第14.5話 怪しい壺を買いまして

 ――レックス視点にて記す。


 レックス・ファーレンにとって『勇者』は永遠の憧れであり、理想像だ。

 ただし、彼はビストのように『勇者』の『正義』には固執していない。


 彼が憧れているのは『勇者』という存在が宿す『強さ』だ。

 強いからこそ『勇者』は『勇者』。

 何者も凌ぐ絶対的な『強さ』。究極的な『力』。最強の称号。それが『勇者』だ。


 人は、強くさえあればいい。

 強くさえあれば、何をしても許される。何をしても認められる。


 そんな、単純明快でわかりやすい『正義』は、同時にレックスの哲学でもある。

 これはもちろん、間違ってはいない。真理の一面を突いてはいる。


 強者こそが『英雄』となり、神に見初められて『勇者』になる。

 それは確かにその通りだ。レックスの理屈は正しいだろう。


 だが、彼のそれはあまりにも他者を省みない『正義』でもあった。

 人が人として暮らしていく上では、野蛮にすぎる、獣めいた『正義』といえる。


 しかし、それをレックスに忠告できる者はいなかった。

 生来の傲慢な性格と『強さ』に対する異常な執着を、誰も是正できなかった。

 親も、友も、誰も、レックス・ファーレンを止められなかった。


 結果としてできあがったのが自称『勇者候補』の彼。

 自ら、いずれ伝説になることを公言して憚らない、最強のAランク冒険者だ。


 アヴェルナの街はおろか、国内でも彼に並ぶレベルの冒険者はいない。

 数多の依頼をこなし、その名は広く知れ渡っている。まさに次代の『勇者候補』。


 自分で、そう思っているだけに過ぎないが。

 ああ、そうだ。そうだとも。自分は上り詰めた。事実上の最高ランクの冒険者に。


 強いということは、偉いということだ。

 強いということは、尊いということだ。


 貴族とかいう連中は血筋だの何だのという不可解な理由で偉ぶっている。

 レックスには、全く意味がわからなかった。

 仕事の関係で貴族と絡むこともあったが、強いと思える者は一人もいなかった。


 それなのに、連中は自分が偉いと勘違いして、常に上からモノを言ってくる。

 仕事を請け負う立場上、合わせてやってはいるが、何度殺してやろうと思ったか。


 それでもレックスが従っているのは、彼が冒険者であるからだ。

 冒険者という生業こそ、自らの『強さ』を顕示するのに最も適した生業だ。


 いずれ『英雄』に、そして『勇者』に選ばれて、伝説の中に自らの名を刻む。

 それが成った暁には、偉ぶっている貴族共はブチ殺してやろう。

 そうすることで、自分という存在の『強さ』を民衆共にこれでもかと示してやる。


 元より、貴族と自分、どちらがより偉大であるかは論を持たない。

 そんなものは『強い方』に決まっている。つまりは自分の方が遥かに偉大だ。


 そうだ、偉大だ。

 強き者は皆、偉大だ。偉大でなければならない。


 そして、弱きものは強き者の偉大さを無条件に認めて従うべきだ。

 レックスがCランク以上の冒険者を同士と認めているのは、この思想による。


 結果を出し、レベルを上げ、一流のラインにまで到達した高ランクの冒険者達。

 そうした者達こそ、レックスの同胞に相応しい、選ばれた存在だ。


 アヴェルナの街では特にウォード・ガレム。

 自分以外の唯一のAランクの彼には、レックスも一目置いていた。


 レベルこそ、自分よりだいぶ低いものの、それは仕方がない。

 レックス・ファーレンは最強なのだから仕方がない。自分は特別で、例外なのだ。


 だが、レックスはウォードを意識しながらも、気に食わない。

 あの男は、あまりにも低ランク冒険者を気にかけすぎているように見受けられる。


 Dランク以下の、人間の中でも最底辺に位置する、唾棄すべき連中に。

 己を磨くこともせず、ただ怠惰に、そして適当に仕事を請け負うだけのクズ共。


 そんな連中を気にかけてどうするというのだ。

 クズはクズ同士、底辺は底辺同士、慣れ合いながら腐り果てていけばいいのに。

 低ランク冒険者など、低ランク冒険者など、低ランク冒険者――、


『じっくりと味わえ。これが、靴底の味だ』


 …………。…………。…………。

 …………。…………。…………。

 …………。…………。…………。


 あまりの怒りに、意識が数瞬、白んだ。


「――あの、Gランク野郎」


 魔法で治したはずの鼻っ柱が、ズキリと激しく疼き、痛んだ。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 アヴェルナの街、郊外の南側。

