第5話 皇帝陛下もジュピターの妻が心配になった
ジュピターを含む第二部隊を送り出した皇帝はいつものように町に出て帝国民の様子を観察していた。
と、言っても監視ではない。どのくらい平和なのか、それを日常的に肌で感じるために皇帝はいつも空いた時間は極力町中で過ごすのだ。
護衛を1人もつけなくても大丈夫、それが正に平和の証であり……そもそも皇帝自身が騎士団よりも遥かに強い力を有していた。
絶対的な信頼と実力、皇帝を害するものなどこの国……いや、世界にもいないだろう。
――だが、そんな皇帝も勝てないものがある。
それは疲労。平和になればなるほど積み重なる仕事での疲れには何をどう努力しても勝てなかった。
少しでも気分転換をしようという理由もここにあった。殊に、最近はどうも肩こりが酷いのだ。
敵国や未知なる脅威に打ち勝てるように常に身体は鍛えていたが、自分で溜め込む自分からの攻撃だけには何をどうしても対処のしようがなかった……
「仕事を増やしすぎたかなぁ……どうも身体が重いんだよね――ん?」
帝国民が行き交う賑やかな城下町、その中に見覚えのある女性の姿があった。
「ジュピターの――妻?」
それは見間違えもしない、ジュピター・スカイの妻、マリーゴールドだった。
夫を辺境視察に送った側としては、さぞ落ち込んでいるのだろうと申し訳ない気持ちでマリーを見たが……その様子はるんるんと浮き足立っているようだった。
(何故……? まさか――)
一瞬嫌な想像が過ぎった。夫の居ない間に浮き足立つ妻など……不貞を働いている位しか思い当たらない。
あんなに仲の良かったスカイ夫婦が――? と疑問は尽きない。特にマリーゴールドはジュピターが寂しがる気持ちよりも一回りも二回りも大きな愛情と執着心を持っているようにも見えた。
……もしそれが、夫を騙す為の偽装だとしたら……?
皇帝はゾクリと背中が冷たくなるのを感じた。愛する帝国民がもしかしたらそんなどす黒く狡い事を行っているなどと……思うだけで心なしか身体も重くなった。
(――いや、あのジュピターが……あの男が見誤る訳はあるまい)
皇帝はジュピターに信頼を寄せていた。
ジュピターは元々騎士志願者ではなかったのだ。冒険者として各地を回るジュピターは、行く先での討伐やダンジョン攻略と活躍が目覚しく、それより何よりも正しく生きたいと思って行動する彼に共感したのだ。
ただ闇雲に死に急ぐ訳でも、誰彼構わず助ける訳でもない。しっかり見て、信念を持って行動する。そんな彼を冒険者として放して置くのは勿体無いからと、皇帝が何度も説得して騎士になって貰った。
最初は難色を示したジュピターだったが、第二部隊の仕事内容は以前の冒険と変わらぬもの。それならと騎士になったのだが……それが、愛する妻が出来てからはその心情を妻の為に向けるようになった。
勿論、部隊変えを申し出て帝国に残った彼は、以前と同じようにしっかりと帝国の為に尽くしてくれた。そんな彼には絶対の信頼を置いていたのだ。
そんな彼を、もしも欺いているのだとすれば……とんでもない悪女である。
(皇帝でありながら女性の後をつけるのは全く以って忍びないが……)
大事な騎士の悲しむ顔など見たくない。皇帝は足取りの軽いマリーゴールドの後を気配を消して付いていく。
辿りついた先は城下町を大きく外れた森の中。石畳の続く階段の先には神を祭る社があった。
(こんな所に……一体何用だ? まさか、人目を避けて密会を……?)
疑えば疑うほど核心へと繋がるような情報ばかりだった。
そして、それと同時に新婚のジュピターを遠方へ飛ばすような命令を下した自身への後悔が押し寄せる。
(済まない……仮にそれが本当だとすると、私にも責任がある……)
苦しむ胸を押さえながらマリーゴールドの一挙動を再び見ると、彼女は何故か徐に服を脱ぎ始めた。
(??!!!!)
