第20.5話 結局は同じ末路を辿りまして
――レックス視点にて記す。
ビスト・ベルが『邪神崩れ』を土くれに変えたその頃、彼は農村の片隅にいた。
アヴェルナからおよそ半日ほどの場所にある、誰も使っていない小屋。
その中に、レックス・ファーレンと腰も曲がった黒いローブの老婆の姿があった。
壊れた木箱を積み上げて、その上に乗せられているのはかなり大きな水晶級。
そこに、ビストとラーナと、謎の四足歩行宝箱が映り込んでいる。
直後、映像はノイズと化して、水晶は表面にレックスの顔を照り返すのみとなる。
「…………ッ」
ギヂッ、と、何かが軋む音がする。
それはレックスが奥歯を強く噛み締めた音だった。
「これはどういうことだ、ニグラド!」
憤怒の声と共に、彼は拳を水晶球に叩きつけてブチ砕く。
小屋の中にガシャンと音が響き、破片があっちこっちに散らばっていく。
「おやおや……」
ご立腹のお客様を前に、闇商人ニグラドはしわがれた声でのんびり呟いた。
それが、またレックスの癇に障った。
「どういうことだ、何であのガキが勝ってるんだ!?」
彼は、怒りも露わにニグラドに詰め寄る。
「君から買ったあの壺は、絶対にあのガキを殺せるシロモノじゃなかったのか!」
「と、言われましてもですねぇ~……」
烈火の如き怒りを見せているレックスに比べ、ニグラドは非常にマイペースだ。
フードに包まれた頭をかしがせる速度も緩慢で、レックスを余計にイラ立たせる。
「まさか、
「まぎあ? 何だそれは、ワケのわからない言い訳をするなッ!」
小屋の中に、みたびレックスの怒号が炸裂する。
だが、ニグラドは動じない。
それどころか黒ローブの老婆は軽く息をつくが、レックスはそれに気づけない。
「いやぁ、参りましたねぇ~。せっかく、あのお二人を犠牲にしたというのに~」
「そんなことはどうでもいいんだ!」
自分を慕ってくれた子分二人を、レックスは一言のもとに切り捨てる。
それどころか――、
「いや、あいつらなんかを生贄にしたのが悪かったんだ。君の話じゃ、あの壺から召喚されるのは邪神だったはずだ。なのに何だ、出てきたのはただの黒いスライムじゃないか。生贄が悪かったんだ。あいつらのせいだ! ふざけやがッて!」
「キヒ、ヒヒ、ヒヒ、それはまぁ、そうでございますねぇ~」
ペッとつばを吐くレックスにニグラドも同調を示す。
しかし、そんなことで彼の怒りは収まらなかった。
「この落とし前はどうつけるつもりだ、ニグラド」
「はて、落とし前でございますか?」
「そうだ。君が用意した商品は、僕の要求を満たせなかったじゃないか!」
「そこまでは私共は関知しかねますねぇ。取引が成立したあとのお話ですので~」
「君は、この僕という上客に対して、そんな態度をとるのか?」
果たして、自ら上客を名乗る客の何割が実際に上客なのか。
ニグラドは、レックスの言葉を否定しなかった。肯定もしなかった。
「同じ商品をご用意することならできますがねぇ~」
「それでいい。要は生贄だ。上等な贄さえ用意できれば、あのガキを殺せるんだ!」
「贄、でございますか~」
「そうだ。贄だよ。上等な餌を準備するんだ。そして最高の邪神を召喚して、今度こそあのガキを殺してやるんだ。絶対に、絶対に殺してやるんだ。この僕が!」
レックスの目の色が変わっていた。
かつては余裕と自信に満ち溢れていた彼の瞳は、大きく見開かれて血走っている。
そこに映っているのは、冒険者ギルドでもなく『勇者』への道程でもない。
ビストだ。ビストを殺すのだ。あのガキに自分の力を思い知らせてやるのだ。
今や、それだけがレックスの目的となり果てていた。
そのために、闇商人に頼って禁忌の品を手に入れ、自分の取り巻きを犠牲にした。
だが得られた結果は到底満足できるものではなくて、今、こうして荒れている。
彼は、ブツブツと『贄だ、贄だ』と繰り返し、小屋の中を歩き回る。
「オイ、ニグラド」
「何でございましょうかねぇ~?」
「確認だ。壺の邪神は、確実にあのガキを殺せるんだな?」
「さて、どうでございましょうか……。いえ、最高の生贄さえ捧げることができれば、太刀打ちできるものなどない、最強の邪神を召喚できるでしょうけれどねぇ」
