第2話 無事に孤児院を卒業しまして

 俺の名前はビスト・ベル。

 ベルーナ孤児院出身のビスト君だから、ビスト・ベル。わかりやすい名前だね。


 さて、今現在、俺は孤児院内の自分の部屋にいる。

 自分の部屋、といっても孤児院はそう広いワケじゃない。


 ここだって四人が一部屋を共有している。

 俺専用のスペースは、ベッド一つだけ、勉強用の机も四人で共有だ。


 だけど、それでも人は暮らしていけるモンだ。そんな風に思う。

 狭くはあったけど、弟妹と一緒の部屋での生活は悪くはなかったよ。


 少ない荷物をリュックに詰め終えて、俺はこれからこの孤児院を出ていく。

 別に何かの事情があるワケではなく、十五になればみんなこうして外に出る。


 十五は大人の入り口となる年齢。

 俺も、もう成人ってワケだ。


「ビスト、よいですか?」


 粗雑な木製のドアがノックされて、向こう側から声がかかる。


「ヘイヘイ、どうぞ~」


 応じるとドアが開き、白くなった髪を三つ編みにした初老の女性が入ってくる。

 この孤児院を経営している女神官のアルエラ様だ。


「おはよう、ビスト。準備は終わりましたか?」

「今、終わったとこっすよ。タイミングのいいことで」


 俺が軽口を叩くと、アルエラ様は穏やかに微笑んで「そうですか」と返してくる。

 優しそうな人に見えるが、怒るとクッソ怖い。でも、やっぱり優しい。


 俺達、この孤児院にいる連中にとって、この人が母親だ。

 母親代わりなんかじゃない。本当の母親なんだと、皆が思っている。


「――ビスト」

「ああ、いいですよ。俺はこのまま出ていきます」


 アルエラ様が表情を曇らせるので、俺は軽く苦笑してうなずく。

 この孤児院では、外に出ていくヤツのための特別な送別会などは特にない。


 今日だって、皆、普通に勉強したり、畑を耕したり、遊んだりしている。

 別れはいつか訪れるもので、特別なものではない。

 そういうアルエラ様の教えが、皆の中に浸透しているからだった。


 そうだよ、出会いは特別だけど、別れは特別なものじゃない。

 だからここを出ていくことも普通のことで、感慨にふけるようなことじゃない。


「ビスト、せめて涙は拭いてから強がりなさいね?」

「えッ、いや、別に、な、泣いてないっすから……!」

「はいはい」


 動揺する俺に近づき、アルエラ様がハンカチを貸してくれる。情けねぇなぁ。


「ビストは、これからどうするのですか?」


 ハンカチを受け取る俺に、アルエラ様が尋ねてくる。

 ここを出る孤児は、先んじて働き先を見つけるヤツもいる。というかそれが大半。


 ところが、俺はそれをしなかった。

 怠けていたのではなく、皆が働き先を探す時間を鍛錬に費やしていたからだ。


「本当に、冒険者に……?」

「ええ、そのつもりです。それが一番、俺の性に合ってる気がするんで」


「あなたのご両親が冒険者だったから、ですか?」

「まさか。顔も覚えてない親のことなんて、特に何とも思ってないですよ」


 これは本当。

 俺の親は冒険者だったらしいが、俺を産んだ直後に両方死んじまったらしい。

 かくして俺はこの孤児院にやってきた。という流れ。


「俺は、人から責任を押し付けられたくないんですよ」

「だから、冒険者。ですか……」

「背負う責任を自分で選べる仕事なんて、冒険者くらいですからね」