 スラム街がある一角よりもさらに外縁に、その朽ちかけた木造の小屋はあった。


 深夜、レックスはキーンとクーンを伴って小屋へとやってきていた。

 入り口近くで、先頭を歩くキーンが手に持ったランタンをかざして中を確かめる。


 淡い光が差し込んで、闇に沈んでいた小屋の中がにわかに照らし出された。

 そこに見えるのは壁際に置かれた簡素な棚と、二つの椅子と、朽ちかけた木の卓。


 床板はところどころ割れて、隙間から雑草が伸びている。

 長らく使われていないのが明らかな、廃墟としか呼びようのない小屋であった。


「レックスさ~ん、誰もいないようですぜぇ~?」


 中を見回したキーンが、不安げな様子でレックスの方を振り向く。

 同じような顔つきで、クーンもレックスを見ている。


 自信なさげな二人の態度に彼は軽くイラ立ったが、それを言っても仕方がない。

 所詮、こいつらは高ランク冒険者の入り口に差しかかっただけのCランク。


 自分にわかることがわからずとも、当然のことなのだ。

 この二人と自分とでは、あまりに格差が大きい。ここは自分が譲ってやらねば。


「君達は本当に伝説的レジェンディではないね……」


 フゥ、と、ため息をついて、肩をすくめる。

 すると、キーンとクーンの二人はヘコヘコと頭を下げて愛想笑いを浮かべる。


「ヘヘヘ、すいやせん、ヘヘ……」

「俺ら、こんなんですから、レックスさんがいねぇとやってけねぇっすわ」


 へつらう二人に、レックスは鷹揚にうなずいて「構わないとも」と大らかに返す。

 相手がザコにすぎずとも、従うなら受け入れるのが強者の余裕というヤツだ。


「さて――、いるんだろう。ニグラド」


 キーンからランタンを取り上げて、レックスが前に出る。

 すると、光を当てられた先に、黒い影が蟠っている。先程はなかったものだ。


「ひっ」


 驚き、声をあげるキーンに情けなさを感じながら、レックスは小屋の中に入る。

 そこに蟠っていた黒い影が、モゾリと蠢いて声をかけてくる。


「お久しぶりでございますねぇ、レックス様」


 しわがれた女の声。女にしては低く、かなりの深みを有する老婆の声であった。


「前置きはいい。頼んだものは持ってきただろうね」

「ええ、もちろんですとも。私ァ、商人でございますからねェ~」


 言って、ニグラドと呼ばれた黒い影が「キヒヒ」と笑う。

 ランタンの光で浮かび上がったのは、夜闇にも似た色の黒ローブを纏った何者か。


 身を丸めているようで背はキーンより低く、頭もフードで覆われていて見えない。

 だが、このニグラドの素性など、レックスにはどうでもよかった。


 重要なのは、このニグラドが市井では扱われない商品を扱う闇商人であること。

 まだキーン達に出会う前、レックスは幾度かこの老婆と取引をしたことがあった。


「レックスさん、商人って、一体……?」


 キーンとクーンが、その顔に浮かべる不安の色をさらに強める。

 彼らは、レックスから何も聞いていなかった。この闇商人のことも、何も。


「僕達に恥をかかせたあのGランクの二人が『特別指定依頼』を受けた」


 レックスは、疑問まみれの二人に対して、まずはそれを告げた。


「と、『特別指定依頼』ッ!? あのガキと小娘がですか……!」

「そうだ。職員を締め上げて吐かせた。間違いない」

「職員を締め上げて、って……」


 こともなげに言うレックスに、キーンが顔色を青くする。

 いくらAランク冒険者だからって、冒険者ギルドの職員への暴力沙汰など――、