皇帝は慌てて見えない様に明後日を向く。辛うじて何も見ていなかった。
(あっぶな――)
一歩間違えるとその状況、不貞の相手は自分になりかねなかった。皇帝自身にもちゃんと心に決めた女性がいるので、それは絶対に避けたかった。苦難の末にやっと思いの通じた相手に勘違いをされるのは死刑宣告よりも恐ろしかった。ギロチンだって好いた相手に逃げられるよりも軽いのだ。
(わざとやっているとすると恐ろしすぎるんだけど……)
とんでもない悪女に出会ったような気がした。――が、そのうち……何か変な音が聞こえるようになった。
そう、それは何かを鉄で打ちつけるような……
マリーゴールドが服をちゃんと着ているのかは分からなかった。が、妙に気になる激しい音……
背に腹は変えられず、意を決して皇帝はマリーゴールドの方を見た。
その先に居たのは――白い布を羽織り、頭には蝋燭が2本。藁で出来た怪しい人形を鉄製のハンマーで木に打ち付けるマリーゴールドだった。
「いや何……? 邪術か何か?」
前にも同じような邪術を使って呪いの儀式を行おうとした者を見た事があった。が、その恐ろしかった形相とは違い、マリーゴールドはニコニコと愛妻弁当でも作るかのように可愛らしい笑顔で鉄釘を気持ち悪い人形に打ち付けている。それが皇帝には余計に恐ろしかった。
呪いならばちゃんと呪いの形相でやってほしいのだ……上機嫌なマリーゴールドの様相は怖すぎて狂気を感じ、皇帝は震えた。
「えっ、やだー! 皇帝陛下じゃないですかー! キャーッ! 恥ずかしい!!!」
まるでサプライズケーキを作っているのを夫に見つかったかのように人形を隠すマリーゴールド。どう見てもやっている事はそんなテンションでは無いのだ。
「君……ついに私が憎くて、呪いにまで手を出したの……?」
「えっ、何を仰っているのですか? 陛下を呪う帝国民が居る訳ないじゃないですか」
今の所、一番恨みを持って呪いそうなのはジュピターの妻、マリーゴールドなのだが。本人がそう言っているので本当に帝国民で自身を呪う者はいないのだろうと皇帝は安堵した。
「でも……すると君は誰を呪っているんだ……?」
まさか、不貞を働いていたのはマリーゴールドではなくジュピターの方で、彼女はその相手を呪っているのではないか――と皇帝は不安になりぎゅっと胸を押さえた。
「えっ、呪いっていうのはちょっと分からないのですけど……」
そう言うマリーゴールドの手元にあった藁の人形、よく見るとジュピターの色の髪の毛がはみ出ていてジュピターの姿絵が貼り付けられていた。まさかの上機嫌で呪っていたのは夫のジュピターだったのだ。
「いやいや……本当にちょっと待って……どういう事……夫が恋しいあまりについに憎くなってしまったって……コト?」
皇帝は訳が分からず頭を押さえた。が、マリーゴールドはぶんぶんと首を振った。
「もうっ! 陛下、冗談でもそんな事言うなんて怒りますよ!! これは、高名な占い師様に占って貰った結果、愛する人の髪の毛を入れた人形に釘を打ち付けて祈願すると夫が直ぐに戻ってくるって言われて。なので早く帰って来てくれるよう愛を込めて祈っていたのですよ」
「誰だそんな事を吹き込んだのは……マリーゴールド、よく聞きなさい。それが呪いだから……」
「えっ」
マリーゴールドは人形を下に落とし驚愕の表情を浮かべた。本当に分からずにやっていたその姿はウッカリのレベルを超えている。
「そんなヤバそうな祈りをしたらジュピターがどんな姿で帰ってくるか分からないよ。大人しく家で待っていなさい……」
「やだ、やだー! あの人に何かあったらどうしよう……ご、ごめんなさいあなたー!」
「はぁ……マリーゴールド。とは言えジュピターはそんなやわな呪い位じゃ死なないほど頑丈だから。良かったよ……君が変な道に走ってなくて。そっちの方がジュピターにはダメージだろうし……」
帝国最強の皇帝が率いる皇室騎士団は頑丈が一番の取り柄だった。かくいうジュピターも、その足で各地を回り活躍する程の猛者。下手な呪いでは傷一つつかない程の男……
ジュピターが傷つくのは妻の事だけなのである。
「ジュピターだって早く帰りたいだろうから、君はそんな信憑性の薄い邪術よりも、暖かい手料理を用意して待っていてあげなさい。そろそろ帰ってくる頃だ」
「はい……くすん。もう占いや呪いは懲り懲りですぅ……」
そう言って肩を落としたマリーゴールドはトボトボと家路へと戻った。
尚、皇帝の肩こりや身体が重いのは普通に過労だった。
★★★
「ジュピターさん、何か大丈夫ですか?」
「今日は何時にも増して早く帰りたそうですけど」
第二部隊の他の騎士が心配する中、ジュピターは調子の悪いお腹を押さえて早足で仕事を終えていた。
「なんか、お腹が痛い……早く帰りたい」
野営食で食あたりを起こしていたジュピターは、愛する妻の手料理が恋しくて早く帰りたかった。
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