 わがままを言っている自覚はあるが、性分だ。仕方がない。

 俺は自分勝手に、慌てず、騒がず、目立たず、気楽に人生を過ごしていきたい。


 アルエラ様は俺を心配してくれているが、まぁ、どうにかなるだろう。

 今日見た夢のこともあるしなー。……あの夢なー。


「ビスト、これを」


 アルエラ様が、壁に立てかけていた一振りの剣を持ち出してくる。

 黒い鞘に入った、それなりに刀身の長い剣のようだった。


「こいつは?」

「あなたのご両親の形見です。お父上が使っていたもののようですね」

「俺の、親父の……」


 受け取ると、ずっしりとした金属の重さが両腕に伝わる。

 これまで鍛錬用に使っていた木剣とは、まるで違うの重みがそこにあった。


「あなたが冒険者になるのなら、お持ちなさい。餞別というワケでもないですけど」

「ありがとうございます、アルエラ様」

「何かあったら、いつでも戻ってくるのですよ。あなたの家は、ここですからね」


 剣を受け取った俺に、アルエラ様はそう笑いかけてくれた。

 やべっ、やっと落ち着いてきたのに、また目の辺りがジンと熱くなってきた。


「……うっす」


 そう言うのが、精一杯だった。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 同じ部屋の弟共にだけ挨拶して、俺は孤児院を出ていった。

 これより向かうは、冒険者ギルド。


 他にあてもないので、まずは冒険者になることから始めてみる。

 ダメそうなら、そのときはそのときでまた考えればいい。俺はもう、大人だ。


「――――で」


 孤児院を出てしばらく歩いたのち、俺は建物と建物の隙間に入って身を隠す。

 そして、立てた右手の人差し指に軽く意識を集中させる。


 すると――、ポゥッ。

 指先のちょっと上に小さいながらも生まれる火の玉。


「……使えちゃったよ、魔法」


 昨日まで俺は魔法なんて使えなかった。自分に魔力があることすら知らなかった。

 だが、こうして指先に火を発生させている。無詠唱での簡易発動だ。


 ムエイショウって何?

 カンイハツドウって何?


 自分で説明しといて何だが、昨日までの俺はそんなんだったんよ。マジで。

 ところが今は全部わかる。魔力の扱いも、魔法の発動のしかたも、用語なんかも。


「そっかぁ、あの夢、ホントの話かぁ……」


 ウッソだろ、俺の前世が魔王様ってか。うわ~、ウッソだろ……。

 いや~、でもあるんだよな~、記憶。

 バッチリあるんだよな~! 百人の勇者のことも、魔王自身の最期の記憶も!


 ただ、それは『俺』の記憶という感じではない。

 いうなれば長い長い物語を読んだかのような、そういったものとして認識してる。


 しかし――、後悔。

 その感情だけは、俺の中にひどく生々しい実感として刻まれていた。


 魔王ビスティガ・ヴェルグイユは、長き己の人生の果てに知ってしまった。

 自分の人生が、正しくはあっても楽しくはないものだったことを。

 最期に覚えてしまった深い後悔が、俺の心にしっかり根付いてしまったワケだ。


 クソ迷惑ッッ!

 とにかく甚だクソ迷惑すぎるッッ!


 そんな後悔なくたってこっちは楽しく生きるつもりだったわ!

 だけど魔王の力と記憶は役に立ちそうだからありがたくいただいておきますッ!


