力の限界量が低い。だから、主に扱える魔法こそが全てだと思ってしまっている。……違うんだよ。『上』があるんだ」


 俺は『夜の闇』を纏ったまま、一歩一歩、『邪神崩れ』に近づいていく。


「魔法は、ただの魔導の第一歩だ。七属性の『混色』を習得するまでの段階で、それを覚えることができたら、魔導は次の段へと上がっていく。それが――」

「……『マギア』?」


 そういうことだ。

 察しのいいラーナに、俺はニッコリ笑ってしまう。


「七属性の『混色』を実現することで、人は初めて己の『魂元属性』に触れることができるようになる。自分の真の魔力を引き出せるといってもいいな」


 黒い腐肉の山がグジュルグジュルと蠢いて、次々に『腕』を伸ばしてくる。

 それは全て俺を狙っている。俺のことを脅威と認識したか。


「無駄なことさ」


 伸び来る無数の『腕』は、だが、俺の纏う『夜の衣』に触れた途端、消し飛ぶ。

 俺は何もしていない。ただ、己の『根源属性』の魔力を見に帯びただけだ。


「すごい……!」

「これが『魂元属性』の魔力だ。通常の魔力とは、ステージそのものが違う」


 あの『邪神崩れ』の腕は大した力を宿している。

 しかしそれもただの式素とただの魔力でしかない。その時点で、俺の負けはない。

 通常の魔力に対し絶対優位が約束されているのが『魂元属性』の魔力だ。


「そして」


 俺が、右手に握った長剣を前にかざす。

 続いて、俺自身の内部から『魂元属性』の式素を抽出し、それを核とする。


 魔導において、術式の構築方法はどの段階でも変わらない。

 抽出・混合・成型の『基礎三行程』をもって、それは発動できる状態になる。


 今もそうだ。

 俺は大気と大地より式素を抽出して『魂元の核』と混ぜ合わせて、魔力を通す。

 同時に、俺の手首にヴィジョンが発生する。


 それは透き通った大きな歯車ギアだった。

 具象化した歯車が、俺の手首に腕輪のように収まって、ゆっくりと回り始める。


 オオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォォォォ――――ッ!


 地面が揺れた。轟音が響き渡った。

 それは『邪神崩れ』が引き起こした鳴動だ。


 山ほどにもなった『邪神崩れ』が、俺へと一気に押し寄せてくる。

 全力で潰さねばならない相手と認識したようだ。だけど残念、一歩遅かったな。


「――廻れ・廻れ・宵の歯車・黒鉄色の・冬の夜・かわたれどきは・未だ遠けき」


 詠唱、完結。準備、完了。

 透明だった手首の歯車に夜の色が満ちて、回転をグンと速める。

 そして、俺の右手と、握る長剣までもが同じく星の瞬きを帯びた夜に染まる。


「さすがにこいつは……」


 この体で使う、初めてのマギア。それは、俺の魔力をどんどん喰らっていく。

 心臓が鼓動を加速させる。全身に汗がまみれて、虚脱感が襲い来る。

 だが構わず、俺は押し迫る黒い腐肉の波濤を前に、夜色の長剣を高く振り上げた。


「夜の虚無に呑まれて消えろ」


 告げて、そこから発動の一声を高らかに謳い上げる。


魔装マギア――、『うつろの風、夜に還りてアッシュ・トゥ・アッシュ』!」


 振り下ろされた漆黒の刃が、ほんの少し、眼前まで迫った腐肉を切りつける。

 それだけで、全てが止まった。

 何の誇張もなく、山ほどもある『邪神崩れ』全体が、ビタッと静止する。


「え、ウソ……」


 俺の後ろで状況を見守っていたラーナがその現実を受け入れられず、立ち尽くす。

 彼女の方に振り向いて、俺は色を戻した長剣を鞘に納めて言う。


「これが、魔法マギの次にあるもの。……『魔装マギア』だ」


 ゴゴゴと、小さく地鳴りが始まる。

 それは崩れゆく音だ。


「俺の魔装は他者の式素を侵蝕し、連鎖的に自壊させる」


 肩越しに見ると、止まった『邪神崩れ』の色がどんどん変わっていくのがわかる。

 刀身で斬りつけた一点から、黒い腐肉が明るい灰色へと変じ、それが広がる。


 そして数秒もせず、灰色に染まり切った『邪神崩れ』は、そのまま崩れ始めた。

 己を構成する式素を全て破壊されて、ただの土くれと化したのだ。


 この世界の全てには式素が含まれている。

 それを自壊させる俺の魔装は、防御不能にして一撃必殺。殺傷力は折り紙付きだ。


「よし、逃げるぞ~!」

「きゃあ!」


 こっちにまで土砂が押し寄せてくる前に、俺はラーナの手を取って走り出す。

 正直、めっちゃ疲れた。

 しかし、ここにいれば崩れる土砂に巻き込まれるだけなんだな~!


『ぬぁ~! 何、何? どうなったの? どうなったの~? あべば!?』


 少し離れた場所から、崩落に巻き込まれて転がり回る宝箱の声が聞こえる。

 中身は無事だろうから、休んだあとで掘り起こせばいいか。


「あの、あの、ビスト君!」


 俺に手を引かれながら、ラーナが何かを訴えようとしてくる。


「ビスト君のマギア、すごかった。だからわたしも、がんばるね!」

「おう、是非そうしてくれ」


 彼女の言葉に、込み上げてくる笑みを抑えきれず、俺もそう答える。

 そして『邪神崩れ』だった大量の土砂は、廃村近くで完全に崩れ去ったのだった。


 それにしても、疲れた……。

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