「生贄、生贄、生贄。結局は生贄かッ!」
「そういう品でございますのでねぇ~……」
いきり立つレックスだが、ニグラドはあくまで自分のペースを崩さない。
「ところでレックス様。御代金の方はだお丈夫なんですかねぇ~? こちら、金貨2000枚は変わりませんですよぉ~? お支払いいただけますかねぇ~?」
「何を言ってるんだ、君は。払うわけがないだろう」
「あれま……」
こともなげにレックスが言うと、さすがにニグラドも絶句する。
「金貨2000枚もの大金を巻き上げておきながら、ガキ一匹殺せなかったんだぞ? そんなモノは商品の質が原因に決まっている。弁償してもらうぞ。責任をとれ。同じ壺をもう一度僕に譲り渡すことで、今回だけは許してやらないこともない」
「あらあら……」
腕組みしてレックスは恥ずかしげもなく無茶な要求をぶつけてくる。
ニグラドは呆れたように声を漏らすと、木箱の上にくだんの『壺』を取り出した。
「品はこちらでよろしいでしょうかねぇ?」
「そうだ。それでいい。これであとは、生贄だけだな」
彼はほくそ笑んで、次の瞬間、とんでもないことを言い出す。
「――ウォードを生贄にするか?」
自分と同じAランク冒険者を壺に食わせることを画策したのだ。
しかし、すぐにかぶりを振る。
「いや、ダメだな。あんな野郎じゃキーンとクーンと大して変わらない……」
そうして、次に思い浮かんだのは、もっとあり得ない名前だった。
「……クラリッサ・エルネスティア」
アヴェルナの街の冒険者ギルドのトップ。妖艶なエルフのギルドマスターである。
エルフは人間よりもはるかに高い魔力を持つ。贄としては最適ではないか。
「いや、待てよ。何も贄を一人に限ることはないんじゃないか?」
クラリッサに加えてウォード、他にもマヤなどのギルド職員も贄に捧げるか。
質が低くとも、数で補えばいいのではないか。そんな考えが、彼の中に生まれる。
「そうだな。そうするか……?」
と、レックスの考えが固まりかけたところで、ニグラドが口を開いた。
「最高の贄でしたら、心当たりがございますよォ~?」
「何……?」
さすがに聞き捨てならない言葉であった。
「最高の贄、だと? それは本当か、ニグラド?」
「ええ、ええ、本当ですとも。これ以上はあり得ないという、最善の贄ですよぉ」
黒ローブの闇商人がコクコクうなずく。
レックスはほのかな期待を胸に、それは誰かと尋ねる。
「誰のことだ?」
「それはもちろん――」
ローブから伸びた枯れ木のような手が、レックス自身を指さした。
「あなた様でございますよぉ、レックス様」
名を呼ばれながらも、レックスは一瞬理解できなかった。
そこから、理解が及んだ瞬間、彼の眉間にこれでもかとしわが集中する。
「何をバカなことを言っているんだ、君は? 冗談に付き合ってるヒマはないが?」
「いいえぇ~、冗談なんかじゃございませんよぉ~。最高の贄はあなた様です」
笑っている。
腰の曲がった闇商人の老婆は、もう一度告げて小さく笑っている。
それを感じとって、レックスは顔から表情を消す。
「わかった。君を最初の贄にしてやろう」
彼の決断は早かった。おちょくられたと思ったのだ。
まだ治っていない踏み砕かれた自尊心の傷口を触られて、彼は怒りに駆られた。
「僕を怒らせた君が悪いんだぞ、ニグラド」
言って、レックスはニグラドめがけて右手を伸ばそうとする。だが、
「……何?」
伸ばしかけたところで、急に右腕が動かなくなる。
力を込めても、震えはするが動かすことができない。これは一体、何事か。
「キヒ、ヒヒ、ヒヒ」
ニグラドが笑ってその場から後に跳躍する。
その動きを見て、レックスは驚きから大きく目を見開いた。
「何だ、今の鋭い動きは? ババアにできる動きじゃないだろう!?」
「あれま、腕が動かないことよりそっちに驚かれるんですねぇ。――変なヤツさ」
ニグラドの声が変わる。
枯れてしわがれた老婆の声から、ややハスキーな感がある、高めの若い女の声に。
「き、君は……、君は何者だ!?」
「闇商人のニグラドだよ。そういう屋号でやってるのは確かだねぇ」
折れ曲がっていた腰が伸びて、ニグラドが背筋を正す。
そしてレックスは見てしまった。