 まぁ、でもアレだな。

 最強の魔王の力とやらを手に入れた以上、注意しなくちゃいけないな。


 俺は別に、成り上がるつもりはない。

 力を得たとしても、その力を存分に使って金だ、女だ、地位だ、名声だ、とか。

 そんなことをするつもりは、一切ない。


 適度でいいんだよ、適度で。

 自分の身の丈に合った、それなりでそれなりなそれなりの生活。

 最低限の自由さえあれば、俺はそれでいい。


 あんまり欲をかきすぎると嫌われますよってアルエラ様も言ってたし。

 だから、無難でいいんですよ、無難で。

 そんな俺のモットーは『慌てず、騒がず、目立たず、気楽に』だ。モブ最高。


「とりあえず、魔王の力のことは隠しておく方が賢明だな」


 魔王の力を軽く確認したのち、俺はそう決めて元の道に戻ろうと向き直る。


「な、何してるんですか!」


 その声が聞こえてきたのは、俺が一歩踏み出す直前のこと。

 切迫した、若い女の声。何かを咎めるような物言いだ。


「ん~?」


 聞こえてきてるのは、すぐ近く。

 この辺りはアヴェルナの街でも端の端で、スラム街も近く治安など存在しない。

 目立たない場所じゃ何があってもおかしくはないような場所だ。


「うるせぇなぁ、このガキの方から俺らにぶつかってきたんだろうが!」


 女の声の次に聞こえたのは、イラ立ちにまみれた高めの男の声。

 俺ら、ってことは複数っぽい。いかにもめんどくさそうだ。


「この子はちょっと転んだだけででしょう? それなのに蹴るなんて!」


 次いで、またも聞こえる女の声。あ~、やれやれ。っと。

 俺は踵を返し、建物の隙間を抜けて、騒ぎの現場へと向かっていく。


 すると裏路地の一角、見えにくいそこに四つの人影。

 一人は倒れてる痩せたガキ。ぐったりとしているのは何度も蹴られたからか。


 次が、庇うようにしてガキの前に立つ、神官用の儀式杖を手にした女。

 薄い金色の髪を伸ばした、白い神官服を纏った小柄な割に胸部は豊かな少女だ。

 ガキを守ろうとしているが、男二人にすごまれて足が震えている。


 残る二人は、スラム街のチンピラ――、じゃ、ないな。

 背が低く太いのと、背が高く細いの。

 共に革製の防具を纏い、太い方は盾を背負い、細い方は腰に長剣を提げている。


 見るからにスラム街のチンピラとは一線を画す装備。

 間違いない。この二人、冒険者だ。って、ことは――、


「あなた達、冒険者なのに弱い者いじめするんですか!?」

「知るかっての。俺達にぶつかってくる方が悪いんだろうがよ。なぁ、おい?