「キヒ、ヒヒ、ヒヒ。随分とご立腹の様子でございますねぇ、レックス様」

「…………」


 笑う老婆にレックスは無言。ただし、ギリッ、という奥歯が軋む音がする。


「これは、由々しき事態なんだよ」


 だが、レックスの声は、それだけを聞けば平静で、冷静だった。


「ウォードを含めた他の冒険者達も、ギルドも、あの妙なGランクのガキに踊らされているような気がしてならない。ド底辺のGランクが『特別指定依頼』なんて、いくら何でもおかしすぎる。何かがあるに違いない。……僕が、止めなければ」

「ぅ、う……ッ!」


 言葉と共に、レックスの全身から強烈な殺気が放たれる。

 それは、味方であるはずのキーンとクーンに容赦なく襲いかかり、おののかせた。

 身を強張らせた二人の股間は、我知らず生暖かい液体で濡れてしまう。


 無論、レックスの言っていることはただの自己正当化に過ぎない。

 冒険者ギルドの暴挙を止めるという彼の目的の裏側にあるのは、ただの逆恨み。


 多数の冒険者とギルド職員の前で自分に恥をかかせた、ビストとかいうGランク。

 地面を這いつくばって生きるしかない底辺冒険者に、身の程を知らしめる。


 今のレックスにとっては、それこそが何よりも優先すべきことだった。

 自分の『強さ』を、自分の『偉大さ』を、あのガキに必ずや思い知らせてやる!

 そのための、眼前の闇商人でもあった。


「ニグラド。見せてくれ」

「キヒ、ヒヒ、ヒヒ。ええ、どうぞどうぞ、こちらが商品になりますよぉ~」


 腰の曲がった老婆が、収納空間の魔法を用いて虚空より何かを取り出す。

 朽ちたテーブルの上に現れたのは、しっかりと封がされた小さな壺のようだった。


「な、何ですか、こりゃあ……」


 現れたそれをまじまじと見つめ、クーンが疑問に眉根を寄せる。

 どこからどう見ても、ただの古びた壺。そのようにしか見えないのだが――、


「キヒ、ヒヒヒ。こちらの品のお値段は金貨2000枚となっておりましてねぇ~」

「にせ……ッ!?」

「こ、こんなボロッちい壺が……?」


 キーンとクーンが揃って絶句する。

 金貨2000枚といえば、東方の通貨価値に換算して2億イェン相当となる。


「フン」


 レックスが、二人の驚きを鼻で笑い飛ばす。


「構わないとも。そのくらいで怯むようじゃ伝説的レジェンディじゃないからね」

「あれあれ、何とも剛毅なことで。それでは、商談成立でございますねぇ」


 黒衣の闇商人そう言うと、レックスに対して枯れ木のような右手を差し出す。


「何だ?」

「私ァ、あなた様のファンなんですよぅ。未来の勇者様にあやかりたくて」

「……フン。闇商人がよく言うね」


 レックスはニコリともせず言いながらも、ニグラドと握手を交わす。

 キーンとクーンの二人は、その間も金貨2000枚の値打ちがある壺に釘付けだ。


「これで準備は整った」


 ニグラドから手を離し、レックスは破れた天井から星空を仰ぐ。


「待っていろ、Gランク共……!」


 特に自分の鼻を踏み潰して人生最大の屈辱を与えてくれた、あの『万能』のガキ。

 ヤツだけは許せない。許さない。許してなるものか。


 あのガキには、このレックス・ファーレンが最高に屈辱的な死をくれてやる。

 尊くも気高き『勇者候補』をナメた罰として、万死を、極刑を、天罰を、惨殺を!


「最強は、この僕だ」


 呟いたその瞬間も、治したはずの鼻は熱く疼き続けていた。

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