黒ローブの裾からスルリと伸びている、先端が矢じりのような形をした黒い尾を。
それは、魔族五大氏族の一角、ノスフェラトゥの身体特徴と合致する。
「まさか、魔族……!?」
「今さら気づいたのかい? やれやれだよ、こいつは。とことん呆れるねぇ」
ローブに隠れた顔の下半分、毒々しい紫色の唇だけがレックスからは見えている。
その唇はニヤリと笑みの形を作って、彼に事実を告げる。
「レックス様、あんたはとっくにアタシの支配下だよ。右手の甲を見てごらんよ」
「右手……? ……ッ、これはッ」
レックスがこれまで以上に目を剥いた。
右手の甲に、いつの間にか黒い紋章のようなものが浮き出ているではないか。
「そいつは隷縛の印っていってね。アタシと契約を結んで魂を売ったことの証さ」
「僕が? この『勇者候補』の僕が、魔族と? バカな、いつ!?」
「契約したじゃないかい。この前の小屋で、アタシと握手を交わしただろう?」
思い出した。
確かに、握手を交わした。右手で、目の前の闇商人と。
「あのとき、契約は完了したのさ。あんたは
「ウ、ウソだ、ウソだッ、ウソだッッ! 僕が、こ、この僕が、魔族に……ッ!?」
顔を汗にまみれさせ、レックスは必死にかぶりを振る。
しかし、そんな彼の意志など無視して、右腕は勝手に動き始める。
「う、ぅぅ、う、ぐ……ッ!」
彼が必死に堪えても、右腕を動かす力の方が遥かに強い。
レックスの全身を引きずって、右手は木箱の上の『壺』へと寄っていく。
ここからどうなるかは、考えるまでもないことだ。
「や、やめろ。やめろ! やめてくれ、ニグラド! 頼む、やめてくれェ!」
「おやおや、ご同業を贄にする気満々だったってのに、情けないねぇ」
泣き叫ぶレックスを眺めながら、黒ローブの女魔族は軽く肩をすくめる。
そしてもちろん、止めるつもりなどない。
「あんたはさっき言った通り、最高の贄になれるよ、レックス様。鍛え上げた高スペックの肉体に、とことんまで腐り切った性根。滅多に出てこないレアモノさ。だからアタシの『壺』に食われて、最高の邪神になっておくれよ。見届けてやるからさ」
「やめろやめろやめろやめろッ! ぃやだァァァァァァァァァ――――ッ!」
「いい悲鳴だね。惚れ惚れしちまうよ。……けどダメさ、喰われて死にな」
レックスの右手が『壺』の封を解いた。
そして、開いた口から黒い汚泥でできた小さな手が、ゆっくりと伸び出てくる。
「ぁ、ぁ、ぁ、あ、ああ、あああ、あああああああああ……ッ!」
汚泥の手は動けないでいるレックスへと近づいていく。
彼は、自分に迫るそれを、涙が触れる瞳でただただ見つめることしかできない。
絶望。
絶望。
絶望――、汚泥の手が、彼の頭を鷲掴みにした。
「おめでとう、レックス様。これであんたの求める最高の邪神が、出てくるよ」
「ぃ、いやだァァァァァァァァァァァァァァ――――…………、ごぶッ」
拍手を贈る魔族の前で、アヴェルナ最強の冒険者は『壺』に引きずり込まれた。
もう声はない。ただ肉が潰れて骨が砕ける音だけが、ニグラドの耳朶を打つ。
「さぁさぁ、カーニバルの幕開けと行こうじゃないかい」
カタカタと震え出す『壺』を眺めながら、ニグラドがローブを脱ぎ捨てる。
腰まで届く長い黒髪が、ヴェールのように広がった。
切れ長の赤い瞳に、高い鼻筋、整った顔つきは完成され過ぎた神像のようだ。
肌は病的な蒼白さで、だがその肢体は豊満そのもの。
ボディラインも露わな赤の装束は、ところどころ開いていて露出度が異様に高い。
特に、背中はうなじから腰までまるっきり開かれている。
その背中の腰よりやや上辺りからは、小さなコウモリの翼が生えている。
尖った両耳には、無数の銀のピアス。
指には幾つもの銀の指輪。首には銀のネックレス。腕には銀の腕輪。
「さぁ~~て、あの坊やはどこまでできるかな~? こいつは見ものだねぇ~♪」
顔に期待の笑みを浮かべるニグラドが見る先で、『壺』が震動を大きくする。
そして、中から『ゴヴォッ』と大きく濡れた音がする。
――十分後、村が一つ、この地上から消えた。
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