「そうですよねぇ! アニキを怒らせたらただじゃ済まないぜぇ?」


 低くて太い方が揉み手でノッポの方をよいしょする。わかりやすい関係性だな。


「ところでよぉ……」


 ノッポが、女を見て目を細めて舌なめずりを見せる。


「お嬢ちゃん、見たところ一人だよねぇ?」

「な、何ですか……?」


 下心満載のノッポのまなざしに、女がさらなる怯えに表情を引きつらせる。


「こんなところで一人は危ないぜぇ? 俺達が道案内してやるよ。そんなガキのことは放っておけって。どうせそのまま死んじまうってば。だから、なぁ?」

「オイオイ、新進気鋭のCランクの俺達に誘ってもらえるなんて、運がいいな!」

「な、何てことを! あなた達、本当に冒険者なんですか……!?」


 ジリジリと迫ってくる男二人を前に、女は身を庇いながらも怒りを露わにする。

 だが、そんな真っ当な怒りが通じるワケもない。男二人はヘラヘラ笑う。


「アハハハハハハ! かっこいいねぇ~、お嬢ちゃん。冒険者に夢見ちゃってるの? ガキ一人守るために体張っちゃって、勇者様みたいだねぇ~。ケケケケ」


 女を軽く嘲笑って、ノッポが手を伸ばそうとする。


「い、いや……」


 女の目に涙が浮かぶ。が、あれは女の方の自業自得。

 事態を打開できる力もないのに、正義感を燃やして無策で突っ込むからああなる。

 こういったことはこの辺じゃ日常茶飯事で、俺もいちいち関わる気はなかった。


 ――その女が、知り合いじゃなけりゃな。


「またあいつは……」


 俺は額に手を当てて、盛大にため息をついた。

 絡まれてるのは、俺が知ってる女だった。

 そうか、そういえばあいつは俺と誕生日が同じ。つまり、あいつも今日だったか。


 目立たない場所から男共に絡まれているあいつを物陰から眺め、俺は考える。

 あれを見過ごすのは、ちょいと楽しくないな。

 ついでに俺が受け継いだ魔王の力の再確認といきますかね。


 俺は、こっちからは背中しか見えない男二人の中間に意識を集中させる。

 そこに、無詠唱でちょっとした魔法を行使。効果は直ちに発揮された。


「うッ?」

「いッ!」


 二人の男の顔が、吸いつけられるようにしてビタリと引っ付く。

 連中のあげた間の抜けた声が、俺の耳にも届いた。


 やったことは単純で、二人を対象にしてその中間点に引力を発生させただけだ。

 それに引っ張られた二人は、互いに脂まみれの顔を引っ付けたワケである。


「な、なにしてやがる! 離れろ、臭ェんだよ!」

「ンなこと言われて、も……! く、アニキこそ、離れてくださいよ!」


 顔の左右が引っ付いた野郎二人が、互いに離れようともがいている。

 俺は、二人をくっつける引力をどんどん強めていく。どれだけもがいても無駄だ。


 さて、ここで想像してほしいのはデコピンだ。

 指を親指で強く押さえつけて、そこから開放したらどうなるか。


 俺は、引力が十分に強まったところで、それを斥力に反転させる。

 斥力は、引力とは反対に物体をはじく力。

 強まった引力と同等の斥力がそこに発生したら、離れようとしてる二人は――、


「ぶげッ!」

「ぐぎひッ!?」


 俺が眺めている先で、冒険者二人の頭がグルンと円を描いて地面に激突した。

 デコピンの原理に加えて、斥力による加速もついてるから、そりゃこうなるよな。


「え、え……?」


 キョトンとしているあいつのところに、俺はツカツカと歩いて近寄っていく。


「あれ、どうしたよ、ラーナ。こんなトコで」

「あ、ビスト君!」


 偶然を装って声をかけた俺に、その少女――、ラーナ・ルナが笑顔を見せる。

 ルナーク孤児院出身のラーナちゃんだから、ラーナ・ルナだ。

 ウチの孤児院と交流がある別の孤児院にいた、俺と同い年の女だった。


「おまえも、今日で孤児院卒業だったっけ」

「うん、そうなの! ビスト君も、だよね?」

「そうだけど。……で、こいつらは何?」


 俺は、道端で気絶してしている野郎二人を見て、いぶかしむように眉根を寄せる。

 ま、演技なんですけどね、思いっきり。


「えっと、わかんない!」


 とても潔い返事をされた。知らぬ存ぜぬで通す気だな、こやつ。


「それよりも、ビスト君、大変なの! 子供が……!」

「子供? 誰だよ?」

「え?」


 さっきまでガキが倒れていた場所。

 だが、ラーナがそこに目をやっても、ガキの姿はなかった。


 俺は魔法を試している最中、しっかり見ていた。

 ガキは目を覚ました途端、さっさとその場から逃げ出していた。


「あ、あれ? あれぇ~?」


 ガキの逃走に気づいていないラーナが、辺りをキョロキョロ見回している。


「ラーナさん、何か?」

「ううん、何でもないよ。大丈夫!」


 俺にかぶりを振って、ラーナはガキを探すことをやめた。切り替えたようだ。

 それで納得しちまうのも考えものな気がするが、ま、今はいいか。


「別に関係ないならほっとこうぜ。それより、これからどうするんだ?」

「あ、うん、わたし、冒険者になろうかなって思ってて……」

「へぇ、そうなのか?」


 ちょっとビックリした。

 こいつは、神官様のもとで勉強して神官の道を歩むと思っていたのに。


「わたし、外の世界が見てみたいの。街の外に出たことがなかったし。それに――」

「それに?」

「ビスト君が冒険者のお話とかしてくれたこと、あったでしょ?」


 ああ、それで冒険者にあこがれを持った、と。 ――って?

 あれ? もしかして、こいつが冒険者を志したのって、半分は俺のせい?


「いやいや、ンなこたぁねぇだろ」

「どうかしたの?」


「いや、別に。それじゃ、このままギルドまで一緒に行くか?」

「え、いいの?」


「別に俺は構わねぇけど?」

「うん、それじゃあ、一緒に行く~!」


 途端に溌溂とした笑顔を見せて、ラーナが俺の隣に並んできた。

 こうして、俺とラーナはまず冒険者ギルドを目指すこととなりまして。


 さぁ、これから本格的に、人生を楽しんでいこうか。

 ただし、あくまでも『慌てず、騒がず、目立たず、気楽に』、な!

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