つまごい

魚崎 依知子

一、

第1話

 仕上がった依頼の品々を丁寧に畳み、伝票と共に衣装ケースへと収めていく。虫食いの穴が空いた小紋、レース生地のほつれたワンピース、ポケットの玉縁部分が傷んだスーツのパンツ。今回はどれも生地や状態が良く、きれいにかけつぎできた。

 出掛ける準備を整え、テレビのリモコンを手にする。つけっぱなしにしていたテレビでは、ワイドショーが始まっていた。最近は代わり映えしないゴシップやシルバーウィークの話題に交じり、こんな田舎で起きた悲劇も報じられている。映し出された古民家風の一軒家は、建ってまだ一年も経っていない新築だ。その湯船で数日前、女性が死亡した。煮え湯のような温度だったらしい。そこだけ聞けば給湯システムの事故に思えるが、事件と事故の両方で捜査しているのなら疑わしい要素もあるのだろう。

 まあどちらにしろ、私にはもう関係のない話だ。テレビを消し、衣装ケースを抱えて外へ向かった。


 自宅マンションから車で五分ほど、古びた商店街の一角に位置する『斎木さいきかけつぎ店』は父方の叔母が営む店だ。幼い頃から訳あって引きこもりがちだった私を心配した祖母は、私を様々なところに連れ出して多くの経験を積ませようとした。その多くは私を更に追い詰めるものだったが一つだけ、時間を忘れて集中できるものがあった。それが、叔母が試しにさせてみたかけつぎだ。

 以来、共糸や共布を利用して穴を埋める「織り込み」や「差し込み」、問題のある箇所を切り取って共布をはめ込む「切りばみ」など、叔母からかけつぎや補修の技術を余すところなく教わりながら育った。十六歳でアルバイトとして入り、高校卒業後に迷わず就職して住み込みの職人となった。二十五歳で結婚を機に独立して以来十年、今は顧客や叔母から仕事を請け負い在宅で働いている。

「お世話になりまーす、仕上げ品持って来ました」

 店内に入って声を掛けると、カウンターの奥から叔母がのっそりと現れる。叔母は今年六十三、若い頃は華奢だったのが更年期の到来と共に増量してそのままだ。色白の頬は丸く張り、腫れぼったい瞼の目は垂れて小さくなった。黒々と染めたおかっぱ頭と相俟って、すっかり年齢不詳の見た目だ。

「お疲れさま。頼んでたの、全部?」

 うん、と答えつつ衣装ケースの中から依頼品を取り出して並べていく。叔母は胸にぶら下げていた老眼鏡を掛け、職人の目で仕事を終えた品をチェックする。未だに緊張する一瞬だ。

「うん、いいね。完璧」

 叔母は一つ一つ手にとって仕上がりを確かめたあと、老眼鏡を外して依頼品を奥へと運ぶ。暖簾の向こうにちらりと見えた作業場では着物のリメイク中か、解かれた生地がトルソーに巻きつけられていた。

「じゃあこれ、次の依頼品ね。全部泰生やすおくんのよ」

 黒っぽい塊を抱えて戻って来た叔母は、久しぶりの名前を口にした。九月だし、転勤があったのかもしれない。

「また転勤で?」

「いや、そうじゃなくてあれよ、この前お風呂で女の人が死んだでしょ? そこの給湯設備、センバのなんだって」

「そうなんだ」

 驚く私の前に、叔母は泰生のスーツとワイシャツを並べていく。かけつぎと、お直しか。

「その件で本社から送り込まれたそうよ。しばらくこっちにいるから澪子みおこにもよろしくって」

「また、そんな暢気なこと言って」

 苦笑しつつ、並べられた依頼品を手にとりチェックに入る。まずは全体の状態と問題の箇所のチェック、適した補修方法を吟味して仕上がりを予想しなければならない。生地の素材や状態によっては、かけつぎができても跡が目立ってしまう可能性もある。

「あの件、真志まさしさんが担当?」

「どうかな、知らない。しばらく会ってないし」

 離婚を切り出して、もうすぐ二年。そろそろ諦めて届に判を押して欲しいが、逃げられ続けている。

「このスーツの上は襟と袖口に傷み、こっちの上とワイシャツは袖口のボタンが取れたって。このネクタイとスボンは、糸引きの補修」

 素っ気ない私の答えに、叔母は話題を仕事へ移す。上着とパンツは手触りの良いウール、ネクタイはタイシルク、ワイシャツは混紡か。今も、質の良いものを丁寧に着ているらしい。

「相変わらず、ボタンをつけ直してくれる相手もいないのね」

「おかげでこちらは稼がせてもらえるから、ありがたいけどね」

 ワイシャツのボタンつけは二百円、スーツは千円だ。大きな稼ぎにはならなくても、ありがたい。

 全て手作業で行われるかけつぎの技術料は高めだが、依頼がコンスタントにあるわけではない。特にファストファッションが幅を利かせる今は、かけつぎ料金より安い服なんてざらにある。多くの人は千円のTシャツに五千円払ってかけつぎするより、捨てて新しい一枚を買う方を選ぶだろう。

 結果、店に持ち込まれるのはほぼブランドものかオーダーメイドの高級品だが、都会ならまだしも田舎では絶対数が少ないのだ。私は美術品扱いの民族衣装や寺院の曼荼羅など単価の高い仕事も受けているものの、それだって月給に換算すればそれほどではない。技術は貴重でも、これだけで食べていくのは難しい仕事だ。真志の首根っこを引っ掴まえて判を押させられない理由は、私にもある。

「じゃあ、帰るね」

 依頼品を空いたばかりの衣装ケースに収めて、蓋を閉める。

「うん。伝票に連絡先書いてあるから、直接取りに来てもらって」

 叔母の追伸に、持ち上げ掛けた手を止めた。

「変な気を回さないで。迷惑でしょ」

「いいじゃない、会いたがってたし」

 窘めたが、叔母はまるで気にしない様子で老眼鏡を外す。

 叔母は元々かけつぎの職人だったが、二十五歳の時に見合い結婚をして家庭に入った。でも夫の暴力を理由にすぐ離婚して仕事を再開し、三十歳でこの店を開いた。八十年代後半の離婚はまだ「よくあること」ではなく、特に戦前生まれの祖父母は良い顔をしなかったらしい。結局勘当の形で離れた数年後に、祖父は脳梗塞で死んだ。その葬式で祖母とは和解して、今は程良い距離感で付き合っている。

「うちは、うちのタイミングで離婚するから」

 自分が早々に見切りをつけて離婚したから、未だ燻っている私に気を揉んでいるのだろう。若い頃はそうでもなかったが、年を追う毎にクセが強くなりつつある。とはいえ、私が叔母にただならぬ心配を掛け続けているのは確かだ。

「じゃあ、本当に帰るね」

 一息ついてちゃんと衣装ケースを抱え、店を出た。

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